十七話 手と手と繋いで
「おちついた?」
「う、うん……ちょっと気が逸りすぎてたね……」
「わたしだって、いきなりあんなこといわれたら困るからね?」
「ごめんなさぁい……」
やはり暴走していたらしい。少し経って落ち着いたケリーは、顔を真っ赤にしながら、しゅんとうなだれていた。そんな二人の様子をリチャードは温かい目で見守っていた。エルリックは腹を抱えて笑っていた。
「あーっはっはっは!」
「エル兄、わらいすぎ」
イラッとしたアリスは転がっていたケリーの木剣を拾ってエルリックめがけてぶん投げた。頭に当たった。
「いってぇ。アリスちゃん酷くない?」
「避けられなかったエル兄がわるい。鍛え方が足りないんじゃない? ね、リチャード隊長」
「ふむ、御使い様の言うとおりであるな。しごきが足りなかったようだ」
「ちょ、勘弁してください隊長!? これ以上訓練厳しくなったら冗談抜きで死んじゃう!」
「……ふふっ」
憂さ晴らしが済んだところで、話はケリーの突然の宣言のことへ。気になることは色々あるが。
「ケリーのお父さんって騎士だったんだね」
「……うん。でも、死んじゃったの。お父さん、第九次森林攻略隊だったんだ」
ベルフ大森林はここアミルツィ王国でも有数の資源量を誇る肥沃な土地ながら、その半分以上がいまだ人類未到の領域で、それを手中に収めることが国家にもたらす利益は計りしれない。その開拓のために編成されるのが森林攻略隊だ。
発足から第九回目になる前回の遠征は三年前、アリスが一歳だった時に編成されたという話を聞いている……それが、全部隊の六割が未帰還という過去最悪の結果に終わったということも。ケリーの父、マルコもその犠牲者の一人だったのだろう。
(……私のお披露目が、その直後のことだったっけ)
アリスが天使だと知らしめられた二歳のお披露目、それは攻略隊帰還の一ヶ月後のことだった。攻略の失敗で沈んでいた街の雰囲気を活性化する目的もあると聞いたのを思い出していると、傍らで話を聞いていたリチャードが何やら納得したように頷いていた。
「ふむ、騎士マルコのことは知っている」
「え……?」
「彼も蒼影騎士団の所属だったのだよ。所属する隊は違ったがね」
ケリーも知らなかったのだろう、リチャードの話に目を丸くして驚いていた。
「マルコはかつて第五部隊の副隊長を預かっていた男でな。剣筋の鋭さにかけては騎士団随一だった……そうか、ケリー殿はマルコの忘れ形見だったのだな。道理で剣の才がある」
目を細め、記憶の中の同僚を懐かしそうに語るリチャードに、アリスは尋ねる。
「ねえ、遠征で一体何があったの? そんなにたくさんやられたなんて……」
「第九次は全てが異例だったのだ。アレはそもそも、森林開拓を目的とした遠征では無かった」
「え、違うの?」
「四年前、ベルフの奥を監視している部隊から報告があった……正体不明の、国を滅ぼしかねないほど極めて強力な魔物が現れたと。アレは、その討伐のために送り出されたのだ。ただそのようなことが広まれば民の混乱を招きかねないため、表向きはただの遠征とされていたのだ」
「そ、そうだったの……倒せた?」
「苦戦の末に討伐は成された。だがその被害は知っての通りだ。私も討伐に参加した一人だったのだが、あの戦いは凄惨極まりないものだった。マルコ殿のことは残念だったが、彼も騎士として立派に務めを――」
「違うの」
「ケリー?」
「お父さんが死んじゃったのは、私のせいなの」
「……そういえば、マイサさんもそんなこと言ってたね」
父の死には、ケリーが関わっていると。ただ、同時に、それは巡り合わせが悪かっただけとも言っていた。その真相がケリーの口からぽつりぽつりと語られる。
「久しぶりに家に帰ってきたお父さんがね、お母さんと話してるの、聞いちゃったの。怖い魔物がすぐ近くまできてて、討伐隊にしがんするか迷ってるって。それで、私、よくわからないまま言っちゃったの」
『こわいまものなんて、おとうさんがやっつけちゃって』
「それで、お父さん死んじゃったの。お父さんだけじゃなくてね、いろんな人が私の言ったことのせいでみんないなくなっちゃって……」
「それで、自分のせいでみんないなくなるなんて言ってたの。ただの思い込みじゃないの」
「そんなのわかんないよ……でも、アリスちゃんがお守りをくれた。もう大丈夫って言って、ほんとに帰ってきてくれた。嬉しかったの……だから……」
「なるほどねぇ」
不幸を払ってくれた、その恩返し。そういうつもりということだ。その心意気自体は嬉しい、とはいえ。
「それで、騎士になって生涯仕えるとかちょっと大げさじゃ……」
「だって、アリスちゃんよわくて……」
「よ、よわ!?」
アリスは思いっきりたじろぐ。確かにもう身体能力では敵わないかも知れないが、それでも面と向かって言われるほどか弱くはないつもりだが。
「あ、ちが、そうじゃなくて、アリスちゃんよわいけどつよいの! ……実はね、アリスちゃんのことずっと前から何回も見たことあるんだ」
「そうなの? ってまあ当たり前か、ご近所さんだもんね」
「アリスちゃん、いつ見ても家族と一緒で、手を繋いですごくニコニコしてて楽しそうで……お父さんお母さんのこと、大好きなんだなぁって。なのに一人でとおくに行っちゃうのの決めちゃったって。つよい子なんだって思った……でも違ったの。アリスちゃん、ばしゃの中で泣いてたって。だからね、つよいけど、ほんとはよわいの」
「……だから、守るって?」
「でもね、私の方がずっとよわむしなの。アリスちゃんがこれからも一人でどんどん遠くに行っちゃう気がして……そんなの嫌で、怖いの。でも、アリスちゃんの騎士になればこれからもずっとついて行ける。いっしょにいられる、だから……!」
「そう、ケリーの気持ちはわかったわ」
いつの間にか。ケリーは目に大粒の涙を湛えていて……きっと、三ヶ月前に追いつけずに見送ることしかできなかった馬車を、心の中では今でも追い続けているのだろう。
そんな心優しい友達に対し、アリスは。
「ていやっ」
「痛いぃ!?」
全力のチョップを落とした――スパァン! という小気味よい音が辺り一帯にこだまする。
「っ、いったぁ……ケリー、けっこう石頭なのね」
「ア、アリスちゃん……なんで……?」
「騎士になりたいなら勝手にしたら良いし、ついてきてくれるのは大歓迎よ。でもね? 忠誠とか、命をささげるだとか……そんなのは、はっきり言って迷惑よ」
「あぅ」
「友達になってくれたって、これでも結構嬉しかったんだけどなぁ、そう思ってたのって私だけなの?」
「ち、違うの! えぅ、そんなつもりじゃ……!」
「じゃ、そんな悲しいこと言わないでよ……私もさ、友達ってどういうものかよくわからないんだけどね」
まだ涙目のケリーの手を、両手で優しく包み込む。
「こんな風に、いつでも近くで手と手がつなげて、隣にいられる。ケリーとは、そんな関係でいたいの。それじゃダメかしら?」
忠誠の果てに死別する未来が約束された相手ではない、ただ何者でもなくても一緒にいてくれる存在……それが、きっと自分が本当に望んでいたものだと、いつしか気づいていたから。
「……ごめんね、私、アリスちゃんの気持ち全然考えてなかった」
「ん、わかってくれたならいーの」
互いに繋いだ手を強く握り合い、そこにある絆を確かめる二人。自然とケリーの表情に自然な微笑みが戻ってきたところで……
「よし。それじゃケリー! 剣をとりなさい!」
「……へっ」
「一手うちあってもらうわ!」
「……ええっ!?」
硬直するケリーをよそに、アリスは「エル兄、剣かして」とねだる。エルリックですら呆気にとられてつい請われるがまま訓練用の木剣を渡してしまった。
「っ、重い……」
「お、おい。アリスちゃん無茶すんなよ」
「あー、暫し待て、もう一本子供用を……」
「へーきへーき。むしろ、これぐらいがしっくりくるの」
全てをありものでまかなっていた聖女時代の幼少期。滅びた世界の中で子供用にあつらえた武器など都合良く手に入るはずも無く、大人用の剣を握っていた。それ故に手に余る程重い武器の方が手になじむ。
「アリスちゃん、えっと、なんで……? あ、もしかして、よわいって言ったの気にして……」
「うん」
「ごめんね!?」
「あと、対等な関係なんて言った以上、私にだってケリーの隣に立てるだけの力があるんだって教えないとね……さ、全力できなさい! 手加減なんてしたら二度と口きいてあげないから!」
「え、うぇえ!?」
アリスは幼女らしからぬ獰猛な笑みで、ケリーに剣先をビシッと突きつける……のは剣が持ち上がらなかったので、代わりに指をビシッと指した。
「……私が直前で二人の間に割って入る。エルリック、お前は御使い様とケリー殿が怪我しないよう、いつでも動く準備をしておけ」
「うす、了解です」
訓練用の木剣とは言え、扱いを一歩間違えば大怪我にもなりかねない。リチャードに倣っていつでも動けるよう身構えるエルリックも、普段の軽薄さは鳴りを潜めて真剣な様子だ。
一方、そんな騎士二人の会話すら入ってこない程アリスは集中していた。目を閉じ深呼吸しながら思い出すのは、聖女シルヴィアとして振るった数々の剣技と、クシャナが残した言葉。
(……結局、魂を見るなんてまだちっとも出来ないけど)
自分の中には、かつての力がまだ残っている――その言葉を信じて自分の内側へと意識を向けるようになってから、おぼろげながらその存在を掴めるようになってきていた。
――きっと、今ならできる。
「ううぅ……ほんとに ほんとにやらなきゃいけないの?」
「先手は譲ってあげる……てか、私から打ち込むにはちょっと重くてつらいの」
そしてケリーはと言えば、涙目で葛藤していた。リチャードに打ち込むならばともかく防具も何も着けていない完全な無防備なアリスに斬りかかるなど……そんな冷静な躊躇を、『二度と口をきかない』という言葉が奪い去っていく。
「……い、いくよ。いくからねー! うわぁあああ!」
葛藤の末、やけくそ気味に繰り出されたケリーの剣は……冷静さというリミッターが外れている故か、皮肉なことに今日最高の一撃だった。両者の距離を一瞬で過去にする、子供離れしたケリーの神速の踏み込みに、リチャードらの介入も一瞬遅れてしまい、しなる木剣がアリスに襲いかかる。
――キィン!
「……へ?」
剣を振り切った姿勢のまま、いつの間にか自分の木剣が半ばから切り落とされたことに素っ頓狂な声を漏らすケリー。数秒遅れて、宙高く舞っていた木剣の先端が落下、カランコロンと鳴り響く。そんなケリーの背後で、同じく剣を取り落としたアリスが、尻餅をつきながら笑っていた。
「いったぁい……でも、とりあえず成功かしら?」
「ア、アリスちゃん、今の何……!?」
「んふふ、ちょっとした奥義」
――魔剣。そう呼ばれる武器がこの世にある。剣身そのものに強い魔力を宿し、物理法則を超えた力を振るう武器だ。その本体となる剣には魔力の負荷に耐えるだけの強力かつ希少な素材が必要とされていて……聖女が生を受けたときには、魔王の災厄の中でその殆どが失われていた。
そんな中で、魔剣どころか鉄くずとしか呼べない剣で戦い抜くために、シルヴィアは一つの技を生み出した。攻撃に転じる僅かな間だけ剣に魔力を流し、負荷を最小限に抑えながら一瞬だけの間擬似的に魔剣を生み出す、その名も『イミテアエクス』。
どんな鉄くずの剣でも強力無比な魔剣へと転じ、更に込める魔力の系統を変えることであらゆる能力を操る。聖女本人からしてみれば「苦し紛れの間に合わせ、本物の魔剣が早く欲しい」というものだが、この技はフレイヤの加護に並ぶシルヴィアのもう一つの代名詞とされ、現代では『聖剣術』と名を変え伝わっている。
(流石に、まだ完全再現とはいかないようね)
取り落とした木剣には一条のひびが入っている。魔力の制御が甘く、剣に過剰な負荷がかかった証拠だ。
「どう? わたしだってけっこうやるでしょ?」
「うん、びっくりした……アリスちゃん、つよいんだね」
「そーそー、守られるだけのかよわいおひめさまじゃないんだから……って、あれ……?」
立ち上がろうとした瞬間ぐるぐると目眩がして、視界がブラックアウトしていく。こてん、と地面に倒れ伏したところでようやっとアリスは気づいた。
――あ、これ前と同じやつだ。
「……アリスちゃん? ねえアリスちゃんー!?」
幸い、三ヶ月前と違って今回は丸一日熱を出しただけで済んだものの……しばらくの間、ケリーの過保護っぷりが再び悪化することになるのだった。
次回の投稿は11/12を予定しています。
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