墓参の怪
深読みさえしなければ、ただの間抜けなお話です。
婚家のお墓は、車ならすぐそこの霊園にある。
車の運転できない一家だから、電車ででかけて半日仕事。
あれけっこう好き。
実家のお墓は……。いちばんお参りしてたお墓は、実家から自転車で二十分くらいの公園墓地にあった。うん、あった。
ある日いつものようにお参りに行ったら、なかったのね。
あれだけ通ってるのに場所を間違えたのかと思って、入口まで戻って辿りなおしてみたり、数を数えながら辿ってみたりとしたけど、やっぱりないのよ。更地。
お参りには行ってたけど縁者であって近しい血縁ではないから、継いだ人が墓じまいしたの、連絡もらえなかったんだねえ。文句言う筋合いもないし(言う人でもないのは先方も知ってるはず)、事後報告でも欲しかったよ。
あれは心臓によろしくない。まじで。
たぶんもういけない方のお墓は、本気で山の中にある。村の外れの小さな集落で、平成初期まで土葬だったところでもある。
お盆の帰省時は、集落の男衆が道を作ってくれていた。葬式時も同様だったのだろう。集落の共同墓地的な感じ。
ぽっと思い立って行ける場所ではない。あれだけ親戚一同集まっていた家も、数年前に見に行ってきたと言っていた叔父の話によると、すっかり朽ちてしまっていたとのこと。住まないとすぐダメになるよね。
もはや実際の埋葬地手前にあった墓石のところまで、たどり着けるかどうか。
というか、今どれだけの人が住んでいるのか。もう誰も居ないかもしれない。
さて、話は戻って婚家のお墓である。
今でこそ迷わなくなったが、十年くらいはひとりででかけると八割以上の確率で迷子になった。広すぎるよ霊園……。
まず、墓参の人が集中する時期はいけない。最寄り駅でうっかり人の波に飲まれると、行ってはいけない方向へ連れていかれてしまう(そこも霊園なんだが
三回ほど飲まれ(それぞれ盆、彼岸、年末であった)、うち一回はこのまま遭難するんじゃないかと本気で焦った。真夏の霊園で遭難、洒落にならない。
ちょっと入口が違うだけで目的地にたどり着けるまで必死に歩いて三時間近くかかるとか、なんなのさ。朝出たのに帰宅したの夕方だぜ。普段なら昼過ぎなのに。
家族に「駅出たところで人の波に飲まれた結果、遭難しかけてるけど帰巣本能に頼る」と連絡はした。意味不明すぎて頭を抱えられたそうだ。
どうにか人の流れを避けて本来の道へ向かえた場合、そこの角に罠がある。なぜか毎回、曲がりたくなる角があるのだ。その誘惑は今でも健在である。
曲がったらどうなるか。霊園には着くし、遭難度合いも割と低め(流れに飲まれたとき比
でも疲労感が半端ない。なにか精神的にむしりとられていく感じ。霊感とか皆無なんですけど。
あとこの角を曲がって進んでいくと、墓参用特化の花屋さんがある。もしかしてここが呼ぶのか、花持ってんのに。
誘惑をどうにか回避して進めば、ようやく曲がるべき角にたどり着く。
ここからはスムーズである。邪魔は入らない、夫が毎回、墓の位置を間違える以外は。
誰んちの墓だよ。
そして帰路、事件は起きる。
道を訊かれる。
迷子のペットさんの相談を受ける。
誰かの家の場所を訊かれる。
謎の宗教勧誘。
エトセトラ、えとせとら。
ごめんなさい、役に立てなくて。
ただ墓参りに来ただけ……。
自分が迷わずに来て帰るだけで精いっぱいなんだ――。