二十三話 白馬Ⅲ
「掴まれ!」
「わ、きゃっ!?」
ラッドに手を引かれ、アリスは抱えたユサリの実ごと、勢いをつけた白馬の突進から間一髪逃れる。
ラッドはアリスを片腕で抱え、残る片腕で抜剣。目にも止まらぬ速さの剣閃が白馬の首を正確に狙い打った。
「硬いな、コイツ!?」
「でも血が出てるよ!」
厚く硬質な毛皮に阻まれた刃。傷口に剣身を滑らせながら引き戻せば僅かに赤が滲むが、致命傷となる太い血管にまでは届いていない。
それでも白馬の青い目が苦痛に歪み、ラッドを睨みつけ……バシュンと、白馬の眼前の地面に矢が刺さった。ゴードンの放った牽制の攻撃だ。
「撤退する。ラッドはそのまま。テセウスは残る二人を」
「了解!」
「ほい、アベル君回収! ほら、君も……って、ちょっと!」
「わ、わああああぁぁぁ!」
アベルを左手で素早く抱え上げたテセウスが、ケリーの首根っこを掴もうと右手を伸ばす――寸前、ケリーは狂乱した様子で抜剣すると、白馬へ向かって肉薄した。
「アリスちゃんを苛めないで……きゃっ!?」
日々の訓練の賜か、動転していても振るわれる剣筋に一切のブレはない――が、所詮は身体の出来上がっていない子供の攻撃。一切白馬に傷をつけることは無く、まるで羽虫を払うかの如く、前足に蹴り飛ばされてその場に転んだ。
「あっ……」
影がかかる。見上げれば、白馬の足がケリーの身体を踏みつぶそうと高々と振り上げられていた。
「……全く、子供のくせに無茶するもんじゃないよ!」
「きゃっ!?」
踏みつけの寸前、白馬の前足を強かに打ち付けるテセウスの剣。狙いを逸らされた前足は、ケリーの顔すれすれをかすって地面へと落とされた。衝撃で舞い上げられた砂埃を至近距離で吸い込んで咳き込むケリーを、テセウスは今度こそ抱え上げて白馬から離れる。
「ふぅ危なかったぁ。ケリーちゃんと違って、アベル君はおとなしくて助かるね……あ、気絶してるだけか」
アベルは白目をむいて四肢をだらんと垂れ下げていた。意識が無いならこれ幸いと荷物を担ぐように抱え直しているテセウス、その横にゴードンが並んだ。
「剣を借りる」
「盾は?」
「不要」
ゴードンはテセウスから剣を受け取ると、身を翻して白馬へと立ち向かう。殿として、接近戦を挑んで遅滞を図るようだ。
「はぁぁぁ!」
健脚の要である関節の腱を狙って閃く斬撃は。厚い毛皮と強靭に発達した筋肉に阻まれながらも傷を負わせていく。
だが。
「ねえまだ追ってくるよ!」
「くそっ、執念深すぎだろ! なんなんだよ!」
白馬は目下の脅威であるゴードンには目もくれず、アリスめがけて一心不乱に追う足を止めない。速度を緩めず走り続ける巨大な草食獣の身体はそれだけで一つの脅威で、それ故にゴードンは止めあぐねていた。
「……ならば」
ゴードンは足止めしようする立ち回りから転じて、白馬と並んで併走する。そして白馬が地形に足を取られて速度を落とした一瞬――その胴体を掴み、ひらりと飛び乗った。
「おお、乗った」
「あの人、無茶するな……」
騎乗を補助する鞍も無く、背中の翼が干渉して酷く不安定な姿勢だが、ゴードンは下半身だけの力で白馬へとしがみつく。そして救助用のロープをくるりと白馬の首にかけ、まるで手綱の様に持つ。
「大人しく、しろ!」
「――!」
ゴードンが体重を乗せて縄を後ろに引けば、引っ張られた白馬の頭部が跳ね上がり、たたらを踏んで一瞬走りを止める。白馬は瞳を歪め、甲高く嘶くと――瞬間、白馬の頭上に白く輝く六つの魔法陣が現れた。
「なっ……」
白い六つの魔法陣の中心には輝く光の槍が形作られ、ゴードンめがけて一点に照準を合わせていた。
「くっ」
光の槍が放たれる、その直前、ゴードンは白馬の背から飛び退いた。ターゲットを失った光の槍は当初の軌道そのままに、白馬の背に命中する……が、その瞬間に矢は虚空にかき消えた。術者自身は傷つけないようになっているようだ
ゴードンは再び白馬の背に取り付こうと走るが、警戒した白馬は自身の周囲に光の矢を断続的に降らせて近づけさせない。そして光の槍が向けられる標的はゴードンだけで無く、アリスにも向けて発射される。
「わっ、こっちにも来てる!?」
ラッドに後ろ向きに抱えられているアリスには、自身に向けられる何本もの光の槍が見えていて冷や汗を流す。一方でアリスを抱えて走るラッドは背後は見えていない筈だが、雨のように降り注ぐ攻撃を後ろを振り返ることも無く気配だけで正確に避けていく。
「おお、全部避けてる。後ろに目があるの?」
「口を閉じろ、舌噛むぞ!」
しかし、運悪くそのうちの一本が回避できない軌道でラッドへと迫る
「テセウス、頼む」
「せいやっ」
テセウスは一瞬抱えていたアベルの身体を上に放り投げると、空いた手で取り出した指先サイズの赤い結晶片を、光の槍に向けて投げつけた。結晶片は光の槍に当たると、パァンと甲高い音を立てて砕け、光の槍が魔力の粒子となってかき消えた。
落下してきたアベルをキャッチして再び抱え直すテセウスに、アリスのキラキラと輝いた目が向けられる。
「ねえ、今の何!?」
「カーシェライトの欠片……魔法を防ぐ便利アイテムみたいなものだよ」
「へぇ」
四百年前には無かったアイテムだ。アリスは好奇心がうずうずと触発されるが、今はそんな場合では無い。
状況はそこまで悪いというわけではない。白馬の攻撃は苛烈ながらも騎士達ならば容易に避けられる程度のもので、ゴードンの妨害のおかげで白馬に追いつかれることもない。けれど引き離すことも出来ておらず……
「ん、あれ?」
ふと、鼻についた異臭。アリスはその発生源を探して視線を巡らせ、それがずっと抱えたままだったユサリの実――戦闘の余波で表皮が僅かに破けて、果汁が漏れ出たらしい――であることに気づいた。
「ねえ、ラッドさん。ユサリの実ってすっごく不味いんだよね?」
「ああ、そう聞いているが。今はそんな話している場合じゃ……」
「匂いはどうなの?」
「それも酷いもんらしいぞ。まともに嗅いだら鼻がひん曲がるぐらい……に……」
言葉の途中で、ラッドはアリスの意図するところに気づいた。アリスが動きやすい様に、お腹を両手で持つ形に抱え直すと、くるりと転身して追ってくる白馬へと向く。
「やっちまえ!」
「いくよ、ていやーっ……『ブラスト』!」
アリスはやや気の抜けるかけ声でユサリの実をぽーんと投げ……るだけでは飛距離が足りなかったので風魔法を当てて飛ばす。直後、横を走るテセウスが「あー!?」と悲鳴を上げた。飛んでくる木の実を白馬は身体を僅かに身体を捻って回避しようとするが。その瞬間。
「ゴードンさん!」
借り物の剣から得物の弓にもちかえたゴードンが、素早い射撃をユサリの実に向けて放つ。矢につらぬかれた木の実は、中身を果汁ごと白馬の顔面へとぶちまけた。
「やっぱり、動物には効果抜群みたい」
鼻が曲がるような異臭を放つ果汁を顔面にぶちまけられた白馬は悶絶し、速度を落とした。その瞬間、ゴードンが放った矢が白馬の右目を射貫く。生物にとっての急所の一つを貫かれた白馬は、完全に足を止めた。
「やった!?」
「ああ、上手くいった……いや、まだだ!」
瞬間、白馬の周囲に現れる光の槍を放つ魔法陣――その数、百。片目を潰されて正確に狙いをつけられないせいか、その照準はめちゃくちゃだが、数か数だけにそのうちの幾つかはアリス達に狙いを合わせている。
「クソ、この数じゃ避けてもどれかには当たる……仕方ない」
「ラッドさん?」
「じっとしてろ、動くなよ」
ラッドはアリスを地面に下ろすと、剣を右手で腰だめに構え、その柄にはめられている赤い宝珠に左手を添えた――宝珠が輝きを放ち、剣身がうっすらと赤い光を纏い始めた。
「『魔法剣・イレイズ』!」
瞬間、白馬の魔法陣から放たれる百の光の槍。ラッドはその中で命中する軌道の攻撃だけを見切ると、それらを切り裂くように剣を振るう。剣身が纏った赤い光による効果だろう、槍は切られるやいなや、虚空に溶けるようにかき消えていった。
「……これ、なんだろう。私が知ってる『イレイズ』とはちょっと違う」
『イレイズ』は魔法をかき消す盾を召喚するというもので、このように剣に纏わせるという使い方では無かったはずだ。
「これで……最後!」
そうしてラッドの剣が光の槍を防ぎきったのと同時……限界が訪れたのだろう、白馬はその場にドサリと倒れた。それを確認するやいなや、ラッドは再びアリスの身体を抱え上げて駆け出す。
「よし、今のうちに逃げるぞ!」
「ああぁ貴重なユサリのサンプルが……けど、アリスちゃんナイス作戦だったよ!」
次第に距離が離れていく白馬を背後に、テセウスが涙目で嘆く。一方で、立役者のアリスは、何かが気がかりであるかのように、遠ざかる白馬の姿をじっと見つめ、呟く。
「ねえ、貴方たちは――」
◇◆◇
白馬を振り切ったアリス達は、それ以上の襲撃に遭うこと無くやがて門へとたどり着いた。門兵にゴードンが事情説明をしにいく中、ずっとラッドに抱えられていたアリスがようやく下ろされた。
「怪我は無いか?」
「ううん、どこも怪我してないよ。でも、こんなことになっちゃうなんて」
「可能性としては十分予測できてた事だ。あそこまで執念深いのは想定外だったが……」
「あ、そうそう、あの技って何!? ラッドさん魔法使えたの!?」
「……気にするところはそこなんだな。あれは魔法剣っていって、まぁ簡単に言えば魔法の効果を武器に付与する技だ」
「へぇ……『イミテアエクス』と似てるね」
『イミテアエクス』は魔力そのものを剣に浸透させることで一時的に剣を変質させる技だが、魔法剣は魔法そのものを剣に付与するらしい。似てるようで違うその技にアリスが興味津々でいると、ラッドは少し驚いた様子。
「よく知っているな。魔法剣はかの聖女様が編み出した『イミテアエクス』を元にして生み出された術なんだ……というか、友達の心配はしなくて良いのか」
「そ、そうだ! ケリー達は大丈夫かな!?」
ちょっとだけ、忘れていた。
気まずそうに横に逸らされた視線の先で、テセウスが両脇に抱えていた二人を下ろす。ずっと白目をむいて気絶していたアベルは、テセウスが目の前で手をパァンと叩いた音で正気に戻った。
「え、あれ? ここどこ? 街? 昼飯は?」
「残念ながら、昼食は食べ損ねたねぇ」
事態を飲み込めていないアベルとは対照的に、ずっと意識を保っていたケリーは、下ろされて僅かに放心した後、アリスめがけて一直線に駆けだした。抱きしめようとする姿を見て、アリスは瞬時に「あ、いつものやつだ」と悟る。
「ほら、ケリー。私に怪我は無いから――」
「うわぁぁぁん、怖かったよー!」
「あれ?」
てっきり心配されるのかと思いきや、ケリーはアリスにひしっと抱きついてわんわん泣き出した。
「でっかいお馬さんが、わーって、魔法がすごく飛んできて……うぐ、ひっく、目が、とても怖かったの……ぐすん」
「あーよしよし、怖かったねー」
(そっか、普通の子供はこれが当たり前だよね)
ちなみに何が起こったかすら良く覚えていないアベルは例外だ。
「ごめんね、私、アリスちゃんをまもらなくちゃいけないのに……」
「でもほら、剣を抜いて戦ったじゃん。ケリーは立派だよ」
「でも、結局何も出来なくて……ただ皆の足を引っ張っただけで」
「ああ、その通りだな」
「ラッドさん!」
「立ち向かおうとする無謀さはあの状況では軽率だ。すぐにテセウスがカバーしたからよかったが、あのままなら確実に死んでいた。それを理解しているか?」
「……はい」
「守るってのは、何も戦うって事だけじゃない。今回みたいに敵に背を向けてみっともなく逃げ回るのだって、立派な騎士の役目の一つだ。それを身をもって理解できたのなら……ま、今回は及第点だろ」
ふっと表情を和らげたラッドに、ケリーがこれ以上泣かないかドキドキしていたアリスもほっと一息つく。その頃合いを見て、黙っていたテセウスが場の雰囲気を和らげようと冗談めかして言う。
「ま、そもそも見習いなんて端から戦力に数えてないし。ただのお荷物にしてはよく頑張った方だと思うよ」
「……うぐっ」
「ケリー!? 気を確かに持って!?」
「テセウス、お前……無自覚に毒吐く癖はほんと治らねえのな……」
「あれ、褒めたつもりだったんだけど……」
「……なんの騒ぎだ?」
丁度、門兵との話を終えてゴードンが戻ってきて、不可解な状況を訝しんだ。それもすぐに気にしないことにしたらしく、淡々と報告を始める。
「対処は街の衛兵長と教会長を含めて日の入り五の刻に話し合うこととなった。テセウス、それまでに森へ潜って偵察と情報収集をしろ」
「了解です。じゃ、いってきますね」
「ラッドは引き続き護衛の任を続けろ。伯爵様への報告は俺がやる」
「わかりました……アベルとケリーも一緒に面倒見ておきますか?」
「……いや、この子らは俺が家まで送り届ける。一度、心を落ち着かせる時間が必要だろう。そっちも、両親に早めに迎えに来て貰うように」
「あ、弓の兄ちゃん! 俺んちここのすぐ近くだから案内するね!」
ずっと気絶していただけに一番元気なアベルがゴードンの手をぐいぐいと引っ張っていく、その後ろ姿を苦笑いして見送りながら、アリスもラッドと一緒に家への帰路をたどるのだった。
その後。
アリスが襲われたという話を聞いて両親が仕事を放り出して慌てて帰ってきたり。両親の顔を見たことで溜まっていた疲れが押し寄せて、その日の夕方までぐっすり昼寝をして過ごしたり。夜は久しぶりに家族三人で並んで眠りについて時がすぎていった、その日の深夜。
「……あれ? ここ、どこ?」
アリスの姿は――夜の森の中にあった。
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