十八話 祭りに向けてⅠ
昔々、今からおよそ四百年前のこと。
聖女シルヴィアの献身により世界が蘇り、徐々に新たに生まれる命の数も増えていた。ある夫婦が、生まれた子供が幸せな人生を生きられるよう聖女様に祝福を授けてほしいと頼んだ。シルヴィアは快諾し、生まれたばかりの赤子に祝福を与えた。
すると、それを耳にした他の夫婦も我が子にも是非と声を上げ、シルヴィアは彼らの子供達にもまた祝福を与えた。そうして、いつしか『子供が生まれたら聖女の祝福を授かる』ということが習わしになった。
子供達の幸せな未来のため……とはいえ、年に数回ならともかく、数十回、百回、気づけば世界のあちらこちらで毎日――とうとう耐えきれなくなった聖女は叫んだ。
『こんなに毎日毎日やってられっか! いっそ三年分ぐらい纏めて連れてきなさい!』
かくして、三年に一度、新たに生まれた子供達に聖女が纏めて祝福を与える『聖誕祭』という儀式が生まれた。シルヴィアが若くして過労死したことで実際に執り行われたのはたった一度きりに終わったが、死後もその儀式は受け継がれ――いつしか『三年祭』と名前を変え、三年に一度、日々の安寧と糧を三神に感謝し、子供達の健全な成長を願う行事となったのだった。
そしてアリスの帰還から二年と半年の時が過ぎた頃、ケールの街は『三年祭』を一週間後に控えて活気立っていた。
◇◆◇
「アリスちゃーん、朝よー」
「……んー」
「アリスちゃーん」
「んゅー」
「早く起きないと、リンゴパイ冷めちゃうわよー」
「……りんご!」
ベッドから飛び降りたアリスは、自身の寝室から食卓へと繋がる廊下をダッシュで駆け抜け、扉を元気よく開いた。
「おはようっ、お母さん!」
「おはよう、アリスちゃん。もう、相変わらずねぼすけさんなんだから」
「……お布団がふかふかなのが悪い」
アリスがコルドからの土産にぶんどってきたふかふか布団は領主御用達の一品で、寝心地は天にも昇るほど。アリスはすっかりその魅力に囚われてしまい、すっかり寝起きが悪くなってしまった。
「さ、早く食べちゃいなさい」
「はーい」
食卓の、最近ようやく一人で座れるようになった椅子にぴょんと飛び乗ったアリスはぐーんと伸びをした。その拍子に、折りたたんでいた背中の白い翼がピンと伸ばされる。
「……アリスちゃん、翼、またちょっと大きくなったかしら?」
「んー、そうみたい」
「ふふ、どこまで大きくなるのかしら。楽しみだわ」
五歳の時は服を着れば隠れてしまう程にこじんまりとしていた背中の翼は、この二年半で急激な成長を遂げて、肘にさしかかるほどにまで大きくなっていた。我が子の成長を感じ取って嬉しそうに微笑むミーネだったが、反対にアリスの表情はやや暗い。
「……これのせいでね、最近仰向けに寝るのが辛くて困ってるの」
「あらあら」
「服だって着づらいし、これ以上大きくならないで欲しいなぁ」
もっとも、先輩天使であるクシャナの翼は広げた腕を超えるほどの大きさだったので、まだまだ成長していくのだろう。そのことを思い憂鬱になる。
(……そういえば、クシャナは普段は羽をどうやって隠してるんだろう)
天使を探して、正体を隠しながら世界中を駆け回ってるらしいクシャナだが、あんなでかい翼は目立ってしまうだろう。もしかしたら隠す手段があるのかもしれない。
(あれから、全く姿を見てないけど……次に会ったら聞いてみようかな)
「それじゃ、食べましょうか」
「はーい……ところで、お父さんがいないのはやっぱり?」
「もう仕事に出かけちゃったわ。出店の屋台の修理依頼で、もうてんてこ舞いみたい」
「ほんと、この時期は忙しいんだね」
祭りの時期、木工士であるロナルドは日常的な木材加工のお仕事に加えて出し物道具の修理依頼が殺到し、朝から深夜まで仕事漬けになるのが恒例行事となっていた。
「お父さん、アリスちゃんの見送りが無いって泣いてたわよ」
「うーん、しばらくは無理そうだね」
「アリスちゃんがもうちょっと早く起きてあげたら、見送ってあげられるわよ?」
「やだ」
「もう……」
父親のことは嫌いでは無いが、快適な睡眠には代えられなかった。
パイを一口頬張れば口いっぱいに広がるリンゴの芳醇な風味とカスタードクリームの甘さにアリスは幸せそうに頬を緩める。そんな娘の姿をミーネはニコニコと見つめていた。
「そういえば、教会の方でも何か出し物を出すのだったかしら?」
「うん、孤児院の幼年組の子供達が焼いたクッキーとか、作った小物とかを屋台で売るの。私も今日からそのお手伝いをするんだよ」
「アリスちゃんも、もうすっかりお姉ちゃんね」
「私だって、もう七歳だからね」
かつて、聖女は七歳という幼さで世界を救う旅に出た。その故事に倣って、子供は七歳から少しずつ周囲の家事や両親の仕事に携わり始め、早い子ならば見習いとして仕事を学び始める。アリスは事情が特殊なのでなにか仕事があるわけではないのだが、最近では自ら率先して教会の手伝いをしていた。
「教会の掃除とか礼拝とか、色々手伝ってるんだよ。お母さんもたまには来てよ。最近全然来てくれないじゃん」
「そうねえ、久しぶりにアリスちゃんが頑張ってる姿を見に行きたいわ……でも私もしばらくはお仕事で手が離せそうにないのよね」
「むぅー……」
どうやら、一家団らんの時間は暫く訪れそうに無いらしい。
朝ご飯を食べると、アリスは寝室へ戻り、伯爵から持たされた贈り物の一つである姿見の前で身だしなみを整える。
「うーん、もうちょっと大きくなりたいな」
翼のことではなく、身長のことだ。五歳の時からいくらか成長したが、まだまだ理想とする身長にはほど遠い。
クシャナ曰く、天使はある一定の年齢まで育てばそれ以上成長しなくなると言う……つまりそれまでに大きくなれなければ、その先一生成長することは叶わないと言うことだ。魔王だった時は副官から『無駄に育った肉体』とやっかまれるほどのナイスバディを誇ったが、その次の聖女時代では栄養不足と過労のために貧相な体つきを脱却することが叶わなかった。今生こそは再び大人らしい身体になれるように、毎朝鏡の前で祈るアリスだった。
身支度を終えたアリスが家を出ると、壁に寄りかかっていた青年騎士、ラッドが片手を上げた。
「今日の護衛は俺だ。よろしくなっ」
「よろしくね、ラッドさん……護衛なんていらないのだけれど」
「万が一があってからは遅い。聞いたか? 昨夜もまた、隊長が門で騒いでた男爵を捕らえられたって」
「また? 今度は何を言っていたの?」
「天使様は私の生き別れた娘とそっくりなんだ、是非とも会わせてくれー、だってさ。どいつもこいつも言うことは同じだ」
「呆れた」
大聖堂の一件以降、まことしやかに噂されていた天使の存在が確実なものと知れ渡り、天使をこの目で見たいと言う者が後を絶たなかった。しかしその全てを領主は断っているため、時折強引な手段に出る者がいた。
ちなみにこうした貴族の来襲はアリスの身の回りで起こる事件のほんの氷山の一角で、実際にはそれ以上の数の暗殺者や犯罪者が送り込まれては捕らえられているのだが、それらはアリスに報告される事は無く、闇に葬り去られている。
いつもの道を歩くこと暫く、やってきた礼拝堂はいつも通り開放されているものの、安息日でも無い朝に礼拝に来る者もいない。代わりに教会に併設されている孤児院の子供達が祭りの準備をするための作業場として占拠していた。
今日は祭りで出す出店のための飾りを皆で作っているらしい。輪になって色とりどりの布の端切れや糸と格闘する子供達……の中心で、何やら注目を集めている一人の青年。
「よーく見てろよ~? 最後にここをこう、折りたたんで……ほら出来た! クルクル鳥!」
「すっげー!」
「うわー、本物そっくり! あ、天使様! おはよーございます」
「おはよう……で、何やってるの? エル兄」
「お、アリスちゃん。今日は遅かったなー」
子供達の注目を集めていたのは非番で私服姿のエルリックだ。この二年で背も伸びて少年から青年へと変わったが、一切変わることが無い悪ガキの笑み。
「ぶらぶらしてたらチビ達があれこれ作ってるのを見つけてさ、ここは一つ、東の国で伝わっている伝統工芸でも伝授してやろうと思ってな」
「それ、布の切れ端で作ったの?」
「そうそう。それも切ったり貼ったりはしてないぜ。一枚の布から何度も折って作るんだ」
エルリックの手には、ベルフ大森林に棲む野鳥であるクルクル鳥が、何重にも折られた一枚の布で形作られていた。クルクル鳥の特徴であるでぶっとした身体やくるっと巻いた羽まで丁寧に再現されていて、アリスは感嘆する。けど、何故東の国の伝統工芸やらをエルリックができるのだろうか。
「エル兄って無駄に器用だよね」
「無駄にってひどくね!? あ、そういや教会長がアリスちゃんのこと探してたぜ」
「きょうかいちょーが? なんだろう?」
「さあ? 今は執務室にいるみたいだから、とりあえず顔出してきなよ」
「うん、そうする。皆、また後でね」
子供達に手を振って、アリスは礼拝堂の奥の聖職者用の区画へと向かう。ラッドも護衛としてその後を追おうとして……がしっと、子供達に足を捕まれた。
「お、おい」
「ラッド兄ちゃん、あそんでー!」
「屋台の飾り作るの手伝って-! 全然終わらないのー!」
「いや、俺は今仕事中だから」
「流石に教会の中で護衛なんていらないよ。遊んであげたら?」
「いや、でも護衛の任を放棄するわけには……」
「そーだそーだ、ラッドも遊べ~!」
「お前はガキじゃねえだろエルリックぅ!」
ギャーギャーと騒がしくなった礼拝堂を後にして……ついでにエルリックに羽交い締めにされて子供達に群がられているラッドを置き去りにして、アリスは聖職者用区画を進む。本当に護衛の必要があるのなら振り払ってでも付いてくるだろう。
すれ違うシスターと挨拶を交わしながらたどり着いた執務室の重い扉を、アリスはやや苦労しながら開けた。
「きょうかいちょー。おはよう。何の用事?」
「おや、アリス様。おはようございます。ああ、エルリックさんから聞いたのですね。そこの応接机で待っていてもらえますか? 先にこれらを整理してしまうので」
朝早くから始めていた書類仕事が、ちょうど一段落ついたタイミングだったらしい。ベイルークは机に山の様に置かれた書類を軽く整理すると、立ち上がって応接机へと向かい、一足早くふかふかのソファの上に座って待っていたアリスの対面に座った。
「どっこいしょ。今日はお一人で来られたのですか?」
「いや、ラッドさんと一緒。でも今は向こうで子供達にもみくちゃにされてるよ」
「おや……まあ、今日も日の出前からエルリック殿が入念に見回りをされてましたからね。この建物の中では離れていても大丈夫なのでしょう」
「ふぅん、なんだかんだエル兄って真面目だよね」
ちゃらんぽらんに見えて、実は騎士の中では一番熱心に自分のことを気にかけていてくれてることを、アリスはこの二年間で薄々感じ取っていた。子供達と一緒になって悪ふざけをするのも、事前に教会の中の安全を確かめていたからで……本人は言わないだろうが、ラッドを引き留めたのも、ずっと騎士につきまとわれるアリスのストレスを少しでも減らすための気遣いでもある。
「さて、お呼びした要件ですが……実は昨日、この様な手紙が領主から届きましてね」
「……手紙」
貴族の家紋入りの封蝋がされた、白い上質な紙の手紙。かつて大聖堂からもたらされた凶報は未だ記憶に新しく、アリスはさっと表情を変えた。
「心配しなくとも、今回は悪い内容では無いですよ。三年祭の日に領主もこの街にやってくるという連絡というだけです」
「そっか……」
想像していたような内容で無く、ほっとするアリス。それにしても……。
「珍しいね。いつもはわざわざこっちまで来ないのに」
「ええ。いつもは領都であるコルドの方での祭事に出られますからね……ただ、今回はアリス様が正式に伯爵家の庇護下入りしてから初めてとなる三年祭ですから」
「ふーん」
領主が直々にやってくるという一大イベントなのだが、全く興味が無い。そんなアリスの様子に苦笑したベイルークは、ここからが本題とばかりにずいっと身を乗り出した。
「そこで提案なのですが……今年の子供達への聖誕の儀、アリス様が行いませんか?」
「え、やだ」
次回の更新日はやや未定ですが、およそ一週間後二鳴ると思います。
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