二十話 祭りに向けてⅢ
――森で翼の生えた白馬を見た。
そんなアベルの話は何かの見間違いだろうと受け入れられず、狩り人達はやがて興味を失って去って行った。一人残されてしょんぼりとうなだれるアベルに、アリスはにこやかに話しかける。
「アベル君、おはよう」
「うぇ!? 天使様!? なんでここに!?」
「なんでってただのお使いだよ。あと、アリスでいいってば」
「お、おう……お、お気遣いありがたく?」
「もう、そんなかしこまらなくてもいいのに……」
「いや、だってよ……」
本人に自覚は無いが、アリスは街でもトップレベルの美少女だ。そんな相手と急にエンカウントしたアベルは緊張して背筋をピンと伸ばした。その背中には子供用の、けれど確かに殺傷力のある弓が矢筒とセットで背負われていて、足下は頑丈な革のブーツ。動きやすく自然に紛れる地味な色合いで纏められた装いは、子供ながら立派な狩り人のものだ。
「アベル君のお仕事着、初めて見た。よく似合ってるね」
「お、おう、ありがとな……へへっ」
内心でちょっと憧れている女の子に褒められたアベルは、照れて頬を掻きながらちょっと格好付けてみせる。ちなみにアリスは本人の認識的にはとっくに大人の精神年齢なので――性格は外見以上に子供っぽいのだが――たかが八歳の少年など恋愛対象ではなかったりする。もっとも外から見ればそんなことはわからないので、後ろではケリーが親友を取られまいと密かに睨みをきかせているのだが。
「ねえ、アベル君。さっきの話って……」
「あ、そうそう! 俺、森の中ですげーもんを見たんだよ!」
興奮気味に話すアベル曰く――今朝、日の出前にベリーを取りに一人で森に入った時のこと。身長の何十倍はあろうかという高さの大木を見つけ、てっぺんには見慣れない大きな果実が生っていた。アベルはそれを採ろうと登ったのだが……木の実まであと一歩というところで足を滑らせて落ちてしまった。
「落ちたって、大丈夫なの!?」
「は、はやくお医者さんに見て貰わないと……」
「運良く落ちたところに落ち葉が積もっていたみたいでさ、怪我は殆ど無かったんだ。でも落ちたショックでちょっと意識が飛んじゃってさ……」
目を覚ますと、自分は狩り人達が休憩場所として使っている小川のほとりに寝かされている事に気づいた。周囲に人の姿は無く、誰がここまで運んだのかと不思議に思って辺りを見回すと――対岸の木々の隙間から白い馬がこちらを覗いていた。白馬は荷馬の倍はあるほど大きく見上げるほどの体高で、背中にはアリスの背中にある物とよく似たこれも大きな白い翼が生えていた。
「翼の生えた、白馬……!」
「びっくりして叫んだら、そいつは森の奥に消えちまったんだ……言っとくけど、嘘じゃねーからな! 大人達は全然信じてくれなかったけど、本当に俺は見たんだから!」
「でも、そんなお馬さんがいるなんて聞いたこと無いよ……?」
「なんだよ、ケリーは俺が嘘ついてるって言いてーのかよ」
「そういうわけじゃ無いけど……」
アリスは目を輝かせていて、ケリーは半信半疑と言った様子のようだ。二人の後ろで話を聞いていたラッドが二人の間に入って、屈んでアベルと視線を合わせた。
「なぁ、アベル君 幾つか聞いていいか?」
「騎士の兄ちゃん。ああ、俺に答えられることなら……」
出会ったときの状況、馬の詳しい特徴、周辺の環境など……矢継ぎ早に次々と繰り出される質問。その後ろでケリーとアリスがひそひそと話す。
「翼のあるお馬さんなんて……アリスちゃん、聞いたことある?」
「ううん、私も知らない」
「そうだよね……ほんとにいるなら、ちょっと見てみたいなぁ」
転生前は世界中を駆けずり回ったが、果たしてそんな生き物がどこかにいただろうか。アリスがうんうんと唸っていると、ケリーが突然わたわたと慌てだした
「あ、ち、違うからね!? 浮気じゃ無いから! アリスちゃんの翼のふわふわが一番だから!」
「ケリー、何の話……?」
そうこうしている間にラッドは聞きたいことを聞き終えていた。結局たいした収穫は無かったようで、天を仰ぐラッド。
「ダメだ、見当もつかない。やっぱり魔物のことならテセウスだな」
「テセウスさんって確かお父さんが魔物学者なんだっけ?」
「そう。アイツ自身も詳しいからもしかしたら正体がわかるかもしれないが……やっぱり、この話だけじゃ情報が少なすぎるな。せめて実物を見ないことには」
「なあ、それなら騎士の兄ちゃんも森に来てみるか? 俺、そこまで案内――「おーい、アベル! いつまでもサボってないで来い!」――あー、その……」
「構わないから行ってきな、また気になることがあれば聞きにいく」
「アベル君、お仕事頑張ってね」
「お、おう……じゃあまたな、アリス。騎士の兄ちゃん! あとケリーも」
「あ、私はついでなんだね」
大人達に呼ばれて走り去って行くアベル。その姿が曲がり角で見えなくなるまで見送ったアリスはくるりと振り返った。
「ねえ、ラッドさん――」
「ダメだ」
「まだ何も言ってないよ!?」
「何考えてるか顔に全部出てるぞ」
見上げるアリスはとても楽しそうな笑顔で、新しいおもちゃを見つけた子供のように目はキラキラと輝いていた。余りにもわかりやすい態度にケリーも苦笑いしていた。
「で、予想はついてるけど一応聞いておこうか?」
「白馬、探しに行こう! 捕まえて飼いたい!」
「ダメ」
「むー、なんで!」
「その白馬がどんな存在かわからない以上、不用意なことはさせられない」
「でも、アベル君を助けてくれたみたいじゃん! きっと大人しいんだよ!」
「そうでなくとも、ここらの森は危険が多いんだ。前に蜂共に襲われて危うく死にかけたの、忘れたわけじゃ無いだろ?」
「うぐっ」
トゥループ・ウェスペの群れと遭遇した時の事は、今でも記憶に新しい。顔面に大きな風穴を開けるほどの針が眼前に迫ったときの光景など、しばらくは何度か夢に見たほどだった。
「……どうしても、だめ?」
最後のダメ押しとばかりに、アリスはラッドの服をぎゅっと握って上目遣いで見上げてみる。父ならばメロメロになって何でもお願いを聞いてくれるアリスの必殺技なのだが、ラッドには効果が無いようだ。万策尽きたアリスががっくしと肩を落としていると、意外なところから加勢が現れた。アリス達の会話を少し離れて聞いていた、果実店の店主のおばさんだ。
「まあまあ、騎士様の言い分もわかるけど。ちょいと頭が固すぎるんじゃないかい?」
「店主さん……いや、しかし」
「森だってどこもかしこも危ないって訳じゃ無いし、見習いのガキ共だって浅いところなら入ってるじゃないかい。詳しい話はわかんないけどさ、変な馬を見たってところ、大分近場なんだろう?」
「ああ、門から半刻ほど歩いた辺りだって言ってた」
「なんだい、その辺に出るのなんかイノシシぐらいじゃないか。この子達だけだけで行くってならあたしも反対だけどさ、アンタみたいな立派な騎士様がついてるんなら何の心配があるってんだい。青だか赤だかよく知らないけど、領主様に仕えるってぐらいなんだから相当に強いんじゃないかい?」
「うん、ラッドさんはすっごく強いよ。何があってもちゃんと守ってくれるって信じてる」
店主からの加勢に便乗するかのようなアリスの物言いだが、その言葉は紛れもなく本心だ。トゥループ・ウェスペとの戦いの時に目にした精鋭の騎士の名に恥じない戦いぶりは今でも覚えていた。
「この子、あと一年もしないうちにこの街を出て行っちまって、暫く帰ってこれないんだろう? 自由にできる内に少しでも思い出を作ってやるのがいいと思うんだがねぇ」
「……はぁ、わかったよ」
「ラッドさん!」
「ただし、念のため俺以外も護衛に付けた上で、捜索は許可した範囲まで。件の白馬に出会っても不用意に近づかない。撤退の指示には必ず従う。それを約束した上でだからな」
◇◆◇
追加の護衛の確保やリチャードへの許可取りなどですぐに行くという訳にはいかず、白馬捜索は翌朝に決行される事になった。アリス達がおつかいを終えて教会に戻り、子供達と一緒にお祭りの準備に勤しんだり教会のお手伝いをしたりしていればあっという間に日没の時間となった。
朝はアリスが起きるよりも早く家を出たロナルドも夜はなんとか帰れたようで、夕食の席には一家揃って着くことができた。ミーネ特製のキノコのクリームシチューを囲んで話題に上るのは、アリスが聞いてきた白馬の話だ。
「――それで、明日は朝から皆で探しに行くんだ」
「へぇー、翼の生えた白馬ねぇ」
「お母さん、聞いたことある?」
「いいえ……お父さんは?」
「俺も聞いたこと無いな。ただ、森の様子がいつもよりおかしいってのは、コルドから今日来た商人も言っていた。ここに来るまでに五回も魔物に襲われたらしい」
「やっぱり、ちょっと変なんだね」
コルドとケールの間は騎士により定期的に魔物の掃討がされているので、通行の間に三回も魔物の襲撃に遭えば多いほどだ。
「お祭りが近いのに、何事も無いといいのだけれど……」
「まかせてよお母さん! 私が白馬をとっちめてさっぱり解決してあげるんから!」
「……森の異変ってその白馬が原因なの?」
「え? えーっと……たぶん?」
勢いだけで特に考えが合ったわけでは無いので、アリスは途端に目をそらしてしどろもどろになっていた。
「ふふふ、本当にアリスちゃんが白馬を連れて帰ってきたら大変ねぇ。餌代もたくさんかかるだろうし、馬小屋が必要になっちゃうわ」
「うーん、そういう面倒な問題は全部、伯爵様になんとかしてもらおう! 楽しみだなぁ」
ご飯を上げて、ブラッシングしてあげて、仲良くなったら背中に乗せてもらって。翼があるのなら空も飛べるかもしれない。それなら騎乗したまま空中散歩というのも楽しいだろう。まだ出会ってすらいないのにアリスがわくわくと妄想を膨らませていると、ロナルドが不思議そうな目で見ているのに気づいて、首をこてんとかしげた。
「お父さん、どうしたの?」
「なんでもないよ。ただ、随分とその白馬の話にいれこんでるなーと思ってさ」
「そうねぇ、珍しくわがままもいっちゃって。アリスちゃん、そんなにお馬さん好きだったの?」
「ん? そんなことはないよ」
動物は好きな方だし、魔王だった時には一時期拾った三つ首の魔犬をペットにしていた。けれど、とりわけて馬が好きだということは無かった筈だ。
それに、白馬には心惹かれたというよりもむしろ……
「アベル君から白馬の話を聞いた瞬間にね。なんでかわからないけど、会いたい……ううん、会わなきゃって思ったの」
「不思議な話ねぇ」
「運命の出会いと言う奴かもな。案外、白馬もアリスに会いにやってきたんじゃないか?」
「翼があるって言うし、実はアリスちゃんのお仲間なのかしら?」
「はは、流石にそれはないだろう。馬が天使なんて聞いたこと無いぞ」
「お父さんの言うとおりだよ。流石にそれは……」
そう言いかけたアリスの頭によぎるのは、クシャナから聞いた世界の異変。アリスがこの世界に生まれてから、女神フレイヤが次々と新たな天使を生み出しているという話だ。馬が天使になるということは無いと思うが……
「……まさか、ねぇ」
次回の投稿は12/24を予定しています。
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