十九話 祭りに向けてⅡ
『聖誕の儀』はこの三年間に新たに生まれた子供達が司祭から祝福を授かるという、『三年祭』のメインイベントでもある儀式を任せたいと言われて、アリスは即答で断った。
「い、嫌なのですか」
「うん、絶対にやりたくない」
『聖誕の儀』はこの三年間に新たに生まれた子供達が司祭から祝福を授かるという儀式。祭りの由来ともなった聖女の祝福の名残で、すなわちアリスにとっては聖女時代の辛い日々を思い出す――思い出してしまう儀式だ。外から見ているだけならともかく、自分がやるなどもう二度と御免だった。想像しただけで当時の苦労を思い出して、胃がキリキリする。
「ていうか、いつもきょうかいちょーがやっていたじゃん」
「領主様から要望されたのですよ」
「……伯爵様、今度は何考えてるの?」
「高位貴族からの信を受けて重要な神事を執り行ったという実績は、後に大聖堂で立ち回るにあたって役立つのですよ。それに、祭事には領主と親交のある貴族が招待されます。非公式ですが、アリス様のお披露目も兼ねるようで」
「むぅ、めんどくさい」
「まぁまぁ。それに、これは儂からの望みでもあるのですよ。アリス様が街を旅立たれる前の最後の祭りとなるのですから、記念にと思いましてな」
「だからって……」
「加えて、我が子には是非天使様からの祝福をと言う住民からの要望が、前々からたくさん……アリス様?」
「あーあー、聞きたくない!」
前世での辛い記憶を連想させる話など聞きたくないと、耳を塞いでいやいやと頭を振る。普段は素直で聞き分けの良い少女が珍しくだだをこねる姿に、ベイルークは困惑を隠せない。
「ふむ……なにゆえそこまで嫌がるのかはわかりませんが、無理にやらせるわけにはいきませんな」
「うんうん、今年もきょうかいちょーがやってね。私は隅っこで応援してるから」
「ええ、そうしましょうか……はぁ、残念ですなぁ。死ぬ前にアリス様の晴れ姿を一目見たかったのですが」
「うっ」
ベイルークはくたびれた様子でソファに深く沈みこみ、よよよと泣き崩れた。
「老い先短い身、身寄りの無い儂にとってアリス様は孫娘のようで、その成長を見守るのが日々のささやかな幸せなのですがなぁ」
「うぅ……っ!」
「アリス様が王都から戻ってくる頃には、儂の魂はきっと世界の循環へ還っていることでしょう。せめて最期の思い出にアリス様の立派な姿を心に焼き付けたかったのですが……嫌がるのなら仕方有りません、泣く泣く諦めるとしましょう」
「~~~!!!」
演技だ、絶対に演技だ――アリスは確信する。そもそも確かにベイルークは高齢だが、ケールの街でも上から数えた方が早いほど元気なおじいちゃんだ。昨日だって孤児院の悪戯小僧の頭に鉄拳を落としていたのをアリスは知っている。恐らくあと十年や二十年で到底くたばらないだろう。
それを頭では理解している。理解しているのだが……アリスの心の中でむくむくと膨れ上がる罪悪感。
「あー、もう! わかったから! やればいいんでしょうやれば!」
「おお、引き受けてくださるのですね! 言ってみるものですなぁ」
「こ、このクソジジイ……」
「おやおや、淑女がそんな言葉遣いしちゃいけませんぞ?」
さっきまでの哀愁漂う姿はどこへやら、あっさり普段の好々爺とした雰囲気に戻ったことに、アリスはもはや怒りを通り越して呆れを覚えた。
「ていうか、さ! よく考えたら、伯爵様からやれって言われてるんだったら私は断れないじゃないの!」
伯爵の庇護下にあるアリスは、庇護の対価として命令に従う義務がある。実際に多大に世話になっている以上、嫌でもやらざるを得ないのだ。
「まぁまぁ心配なさらずとも、アリス様ならきっとうまく出来るでしょう。たしか先月でしたが、急病で倒れたシスターの代理として一日勤められた時など見事にやり遂げたではないですか」
「あー、そんなこともあったけど……」
腐っても元聖女。シスターのまねごとなどお手の物だ。しかし問題はそこでは無いわけで……
(仕方ない、伯爵様に胃痛に効くお薬を用意して貰おう……)
リチャードは二月に一度、定期報告と家族への顔見せのためにコルドに帰っている。丁度明日が次の出発なので、言付けを頼めば伯爵がこっちに来るときに持ってきてくれるだろう。きっとまたとてつもなく苦いだろうが、背に腹は代えられない。
「それで、用はそれだけ?」
「ええ。他にはございませんよ」
「ふーん、じゃあもう戻るね」
つーん、と全身で不機嫌を主張しながらアリスは執務室から出て行く。扉が完全に閉まる直前、背中にベイルークの優しげな声がかけられた。
「孫娘のように大事に想っているというのは本当である故、誤解無きよう」
「……し、知らない!」
照れ隠しにバタンと大きな音を立てて閉じられる扉。ぷりぷりと怒る小さな背中を見送ったベイルークは、ため息を吐いてソファに深く沈み込んだ。
「本当に、領主は何を考えておられるのか」
チラリと、ベイルークが視線を向けた執務机の上。大量の決済すべき書類に混じってもう一通、領主から彼個人宛に送られてきた手紙が置かれていた。
アリスに内容を伏せるように厳命されたその内容は、領主がケールの三年祭に招待した数名の貴族の名前。更に、その一人はアリスにとって……そしてベイルークにとっても因縁深い相手だった。
「かのルードベルド伯爵を招待、ですか……本当に、何事も起こらなければいいのですが」
◇◆◇
「おかえり……顔が赤いが、どうした」
「なんでもない」
「いや、でも」
「なんでもないの!」
「そ、そうか? ……教会長、一体何を?」
珍しく……というよりも初めて見る程不機嫌なアリスの姿に、ラッドは困惑を隠せなかった。相変わらず子供達に混じっているエルリックも、かつての夜にアリスから向けられた殺意を思い出して凍りついていた。
「みんな、頑張ってる……というわけじゃなさそうねー」
大聖堂では相変わらず子供達があくせくと作業をしている……ように見えて飽きて遊び始めているようだ。その傍らで、子供達の側でお目付役として座っているシスターのジーニーが困ったような表情をしていた。
「ジーニーさん、どうしたの?」
「ああ、アリス様。これからお祭りで焼くクッキーの材料を市場に注文しに行こうとしていたのですが……そのぉ」
「寝ちゃってるね-」
困り顔のジーニーの膝の上ですやすやと眠る小さな男の子と女の子。今年で三歳になる双子のカイとララだ。
「忙しくなる前に済ませてしまおうと思ってたのですが、今立ち上がると二人を起こしてしまうのでどうしようかと……」
「それなら私が代わりに行ってこようか?」
「え、いいんですか?」
「うん、ついでにケリーも誘おうかな。そろそろ朝の稽古が終わった頃だろうし」
「なら、お願いしますね。ええと、買い物メモは確かここに……」
「ラッドさーん、これから市場に行くから一緒に……何やってるの?」
「聞くな……」
いつの間にか全身を色とりどりの布で飾り付けられて黄昏れているラッドを見て、アリスは困惑するのだった。実行犯は子供達、首謀者はエルリック。
子供達に文句を言われながらも飾りを丁寧に外したラッドを連れてアリスが向かうのは、街の外れの元廃材置き場の空き地。そこでケリーは毎朝剣の稽古をしている。
「あ、いた」
「今日の教官はゴードン先輩か、珍しい」
「……剣筋がブレている。下半身に力を入れろ」
「はい!」
「身体の芯を常に意識しろ」
「は、はい!」
木剣を素振りするケリーと、その横で次々とダメ出しをするゴードン――弓使いだが、接近されたときのために剣もそれなりには使えるという。二人に声をかけようとして……ふと、悪戯を思いついた。
「まだ気づかれていないみたいね」
「なんだ?」
「しぃー、静かに」
二人に向かって忍び足で近づく。流石本職の騎士と言うべきか、その途中でゴードンには気づかれてチラリと見られたが、アリスの意図を察して気づかないふりをすることに決めたようだ。そうして鍛錬に集中するケリーの背後をとり、大きく息を吸い込んだ
「――ばぁっ!」
「きゃっ!? もう、びっくりした、アリスちゃ……ん……?」
ケリーが振り返るが、そこにアリスの姿は無かった。ふと、上空からケリーに落ちる影。
「残念、上だよー」
「わっ」
「とぉぅ!」
ケリーの頭上で飛んでいたアリスが、勢いよく落下する。ケリーは咄嗟に木剣を放り投げ、胸にぼすっと飛び込んできたアリスを受け止めた。
「ふふ、奇襲成功」
「もう、びっくりした……またちょっと飛べる時間長くなった?」
「うーんと、ギリギリ四秒ぐらいかな」
以前はどれだけ羽ばたいても身体を浮かせることさえ出来なかったが、成長するにつれて今では少し飛べるようになっていた。いつか見たクシャナの姿のように自由自在にはまだ飛べないが、この二年半で得られた最も大きな成長だ。
そして八歳となったケリーも成長していて、大きく背が伸びていた。元々アリスより一歳上な分、少しだけ背が高かったのだが、今ではもう頭一つ分も離されている。早く大きくなりたいアリスはその身長差が恨めしい。
「ねえ、縮んで」
「急にどうしたの!? 怖いよ!?」
「冗談冗談。ね、これから市場におつかいに行くんだけど、一緒に行こう」
「うん、行く! あ、でも訓練が……」
「いや、丁度時間だ。俺も仕事に戻る」
「あ、ゴードンさん……」
「相変わらず筋は良い。邁進しろ」
「……はい!」
「さ、行こっか」
◇◆◇
必要なことはジーニーから渡されたメモに書いてあったので、いくつか店を回ってそれを見せ、配達を頼むだけだ。実に簡単なお仕事である。
「なるほど、ここに書いている物を明後日に届けたら良いのね。わかったわ」
「よろしくねー」
「ええ、任せて頂戴。ちゃんとお使いできて偉いわねー。そうだ、ぶどう食べる? 丁度採れたてのが入ってるわよ!」
「わぁ、ありがとう」
「ほら、ケリーちゃんも!」
「ど、どうも……」
何より、こうして行く先々でおまけをもらえるのでとても役得だった。口いっぱいに広がるぶどうの甘酸っぱさに舌鼓を打つアリスは、ケリーの様子が変なことに気づいた。
「どうしたの? 通りの方ばっかり気にしてるみたいだけど」
「その、妙に騒がしいなぁって」
「市場が騒がしいのは当然じゃん」
「そうじゃなくて……なんか、様子が変じゃない?」
「んー?」
よく見れば確かに妙な人だかりが出来ていて、どうやら街の狩り人達が一同に集まっているらしい。アリスとケリーが揃って首をかしげていると、店主のおばさんが二人の気にしている方に気づいた。
「ああ、なんでもちょっと前から森で動物がやたらとよく獲れるようになったんだって」
「そうなの? 良いことだね」
「もうすぐ冬だし、保存食に困らなくなるのは良い事ねぇ。それで、祭りまでに誰が一番多くの獲物獲れるかで、狩り人達が競ってるのよ。でも、確かに今日は一段と様子が変ねぇ」
狩り人の集団は、よく見れば興奮した一人の少年を大人達が困った顔で取り囲んでいるらしい。その少年が知っている相手である事にアリスは気づいた。
「ねえ、あれアベル君じゃない?」
「あ、ほんとだ」
「そういえば、狩り人の見習いやってるって言ってたね」
アリスより一つ年上の少年アベル。子供達のガキ大将的なポジションで、遊ぶグループが違うために顔を合わせることはそんなに多くない相手だ。特にアベルが早々に狩り人見習いになってからは殆ど会うことが無かった。
とりわけ仲が良いわけでは無くともよく見知った相手が騒動の中心だと知り、アリス達は興味が引かれて集団へと近づく。すると、顔を真っ赤にして大人達にわめき立てているアベルの声――その内容がはっきりと聞こえた。
「だーかーらー嘘じゃ無いって! 俺、森の中で本当に見たんだ……翼の生えたでっかい白い馬を!」
次回の投稿は12/17を予定しています。
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