そのいつか、はこない
「いつか、○○をしたい」
「いつか、○○へ行きたい」
「いつか、○○を食べたい」
生きていると、そんなことを考える瞬間がたくさんある。
そろそろ半世紀児の体感からいえば、「その『いつか』は、本気なら意地でも早いうちに叶えとけ!」である。
「好きと義務の狭間で」回でも書いたが、体質が変わってしまったようで身体が受け付けてくれない食べ物が格段に増えた。
正確には、受け付けてくれない素材(主に液糖。だけではないあたりが嫌になってくる)があり、それを原材料に使われている加工品が多すぎて、食べることができなくなった。
食べ物へのアツい気持ち(?)はあっても、食べられない。
気になるものを見つけたら、まず原材料を確認。あるいは、見た目から原材料を予想する日々。
食材そのもの以外は何を選ぶにも時間が掛かって仕方がない。しくしく。
昨年、JRのさわやかウォーキング企画に「ベーカリーウォーキング」ちゅーもんがあるのを知った。実家最寄り駅発でパン屋さんを数件めぐる旅。既に何回か開催されていたらしい。
実はそのパン屋さんたち、全部知ってた。知らん間にできててそのうち行ってみたかったところと、駅前にあったのが移転したところの移転後だけ、入ったことがなくて。
つまり、迷子にならずにウォーキングが完遂できる!(動機よ
「参加してみたかったけど、パン屋さんでためらわずに買えるのって、ハードタイプのフランスパンくらいしかないんだよねえ……」
チェックポイントが店舗だから、客にならないという選択肢はない。
店の数だけフランスパン持って歩くのか、五~六本。それを持って電車で帰る? なんか嫌。
結局、涙を飲んで断念した。
自宅と実家で爆笑された。みんなひどい。
このベーカリーウォーキング企画、ほかの地域でもあるみたい。気になる。
友人にいる「コレ食べるとおナカ痛くなるけど、食べるよー」という人。
ちょっとどころでなく尊敬する。痛みに強い方ではあるけれど、これを耐えるのはわたしには無理だった。
痛いだけじゃないもんね、液糖のときはシロップ臭がすごいの。
最初は糖尿を疑ったよ。違った。
近頃よく聞く業務スーパー。行動圏ではないけれど、数駅先から歩いて二十分くらいかな? というところにあるのは知ってた。車ならすぐなんだが、なにぶん運転できないもので。
いつか行ってみたいな~と思ってたのに、こんな身体(主に腸)ではたぶん買えるものがない、よく聞く品揃えから察するに。
冷やかしだけの客なんか、店的に要らんよねえ。
離れたときに、いつか立派になった自分を見てもらいたいと思った人がいた。
自身は立派にはなれなかったけど、今なら自信をもって会えると思った頃に、その人が数年前に亡くなっていたことを知った。もともと近しい存在ではなかったから、連絡はなくて当然である。そこに負の感情はない。
ただ、もう会えない。そんな人が実はけっこういる。
いつか行ってみたかったところ。
ようやく行けたら、更地であった。しかも、近くで訊いたら、そこと現在の間に別のものが建ってた時期があったとか。それすら知らんかったよ。
別の場所では、徒歩圏内にローソンができたぜいえーい! と喜んでたら、行く前になくなっていたとか。二年もたなかったんでは。
むう。
「推しは推せるときに推せ」とは違うのだけど、どことなく近いものを感じる。
「いつか」の目標は遠い先にしてると叶わなくなる。
どこで折り合いをつけるか、自分の中で明確に線引きができるようになりたい。