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十二話 深夜の逢瀬

 その日の夜、伯爵邸がすっかり寝静まった頃。医務室のふかふかの布団に包まれてぐっすり眠っていたアリスは、コンコンというノック音で目を覚ました。


「……んゅ?」

「や、アリスちゃん。大丈夫?」

「誰……?」


 アリスは起き上がるとやや寝ぼけ気味なまま周囲を周囲を見渡した。しかし、部屋の中には自分以外は他にいない。なるほど、とアリスは頷いた。


「気のせいね……」

「違うよ!?」

「見えないのに声がするってことはゴースト……? たいへん、アンデッドはすべてじょうかしなきゃ、絶対にユルサナイユルサナイ……」

「僕まだ生きてるからね!? 現実に帰ってきて!? ほら、窓の方!」


 アリスが顔を向ければ、窓ガラス越しに顔を覗かせる灰色髪の少女と目が合った。


「あれ、クシャナ……?」

「や、アリスちゃん。早速だけど窓開けられる? 流石に壊すのは申し訳ないしさ」

「えっと、ちょっとまって……はい、開けたよ」


 採光のために設けられた窓は大人一人がギリギリ通り抜けられる程度の幅だが、クシャナは背中の羽を折りたたんで器用に部屋に入ってきた。


「ねえ、アンデッドに何か恨みでもあるの?」

「あはは、ちょっとね……」


 四百年前、魔王の暴虐の影に隠れて非人道的な殺人を繰り返した貴族が残した屋敷が、アンデッドの巣窟となっていた。それを聖女に転生してから三日三晩寝ずに浄化し続けた時の事など思い出したくもない記憶だ。帰った後、疲労でやつれた姿を死霊と勘違いして悲鳴を上げた依頼主の村長のことを今でも許していない。


「ところで、お昼にもにでてくるアンデッドってどう思う?」

「え? それは死霊としての自覚が足りないんじゃないかな」

「だよねー」


 何の話……? と首をかしげるクシャナをスルーして、アリスはコテンと首をかしげる。


「お仕事いったんじゃなかったの?」

「そうなんだけどさ、風の噂であの後すぐアリスちゃんが倒れたって聞いてね。お見舞いに来たんだ。アシュヴァルド様が許可してくれて良かったよ……ほら、果物持ってきたよ」

「わぁい」


 はい、とクシャナが差し出した木皮で編まれたバスケット。その中に入っている、色とりどりの果物の中に好物であるリンゴが入っているのに気づいてアリスは目を輝かせた。


 クシャナはアリスと並んでベッドに腰掛けると、アリスの額にそっと手を当てる。流石に病人に対して気を遣っているようで、前みたいにアリスを猫かわいがりするようなそぶりは見せない。


「うわ、まだかなり熱があるね。もう七日も経ってるというのに」

「これでも、けっこう下がったんだよ」


 伯爵が持ってきた薬は猛烈に苦いだけのことはあり、早速効き目がでていた。そうでなければ本気で文句を言っていたところだ。


「そうなんだ……ごめんね、ほんとは僕がいち早く気づいてあげるべきだった」

「ううん、倒れたのはクシャナが行った後だったから……」

「そうじゃないよ。そもそも、こんな未完成の身体で魔王の力・・・・を使おうとしたんだから、身体に負荷がかかって当然だったんだ」

「……なにそれ」


 不思議そうに顔をしかめるアリス。

 

「あれ、違ったっけ? ほら、僕が着く直前に何かどでかいの放とうとしてたじゃん」

「たしかにそうだけど……でも、もう魔王じゃないよ?」


 あの時使おうとしたのはただの魔法で、決してそんな物騒なものではない……ということをアリスが説明すると、クシャナは暫し怪訝そうに眉を顰め……


「ああ、なるほど! アリスちゃんは勘違いしているみたいだね!」


 何かに納得して、ぽんと手を叩いた。


「アリスちゃんは転生したことで昔の力を失っちゃったと思う?」

「そうじゃないの? だって、うまれかわったんだし……」

「そうだね。確かに肉体は変わった……けど魂は変わっていない。力というのは魂に宿るものなのさ」


 クシャナはアリスの真っ平らな胸を指先でトントン叩いた。


「僕には確かに見えている。アリスちゃんの中で強く輝きを放つ天使としての魂に隠れて、穏やかな眠りにつく二つの淡い輝きが宿っているんだ。君は今でも魔王セレナーデで、聖女シルヴィアでもあるんだ……あの時君が使おうとしたのは、その眠っている魂の力だよ」

「いまでも……」


 トゥループ・ウェスペに襲われたときに一瞬感じた、甘美な殺意の衝動……それは自分の中に眠る魔王の残滓がもたらしたうずきなのだろうか。


「ま。深刻に考えなくても昔の力が消えて無くてラッキー程度に思っておけば良いんだよ」

「でも、その割には全然昔の力、使えて無いんだけど-魔力だってちょっとしか無いし」

「うーん、それはまだ上手く使えて無かっただけじゃないかな? 一つの身体に三人分の……それも一つ一つが一等星のような輝きを持つ魂が共存しているなんて普通は無い事だからね。僕も初めて聞いたよ」


 四百年も生きているクシャナでさえそれまで聞いたことが無かったというのなら、相当に異常なことなのだろう。


「私って、すごいことになってるんだね」

「……もしかしたらそのうち、魂の多さに耐えきれなくなった身体が破裂しちゃうかも?」

「怖いこといわないで!?」


 内側から爆発して死亡なんて、そんなの過労死した前世よりも浮かばれない最期だ。

 

「ま、そんな冗談は置いといて。アリスちゃん、自分の内側に意識を向けてごらん? 魂の形を正しく認識して、自分の奥底に眠るもう二人の自分を理解するんだ。無意識にでも一度は成功したんだ、きっとできるはずだよ」

「そんなこといわれても……」


 むむむ、と眉間に皺を寄せて自分の内側に意識を向ければ、一応ぼんやりと渦巻く魔力の塊は感じ取れるのだが。


「……魂なんてどこにあるのさ」

「あはは、アリスちゃんにはまだ難しいか……ま、そのうち気づいたら出来るようになってるよ」

「なにそれ」


 むー、とむくれるアリスをクシャナは優しく撫でる。


「焦る必要ないさ。君はこれまでの二度を足してもまだ百年も生きていないんだし、ましてやこの身体になってたったの五年でしょ? 永遠にも等しい天使の生の中じゃ、まだまだ赤子のようなものだよ。気長に頑張ろう」


 僕も時々手伝ってあげるからさ、と言ってクシャナは笑う。


「さて、静養の邪魔をしたくないんだけど……君に話しておきたいことがあるんだ。君のルーツにも関わる話だから」

「何?」

「かの大天使、アリシエルのことさ」

「――ッ!」


 神代の時代、エルネスタに仕えた天使アリシエル。その名は数多いる天使の中でも、二つの理由から異彩を放つ存在として知られている。


 一つは、彼女に関する伝承の少なさ・・・


 神代に存在した多くの天使はその偉業や人となりが、聖典の中、あるいは口伝、他にも様々な形で千年以上経った今でも語り継がれている。それにも関わらず、アリシエルという天使について伝わっているのは、教典に書かれたわずか一節だけ。


『神エルネスタに仕え、身を賭して世界に秩序と平和をもたらした、最も偉大なる天使』という簡素な一文――それが、アリシエルという天使を語る全てだった。


 そしてもう一つの理由は、エルネスタに仕えた天使がアリシエルただ一人・・・・だということだ。正確に言えば、アリスが千年の時を超えて現れた二人目ということになる。


「まぁ、僕が生まれた四百年前には既に過去の人だったからね、伝聞で聞いたぐらいの話だけどね……誰よりも心優しく、世界をより良くするために身を賭していた。そんな天使だったって話だよ。彼女の事を尊敬している天使は数いれど、悪しざまに言う者は一人もいなかったって」

「立派な天使だったんだね」

「同時に彼女は最も強い天使だった。知っているかい? 本来、僕ら天使に与えられる力は、主神が持つ力の内の一部でしかない……けどねアリシエルだけは違う。彼女は文字通り主神エルネスタの名代として、神に匹敵する力を扱うことができたんだ」

「……なんのために?」

「さあ、それこそ神のみぞ知る話じゃないかな。ただ、アリシエル自身はその力を何のために振るうと聞かれた時、決まってこう答えていたらしい」


 ――『誰もが笑顔で生きられる、この自由・・な世界を守りたい』

 

「不思議な話だろ? 秩序を司る神の使いが自由を尊ぶなんてさ。それがエルネスタの意志なのか、それともアリシエルが望んだことなのかは今となっては誰も知らない。ただ一つ確かなのは、その願いこそが『審判の日』を引き起こした……」

「……その日、何が起こったの」

「僕もよく知らないんだ。確かなのは、僅か一日で数多いた天使のほとんど・・・・が命を落としたということさ」

「ほとんどって……生き残っている天使もいるの!?」

「そう、僅かだけど生き残りがいるんだよ。でも、生き残った天使は皆、人の世に関わることを……天使として世界を導くことを自ら禁じたんだ。中には正体を隠しながらこっそり人助けをしている天使もいるらしいんだけど、大半は世俗を離れたご隠居さんだよ……あ、この話は秘密だからね? きっとすごい騒ぎになっちゃうから」

「う、うん……」


 アリス一人ですら、教会が強硬手段に出て手中に収めようとするほどだ。伝承の中の天使がまだ生きている等とバレたら、国を挙げての天使狩りが始まってもおかしくない。


「僕が昔の話を聞いたのも、生き残りの一人さ。見た目だけは若々しいおばあちゃんでね。昔の話をあまりしたがらなくて、聞き出すのに苦労したんだけど……そうだ、彼女はアリシエルについてこうも言っていたよ」


『あの日、世界は、神代はあやつのせいで滅びたと言えよう……だがの、世界は間違いなく、あやつに救われたのじゃ。それだけは忘れるな』


「たった一人で世界を滅ぼし世界を救った、なんてまるで君みたいじゃないか……あるいは、だからこそ君がアリシエルの後継者に選ばれたのかもね」

「……そのおばあちゃんは、今どこにいるの」


 アリシエルという天使のことなど、今までさしたる興味は無かった……けど、今は思う。


 きっと、知らなければならない。この三度目の生で、自分が何を成さなければいけないのか……きっと、その根幹に関わるはずだと。

 

「……そうだね、君はアリシエルのことを知る義務、知る権利がある。あの人もアリシエルの後継者たる君になら真実を話してくれるはずさ。けど、気まぐれな人だからなぁ……二十年前に会った時にはこの国にいたんだけど、今はどこにいるのやら」


 まあ見つかるまで気長に待っててよ、と申し訳なさそうに笑うクシャナ。


「さてさて、本当はアリスちゃんの体調が治るまで看病してあげたいんだけど、僕もお仕事もどらなきゃいけないから……名残惜しいけどもう行くよ」

「あっ……」


 そう言って、アリスの頬に触れるような口づけをしたクシャナ。前も別れ際にキスをしていたが、彼女の故郷の風習なのだろうか……と、アリスが思っている間に、クシャナは猫の様に跳躍して窓枠に飛び乗る。


「ねえ、アリスちゃん。君は確かに前世の記憶と魂を受け継いで生まれてきた。けれど、魔王セレナーデも聖女シルヴィアも、結局はただの過去だ。今の君では無い」

「……うん」

「ましてや、アリシエルなんて結局はただの他人だ。君はきっとアリシエルの代わりになることを求められるかも知れないけど、そんなの気にする必要は無いから、君は君の生きたいように、生きればいい」

「大丈夫、ちゃんとわかっているよ」


 クシャナを安心させるようにふわりと微笑むアリス。しかし、その胸中には確信めいた予感が渦巻いていた。


 ――きっとどれだけ目をそらしていても、きっと過去からは逃れられないのだろうと。


「じゃ、またね」


 クシャナは窓から飛び出し、たたんでいた翼をバサリと広げ、大空へ向かって飛び去っていった。その姿を見送ったアリスは、ふわぁ、と可愛らしいあくびをするとやがて再び布団の中に潜り込んだ。しばらくして微かに響く穏やかな寝息。


 ――翌朝、アリスはクシャナが置いていったお見舞いの果物……それも明らかにこの街じゃ手に入らない品まで入ったバスケットを見て、どう誤魔化したものかと頭を抱えるのだった。

次回の投稿は10/7を予定しています。


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呟いています:X(旧Twitter)→@Ressia_Lur

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