九話 旅立ちⅣ
覆い被さっているのは、成人した男だろうか。暗い車内で顔がよく見えないおぼろげな姿を見て、首に突きつけられたナイフを見て、アリスはすぅっと息を吸い込み。
「助けてー! へんたいむぐっ」
「騒ぐな、それと妙な事を口走るな!」
「むー、むー!」
口を塞がれたアリスがジタバタともがいていると、馬車の外が俄に騒がしくなった。咄嗟に上げた悲鳴が無事に届いたのだろうと、アリスは安堵した。
「クソ、気づかれたか! かくなる上は!」
「わ、わわっ!?」
「次妙な真似をしたら、無事な身体で帰れると思うな……!」
男はアリスを左手で抱え、もう片手を外へと続く馬車の扉へと向ける――その手に渦巻く、大きな魔力のうねり。
「御使い様、どうし……ッ!」
「リチャードたいちょ、危ない!」
「どけッ!『ブラスト・ロア』!」
アリスの警告も間に合わず、扉を蹴破ったリチャードごと、男の放った暴風の魔法が馬車の壁を吹き飛ばした。そうして馬車に空いた大穴から男は飛び降りる。
薄暗かった車内とは対照的に、外は煌々と燃えるたき火や月明かりで視界は明るく、アリスは漸く襲撃者の顔を見た。
見た瞬間、絶句した。
「……え、カルトロさん?」
襲撃者の正体は、大聖堂からの使者である騎士、カルトロ・ヴィッカーナだった。
先行して王都に向かったはずの彼が何故ここに? どうしてこんなこと……? 困惑していると、夜闇からカルトロと同じ鎧を纏った十人もの男が現れて、第二部隊の騎士達に襲いかかった。
「足止めだけで構わん、そいつらに私の邪魔をさせるな……!」
襲撃者達に指示を出して、カルトロはアリスを抱えて森へ駆ける。
「おい、待ちやがれ! ……ああ、邪魔なんだよお前ら!」
「御使い様、すぐに助けに……!」
カルトロの逃走を阻止しようとして、しかし襲撃者らに阻まれる騎士達の声もすぐに遠くなっていき……いとも容易く、アリスの身柄は野営地から攫われてしまった。
◇◆◇
(……どうして? なんでカルトロさんが?)
信用できる人だと思っていた。娘を連れ去られまいと抵抗する両親に対して、斬り捨てることも容易かったはずなのに、最後まで実力行使をためらってくれたような男だった。
「はぁ、はぁ……やったぞ! 天使は私のものだ……! コレさえあれば、全て……!」
アリスを抱えて森を走るカルトロの目は血走っている。それは欲望に己を支配された者の目だった。
(どうして?)
ただ疑問だけが渦巻く。気づけばカルトロは森の中にぽつんと開けた空間で足を止めていた。
「おい、言われたとおり連れてきたぞ! さっさと出てこい! ……おい、いないのか!」
「――そんなせかすなって、今出てきてやるから」
カルトロの呼びかけに応えて木陰から出てきたのは、黒い装束と白い仮面で全身を隠した男だ。
「うんうん、約束通り無事につれて来たみたいだな、それじゃ、その子を渡して「断る」……は?」
「奪う気だろう? これは私のものだ! 貴様らは計画どうり逃走の手筈だけすればいい」
「……いやいや、だからそのために一度その子の身柄を預けて貰う必要があるわけで」
「ならば逃走手段だけよこせ。後は私でなんとかする!」
「はぁ? んなこと言われてもなー」
その子を渡せ、いや渡さない。平行線となった言い合いに先にしびれを切らしたのいはカルトロだった。
「ええい、いいから私の言うとおりにしたまえ! 分け前が欲しいのなら、羽ぐらいならくれてやるぞ!」
「いぅッ!?」
カルトロの手がアリスの翼を掴んで、力任せに引っ張る。抜けかかっていた羽が自然に抜けるのと訳が違う、無理矢理引きちぎられようとする激痛にアリスの顔が苦痛に歪む。
「ひぎっ、おねがい、やめ……!」
「クソ、なぜ抜けな……ガァ!?」
「……え?」
突然、羽を引きちぎろうとする手の力が緩んだ……それだけで無く、意識を失ったカルトロがドサリと倒れた
もう一人黒づくめの――こちらは仮面では無く覆面で顔を隠した男がすぐ後ろに現れ、カルトロの背中に短剣を突き刺していた……そのことを、いつの間にかカルトロの腕から覆面の男の手に奪われていたアリスは遅れて理解した。
(どこから……いえ、いつ出てきた!?)
アリスは気配を探るのが得意では無いが、これだけの距離まで近づかれる前には流石に気づく。だが、覆面の男の接近には全く気づけなかった。
「ちょっと、殺しちゃダメって言われていたじゃないですか」
「急所は外した。彼女の身が最優先だ」
「ま、そっすけどー……んで、どっか怪我ある?」
「あ、うん大丈夫……?」
妙にフレンドリーな仮面の男に困惑していると、アリスの身体はそっと地面に降ろされた。
「……ねえ、こんなの」
「なんかの間違いって言いてーんならちげーぜ。この騎士サマは私利私欲のためにアンタを攫った。それが真実だ」
「なんで……!」
「……ま、多分それがこの男の本性だったってことじゃね? 言っとくけど、貴族なんざ外面のいい奴ほど内面ドスぐれえもんさ。特にうちの伯爵様なんか――」
「喋りすぎだ」
「へーい……んじゃ、もうすぐ迎えが来るからちぃーっと待ってな」
アリスのことを放置して、黒づくめの男二人はその場に座りこんだ。
「……私を拘束しなくていいの?」
「え、縛られてぇの?」
「そんな分けないでしょ」
「んじゃ、そのまま大人しくしてな」
「こちらも、手荒な事はしたくない」
「……そう」
拘束はしない、けれど解放するつもりは無いという態度。逃げ出そうがどうとでも出来るという侮りの表れだろう。
(随分と舐められたものね……!)
魔王として世界の頂点に君臨していたというプライドがうずき、目に物見せてやると煮えたぎる――それも一瞬の事、アリスは力なくへたり込んだ。
(……疲れちゃったな)
家族と、友達と引き離されて。寂しいという本心を手遅れになってから自覚して。命の危険にさらされて。信用できると思っていた相手から裏切られて。
ただ平穏を望んだ、その末路がこれなのならば。
(こんな世界、今度こそ滅ぼしちゃおっか)
――気がつけば、胸の奥底に巨大な力のうねりを感じていた。それがつい数時間前、トゥループ・ウェスペの群れを引き寄せたそれだと気づき、アリスは迷うこと無く意識を向ける。
理屈では無く、本能で感じ取っていた――それは、転生して失っていたと思っていた魔王としての力だと。
(壊せ、殺しちゃえ、めちゃくちゃにしちゃえ)
形作られるのは形の定まった術ではない、ただの感情と衝動の発露だ。何でも良いからぶち壊せと、魔王だった頃に戻ったかのように荒ぶる感情に呼応して、力は膨れ上がる。
気づけば、周囲の空気がざわざわと蠢いていた。
「……なんだ、これは」
「お、おい! 何するつもりだ!?」
流石の男二人も、ただならない様子に気づいて俄に焦り始める。そんな様子を目にしてニヤリと笑ったアリスは、膨れ上がって段々と制御を外れつつある『力』を解放しようとして――
「あー、やっと見つけたぁ! ……あれ、お取り込み中?」
――やや間の抜けた声に集中を乱され、力はふわりと霧散してしまった。やがて、声の主が上空から降り立った。
「……あなたは、あのときの」
現れたその姿は見覚えがあった。外套を被った小柄な姿……すなわち襲撃の直前に見た人物だった
(やっぱり、仲間だったんだ)
これが二人の言っていた迎えか――しかし、二人は外套の人物に武器を向けた。
「誰だ」
「それ以上近づくなよ。じゃねーと……」
「いやぁー、びっくりしたよ。こっち来てって呼んだのにアリスちゃん来ないし! なんかいなくなってるし! もー、あちこち探し回るこっちの身にもなってよね」
外套を被っているので顔は見えないが、そのやや高い声からしてその中身は少女だろうか。
向けられる武器など……そして立ち塞がる黒装束の男達の存在すら意に介してないようで、フードの奥から見える口元をニコニコと緩ませていた。
「警告は、したからな!」
「おっと」
仮面の男が短剣を手に躍りかかった。外套の少女の右腕の腱を狙って目にもとまらぬ早さで突き出された短剣は躱され、逆に腕を捕まれる。
「悪いけどただの人間に用はないんだ。ちょっと眠っていてね?『焼けろ』」
「ぐぁあああ!?」
少女の手から黒い炎が吹き上がり、仮面の男の腕を焼く。肉が焦げる不快な臭いが辺りに漂い、覆面の男はその場に倒れた。
「まずは一匹」
「……そこだ」
いつの間にか少女の背後をとっていた覆面の男が、短剣の刃を振り下ろす。刃が身体に触れる直前、少女の姿は手品のように一瞬でかき消え、刃は宙を切るのみに終わった。
「どこいっ……ぐっ」
「残念でした、それ蜃気楼だよ。邪魔だから君も眠っててね」
消えたと思った少女は、覆面の男の背後にいた。手刀を首筋に落として、静かに男の意識を刈り取る。
呆気のない決着だった。
「ふぅ、邪魔者はこれで全部? いやぁー、ようやく落ち着いて話せるね! 待ちくたびれたよ!」
「……あなたは敵なの? 味方なの?」
「もちろん味方だよ! あ、それと僕はアリスちゃんのこと大好きだし是非仲良くなりたいって思ってるよ!」
「貴女のことなんて知らないんだけど」
「あはは、そんな他人行儀なこと言わないでよ。なにせ――僕と君は同胞なんだからさ」
「えっ……?」
――同胞。少女はアリスのことをそう称した。
「それに、君は僕の事を知らないだろうけど、僕はアリスちゃんの事を知っていたんだよずっと、ずーっと昔からね」
「……何者なの?」
「ふふふ、よくぞ聞いてくれました。それじゃあ正体を明かすとしようか!」
じゃーん! というおどけた声と共に少女の身を覆っていた外套がバサリと取り去らわれる。そうしてその姿が露わになった。
灰色の髪を肩に届くショートカットにした、やや中性的な見た目の少女だ。様々な彩色の幅広の布を何枚も重ねたような、異国風の装束をしている。
そして、その背中には――アリスと同じく、しかしこちらは広げれば伸ばした腕の指先まで届く程の、大きな白い翼が生えていた。
「僕の名前はクシャナ。神アシュヴァルドに仕える天使の一人さ。よろしくね、アリスちゃん。それともこう言うべきかな? ――久しぶりだね、魔王セレナーデ」
次回の投稿は9/24を予定しています。
評価・感想などいただけると励みになります。
呟いています:X(旧Twitter)→@Ressia_Lur