二十一話 白馬Ⅰ
――三年祭まで、あと六日。
翌朝、アリスをリーダーとする白馬捜索隊は街の北門の前に集まっていた。
「悪いな、アベル。見習いの仕事は大丈夫なのか?」
「いえ、俺もアイツの正体が気になるって思いは一緒ですから。仕事の方は天使様と騎士様の頼みなら仕方ないって師匠も言ってました」
メンバーは昨日に引き続いてアリスの護衛として同行するラッドと、目撃地点までの案内役として駆り出されたアベル。行楽のような探索だが、ラッドは森歩きに適した軽装の革鎧、アベルは狩り人の装束と弓をしっかりと着込んで油断はない。
「ケリーも来るの?」
「うん、今日の私はアリスちゃんの護衛だよっ」
「……騎士を目指す上で良い経験となる」
子供用の装備を着込み、今日は特別に訓練用の木剣では無く実戦用の剣を帯びたケリーは、やる気十分と言った様子でふんすと鼻を鳴らしていた。その後ろで、護衛兼ケリーの指導役として同行するゴードンは、今にも気が逸りそうなケリーを心配そうに見ていた。
尚、隊長のリチャードは予定通りに日の出前にコルドに向けて出発し、エルリックは街の見回りのために居残りだ。
そして第二部隊の残る一人、テセウスは。
「天気は晴天! 絶好の探索日和! 森に潜むは正体不明の白馬の魔物! 果たしてその正体は何なのか! いざゆかん、解き明かすべき未知が僕を待っているぅ!」
「……テンション高いね、テセウスさん」
目を誰よりも――発起人であるアリスよりもキラキラと輝かせて先頭に立ち、剣を空にかかげて壮大な口上を叫んでいた。第二部隊の中では平凡で目立たない騎士、そう思っていた相手がこれまでに見たこと無いほどはっちゃけている姿に、アリスとケリーはちょっと引いていた。
「ねえラッドさん。テセウスさんどうしちゃったの……?」
「あー、親父の影響で、アイツも未知の生き物とかには目がないんだ。持病みたいなもんだから気にすんな」
「気にするなって言われても「もたもたしてないで早く行こう! 遠くへ逃げられる前に一刻でも早く見つけ出さなければ!」――その、すっごくウザい」
「そのうち慣れる」
うんざりとした表情を隠そうとしないアリス。その背中でぴこぴこと揺れる翼を何気なく見ていたケリーが、あっと声を上げた。
「未知の生き物好きってことは、アリスちゃん、一歩間違えたらテセウスさんに解剖されてたかも……?」
「怖いこと言わないでよ!? ていうか私珍獣扱い!?」
「ははは、人型には興味が無いから安心してよ! それじゃ、しゅっぱーつ!」
森を歩き始めてしばらく。案内役として一行の先頭を歩くアベルが、道すがら、隣を歩くアリスに講釈をたれていた。
「野生動物ってのはさ、警戒心がすごいんだ。ちょっとでも人の気配を感じるとすぐ逃げちまうし、人が作った物には近寄らないんだ」
「うんうん」
「だから人がよく通る街道に近い場所は狩り場にしないし、同じ場所を何回も続けて通らないようにしてるんだぜ!」
「だからこんなに歩きづらいところ通ってるんだねー」
普段は見習いとして教わる立場なので、自分より下の相手に教えるのが楽しくて仕方ないらしい。自慢げに披露される狩りの知識をアリスは素直に感心して聞き入っていた。ちなみにアリスはそんな狩り人の知恵などは持ち合わせていないが、魔王時代には真っ向勝負で野生動物を狩って食べていた。世界最強の力の前にはただの野生動物など無力なのだ。
「でも、今日は狩りじゃ無いんだから歩きやすい道を通ったらいいんじゃない?」
「……ほ、ほら! 狩り人たるものいかなる時でも油断しないのが心得なんだ!」
「ふーん、そういうものなの?」
「そうそう! あと本当は移動中はこんなにぺちゃくちゃしゃべらないんだ! できる限り気配を消して、息を潜めて。じゃないと野生動物に逃げられちま――」
「あ、野ウサギ」
茶色い毛並みのウサギが一匹、側の茂みから飛び出してきてアリスの足下をぴゅーと駆け抜けた。続いて二匹、三匹と通り過ぎていき……遅れて飛び出した生まれたばかりの子ウサギが、アリスの足下で木の根に躓いて転んだ。きゅー、と目を回す子ウサギをアリスはやさしく抱き上げると、そのまん丸な目をじっと見つめ。
「お昼ご飯ゲット」
「アリスちゃん!? 流石に可哀想だよ!?」
「うーん、確かにまだ小さいもんねー」
アリスは少しばかり悩んだ末、子ウサギをそっと地面に下ろした。本能的に危機を感じたのか慌てて去って行く姿を、ひらひらと手を振って見送る。
「もっと食べ応えのあるサイズにまで成長するんだよー」
「ア、アリスちゃん……」
「意外と容赦ないんだな」
滅んだ世界を救うために世界中旅して回った聖女時代。酷いときには痩せこけた小鳥一羽ですら貴重な食料だった。そんな過酷な日々の中でアリスは学んだのだ。
動物は可愛い。もふもふは癒やし。でもそれはそれとしてご飯はご飯、と。
意外にドライな一面にケリーとラッドが恐れおののいている傍ら、アベルは肩をがっくしと落としていた。
「なんだよぉ……ウサギ一匹捕まえるのだってほんとは大変なんだよぉ……あっさり捕まえやがって……」
「まあまあ、あの子はいろんな意味で特別だから。でも、森の様子ががおかしいというのは確かみたいだね。生き物の気配が多すぎる」
「ちょっと前までこんな事は無かったんだけど……」
テセウスが少し息を潜めて五感に集中すれば、至る所から感じ取れる野生動物の気配。いくらベルフ大森林が肥沃な土地とは言え、その数は異常と言うべき程だった。
「この原因も気になるけど……まずは白馬を探そう、アベル」
「そ、そうだな……よーし、アリス! はぐれないようにしっかりついてこいよ!」
「はーい」
最初に向かう目的地は、アベルが最初に白馬と出会ったらしい。街道から大きく外れた道のりは、鬱蒼と茂る草木や地面を這う木の根のせいでとても歩きづらいが、さすが狩り人の端くれと言うべきか、アベルはすいすいと進んでいく。騎士達も森歩きはお手の物で余裕の足取りだ。
「みんな、待ってよ~……わわっ!?」
そんな中、ケリーは初めての森歩きに大苦戦で、息を切らしてなんとか付いて来れているといった様子だ。草に隠れて見えなかった太い木の根に足を取られて転んでいると、見かねたアリスが側へ駆け寄って手を差し伸べた。
「ほら、掴まって」
「あ、ありがとうアリスちゃん……」
「こういうときはねぇ、前を歩く人がつけた足跡をなぞって歩くといいよ。あと、しっかりと膝を上げるようにね」
「うん、やってみるね」
「他にも、コツがあってね――」
ケリーはアリスから教えられたアドバイスを実践し、少しずつだが足取りが安定し始めた。もう大丈夫だろうとアリスがすいすいと進んでアベルの隣に戻れば、テセウスが感心していた。
「アリスちゃん、随分と森の歩き方が上手いね。どこで覚えたの?」
「あ、あはは……その、昨日きょうかいちょーに教えて貰ったのー」
もちろん、本当は前世の経験である。
「なるほど。流石、用意はバッチリだね」
「でも、あのじいさんがそんな事知ってたのか……?」
騎士二人は訝しげに顔を顰めていたが、「あっ!」とアベルがあげた声で意識をそっちに向けた。
「あ、ほらアレアレ! 俺、あのてっぺんになってる実を採ろうとして落ちたんだよ!」
「あれは確かに高いな……」
アベルの指さす先には、大木の頂点に黄色と緑がまだらに合わさった色彩の、子供の頭程の大きさがある木の実が一つ生っていた。その位置は見上げるほど高い。
「今回の目的は例の白馬だが、あの木の実も気になるな。けどあの高さじゃどうしたものか……」
「そうだね。僕も少し調べたいことがあるけど、木登りは苦手だからなぁ。アベル君、背中の弓で上手く打ち落とせない? 勿論、木の実は傷つけちゃダメだからね」
にこやかな笑顔で振られるテセウスの無茶ぶりにアベルはクビをぶんぶんと横に振る。
「無理無理! あんなに遠い的、当てられないって!」
「そっかぁ、残念」
「欲しいなら登って採ってくるよ。昨日は油断しただけだし、今度こそ落ちない――」
「その必要は無い」
アベルの言葉を遮ったのはゴードンだ。背負っていた得物の弓を構えると、照準する時間も一瞬に、素早く矢を放った。
――バシュッ
「す、すげー。一発で当たった……」
「ゴードンさん、すごい」
「造作も無い」
鏃は正確に実と枝を繋ぐ蔓だけを切り裂き、実の本体には傷一つ付けること無く落とした。落ち葉の山に落下した木の実をテセウスは拾い上げて検分する。
「ラッド、どう思う? やっぱりアレだと思うんだけど」
「ああ。この変な模様と大木のてっぺんに生る性質。間違いない」
「やっぱり。うわぁ、実物が見られるなんて感動だなぁ」
「二人はこれが何か知ってるの?」
木の実は初めて見る物だ。こてんと首をかしげて、テセウスの服をちょんちょんと引っ張るアリス。ケリーとアベルも知らないようで、同じ向きに首をかしげていた。そんな子供達の疑問に、実の検分に夢中なテセウスに代わってラッドが答える。
「これはユサリの実っていってな。別名幸せの実とか、幻の果実とか呼ばれている。一応この国ならどこでも自生している種類ではあるんだが……まあ、普通に生きてて出会うことは中々無いだろうな」
「へー、貴重な物なの?」
「もしかして高級品なのか!? うわぁ、昨日諦めずに再チャレンジしたらよかった……」
「貴重だし、出回れば高値で取引されるのは違いないんだが……ユサリの実はな、実が認めた場所にしか生らないんだ」
ラッドはしゃがみ、足下の土を一掬いする。森の恵みをたっぷりと含んで黒く湿った腐葉土が、指の隙間からパラパラとこぼれ落ちた。
「土地が良く肥えているのは最低条件。他にも周囲の生態系のバランスや、日射量、外気温、果てはその地に住むヒトの社会の安定まで……ありとあらゆる環境が条件を満たして初めてユサリは芽を出すんだ。そして一晩のうちにあっという間に大木にまで育って、花を咲かすことも無く実をつける」
「一日でここまで大きくなるの? 不思議な木なんだねぇ」
「ユサリの実が生るってことはその地が豊かで恵まれている証だ。だから幸せの実だなんて言われる。そして、四百年前に魔王のせいで世界がめちゃくちゃになった後は、ユサリが実をつけるほど豊かな土地なんてめっきり無くなり、今では幻の果実と呼ばれるようになった。一時は絶滅したと考えられていたらしいぞ?」
「……そ、そうなんだ。残っててよかったねぇ」
まさか、自分の過去のやらかしがそんなところにまで影響していたとは。原因の張本人であるアリスは密かに頬を引き攣らせていた。
「……でも、不思議だなぁ」
「テセウスさん?」
同じように土を掬い上げては調べていたテセウス。その表情は納得いかないと言った様子だ。
「確かに、このベルフ大森林が肥沃な土地であることは間違いないんだが……この辺りの環境じゃ、ユサリが認めるにはまだ一歩足りない筈だ。野生動物の大量発生のことも……何かがこの森で起こっているのか……?」
「ところで、ユサリの実って美味しいの?」
「それがね、信じられないほど不味いって話だよ」
次回の投稿は12/31を予定しています。
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