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幕間 在りし日の聖女Ⅰ

 夜、アリスはよく過去の記憶の夢を見る。今までのそれは殆どが魔王時代の記憶だった。


 それが自分の原点であるという以上に、聖女時代の事はアリスにとって、女神に無駄にこき使われた果てに過労死した暗黒時代だからというのが一番の理由だ。当時の事を振り返っても「疲れた」と「早く終わらせて休みたい」としか考えてなかった記憶しかない。


 それでも、良い意味でも悪い意味でも強く焼き付いている記憶というのはあるもので……『イミテアエクス』を取り戻して以来、そんな聖女時代のことを思い出すことが増えてきた。


 これは、その中の一つ……滅びた世界を救うために世界を駆けずり回っていた聖女が、その最終決戦に挑んだ十二才の時の追憶だ。




◇◆◇




 七歳の誕生日と同時に旅を始めた時は一人だったシルヴィアにも、五年間の間に徐々に志を同じくする仲間が出来ていた。彼女の称号にあやかって自らを『聖騎士』と名乗る彼らは、今ではその数二十人。


 ……最盛期である一年前には百人以上の大集団を成していたので、それに比べたらかなり少なくなった。数多くが志半ばで倒れて消えていった中、生き残った彼らはまさしく最精鋭のつわものたちだ。それでも尚、長い過酷な旅路の疲労を隠しきれていない。


「着いたわ」


 一行が辿り着いたのは、深い森の中にひっそりと佇むように拓けた三日月型の湖だ。シルヴィアは穏やかに波打つ水面に手を差し入れ、手先から感じる魔力の流れに意識を集中する。


「やっぱり、ここはかろうじて世界の循環が生きているわ」

「では……」

「ええ、ここの水は飲めるわ」


 三神の加護によって成り立つ世界の循環。それがたった十数年の間で、世界のほぼ全ての生物が死に絶えたことでバランスが崩れ、あらゆる場所で循環の崩壊――世界の瑕が生まれてしまった。


 世界の循環は生物が生まれては死に、やがて新たな命として再構成されて生まれ変わるという輪廻のサイクル……いわば生命という事象の最も根幹を成す。それが正常に成り立たなくなった場所は草木が枯れ果て水は淀み、生物が生きるには余りにも過酷な環境と化す。


 世界の瑕そのものは、フレイヤから授けられた癒やしの力をもってすれば正しい形に戻すことができる――それが聖女としての最大の使命だ――が、一度崩壊した環境はすぐに元通りとはいかない。故に、この湖のようには崩壊の影響を受けなかった場所は生物が安息を得られる貴重な領域だ。


「予定通り、ここを最後の休息地としましょう」

「はっ」


 休息を取り始めた聖騎士達からやや離れて、シルヴィアも十二歳の身体には身に余る白銀の軽鎧を脱ぐと、湖のほとりでしゃがみ込んだ。長旅の汗を流す、とまではできなくてもせめて顔を洗うぐらいはしておきかった。


「……酷い顔」


 水面は不思議な程に凪いでいて、覗き込んだシルヴィアの姿を鮮明に映しだしていた。金糸の如く輝いていた髪の艶はすっかり無くなり、深い海のような藍色の目の下には深い隈が刻まれている。女神フレイヤの現し身とまで言われた美貌は今や見る影も無く、そこにあるのは戦いの日々の中で疲れ果てた戦士の顔だ。


「剣もそろそろ限界かなぁ」


 腰に佩いた愛用のロングソードは耐久の限界を迎えて久しい。極限まで効率を極めた『イミテアエクス』ですら、恐らくあと数度の使用で耐えきれなくなるだろう。


「……それ以上に、騎士達の方が深刻ね」


 大穴の空いた鎧。亀裂の入った盾。折れた剣……自らの装備が残っている者はまだ良い方だ。中にはとうに使い物にならなくなった己の装備を捨て、戦場で打ち捨てられた装備を拾って間に合わせている者もいるほどだ。


 思い思いに座り込んで休む騎士達。彼らの表情は暗く、旅の初期に溢れていた、世界を救うという使命感に燃えた覇気はもはや無い。


 ――そろそろ限界ね。


「みんな、聞いて……この森を越えた先に、私たちが倒すべき最後の淵源の王オリジンがいるわ」


 世界の瑕には崩壊の起点となる核があり、それは自らの消滅を阻むべく、世界の循環の中から読み取った魔物の姿を象って世界に顕現する。それが淵源の王だ。


 核となる淵源の王を倒さなければ、どれだけ瑕を癒やそうと最終的は循環を元通りに戻すことは出来ない。これまでの旅で数え切れない程の淵源の王を倒してきて、今ではこの先に残るものが最後の一体になっていた。


「神託によると、この先に待ち構える淵源の王が象る姿は崩竜ウルヴァニール、神代の時代に世界を恐怖に陥れたという正真正銘の化物よ。はっきり言って誰一人として生きて帰れる保証は無いわ……私も含めてね」


 緊張した面持ちで、悲壮感に満ちた決意を固める聖騎士達。彼らの顔を一人一人見渡したシルヴィアもまた、覚悟を決めた。


「貴方たちはここに残りなさい。ここからは私だけで行くわ」


 ――一人で戦う覚悟を。


「今までありがとう。おかげで寂しくなかったし、挫けること無く戦い続けられたの」


 それで十分、とシルヴィアは優しく微笑む。


「一人で倒してくるから。皆はそれまでここで待って――」

「我々の身を案じていただけること、大変嬉しく存じます……ですが」


 シルヴィアの言葉を遮り、整然と並んだ聖騎士達の中から一歩前に出て跪いた男。一番始めに聖女の騎士となり、今では聖騎士達のリーダーであるシンディオだ。


「我らは聖女様に忠誠を誓い、今一度世界を蘇らせるため礎となる事を誓った身。死など恐るる事ではございません。勿論、我らの力がもはや及ばない相手であることは承知の上。ですが、せめて活路を拓く一撃を入れるだけでも。それも叶わぬと言うならば、聖女様が剣を振るう一瞬の隙を稼ぐ肉盾となるだけでも……どうか、どうか我ら聖騎士に、最後の一瞬まで聖女様に命を捧げる・・・・・ことをお赦しください!」


 力が及ばないことへの悔しさと、それでも最後の一瞬まで戦い抜くことを誓った決意。シンディオが表情に浮かべているその覚悟は、彼の後ろに並ぶ残りの者達も同様だ。


「じゃ、死にたいなら勝手にしなさい」


 説得してもそう簡単に聞き入れる様子では無いだろうと、早々に諦めた。元より、彼らの命にもそこまで執着があるわけはない。


「けど犬死には許さないわ。勿論、足手まといになることもね」

「ええ、必ずや聖女様のお役にたってみせましょう」

「はぁ……とにかく、決戦はまだ先よ。今は戦いに備えて身体を休め――ッ!?」


 ――突如、辺り一帯に轟いた咆吼。まるでこの世の怨嗟を凝縮したようなおぞましい音に、シルヴィアは身をすくませた。


 雲一つない青空だった上空が、東方から流れてきた無数の黒雲によって覆い尽くされ、一転して闇夜のような薄暗さへと転じた。流れる黒雲の間を縫うようにして、巨大な影が飛来していることに聖騎士の一人が気づく。


「聖女様! あれは……!」

「向こうの方からお出ましね。探しに行く手間が省けたのはいいけど……もうちょっと休ませて欲しかったなぁ」


 シルヴィアが軽鎧を手早く着込んだ頃には、遠く彼方に見えていた影もその姿……全身を錆びた鉄のように赤黒い鱗で覆われた三つ首の巨竜、ウルヴァニールがはっきりと見て取れるほどにまで近づいていた。


 本来の竜は世界の循環の中で生まれ、次代に命を繋いではやがて死を迎える、れっきとした生物の一つ。対して崩竜ウルヴァニールは瑕を核として魔力が寄り集まってできただけの、生き物とは到底呼べない存在だ。それを示す様に、ウルヴァニールの身体は至る所から魔力の霧となって崩壊しては、再び虚空から魔力が寄り集まって再構成されるという、異常なものだ。


 それ故に生物的な死への恐怖も、エサとなる矮小な生物への本能的欲求も何一つ持ち合わせていないのだが、シルヴィアが自らの存在を脅かす相手である事は認識しているのだろう。三対の目は怒りと殺意を湛えて睨み付けていた。


 人知を超えた存在に相対し、緊張に身を固くする聖騎士達。その中でも弓を得物とするエルフの少年が、ウルヴァニールが自身の武器の射程に入ったと見るや素早い動作で矢を番えた。


「先制攻撃、いきます!」


 風切り音すら置き去りにして放たれた矢は、三つある首の内、真ん中の顔の目に正確な狙いで吸い込まれた。鱗に覆われていない柔らかな部位に鏃が深々と刺さり、ウルヴァニールは苦悶の声を上げ……直後、その姿が霧の様にかき消えた。


「え、消えた……? や、やったのか」

「馬鹿、後ろだ! よけろ!」


 呆ける少年へシンディオの鋭い叱咤。一瞬遅れて、少年は自分の身体に大きな影がかかっていることに気づいた。振り返れば遙か上空にいたはずのウルヴァニールの顔が、すぐ背後で大口を開けて迫っていた。


「なんで――」

「転移持ちとは厄介ね!」


 杭ほどの太さもある牙が少年の胴体を貫く直前、彼の側を駆け抜け、高く飛び上がったシルヴィア。


「っはあぁ!」


 巨木のように太く長い首の無防備な半ばを狙い、上段に切り上げられるシルヴィアの剣。刃が首を切る直前、その剣身は一瞬赤白い輝きを放った。


 『イミテアエクス・深炎フランベルジュ』。


 この瞬間だけ顕現した炎の魔剣は、切り裂くと同時に傷口から青白い炎を吹き上がらせる。身体を内側から焼かれる痛みに苦悶の声を漏らす一方、健在な残る二つの首が、空中で身動きのとれないシルヴィアに向けて左右から襲いかかった。


「……まず、右。二秒遅れて左ね」


 右側から迫り来る牙を、身を捻って無理矢理回避。そのまま舞うように剣を竜の鼻先に強く打ち付けた。堅い鱗に阻まれて肉まで刃が届かずとも、それ故に生まれる反動を使ってさらに上空に飛び上がる。


 飛び上がったその先に待ち構えるのは、左側から彼女を食い殺さんと迫りくるもう一つの首。大きく開かれた顎はシルヴィアを完全に捕らえていて、このままでは避けられないだろう。それを悟ると、左手を剣から離して前に突き出し、手早く詠唱する。


「爆ぜなさい!」


 炎系統魔法、『ブレイズロア』。小規模な嵐が炸裂し、シルヴィアの左手ごと竜の口の中で爆ぜた。爆風で一瞬稼いだその隙に、龍の顎を蹴って外へと逃れる。


 だが、未だ空中にいるシルヴィアに向かい、半ばから焼かれた痛みから復活した首が再び迫っていた――


「全く、聖女様はいつも無茶をなさる!」


 直後、シルヴィアに迫る竜の首をシンディオの大剣が強かに打ち抜く。刃が潰れているせいで斬撃よりも殴打というべき重い一撃は竜の首を地面へと叩き落とした。


「聖女様、我らが時間を稼ぐのでその隙に左腕の治療を――」

「……」


 着地したシルヴィアへ駆け寄ってきたシンディオの提案は無視され、ウルヴァニールへ向かって颯爽と駆け出す。


 シルヴィアは戦闘の天才で、その戦い方は徹底した個人主義。味方との連携など全くせず、そもそも一度意識が切り替われば味方の存在すら半ば忘れる。


 それはシルヴィアの才能が、たった一人で無数の軍勢をも屠っていった前世の経験に基づいているからなのだが……それを知らないシンディオは「また聖女様の悪癖が出た」と苦笑すると、もはや敵の姿しか見えていない主の代わりに騎士達へ檄を飛ばす。


「さあ、我らが聖女様の最終決戦だ! 死に者狂いで活路を拓け! 血肉の一片に至るまで命を捧げるのだ! 我らが迎える明日は無くとも――全ては聖女様が導く未来のために!」 

今回の幕間は二話構成となります。次回の投稿は11/19を予定しています。


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呟いています:X(旧Twitter)→@Ressia_Lur

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[一言] 長期戦が予想される場合結局打撃武器がいっちゃんいい
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