受験生の親らしい、とは
我が子は成人済みなので、もうその立場になることはないのだが。
高校受験時も大学受験時も、なぜかやたらと「受験生の親らしくない」と言われ続けた。なぜ。
そもそもで、「受験生の親らしい親」とはなんぞや?
受験するのは受験生であって自分ではないし、頑張ったり頑張らなかったり、感情がもつれたりするのは受験生本人だよなあ。
高校受験時は学校選定でちょいと口出しはしたけど、あとは日常をいかに普通に淡々とまわすか、が自分のテーマだった。
親が本気で大変なのって、中学受験までじゃないかな。経験ないけど。
わたし的にはちゃんと受験生の親やってたと思ってるから、あれは未だに納得がいってない。
「めし(を食え)」
「ふろ(に入れ)」
「(はよ)ねろ」
くらいしか言うことなくない?
あとは志望校を受験できるように担任とたたかうくらいか(物騒
いやね、たたかうしかなかったのよ。
SSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール:理数特化)を受けたいといってるのに、なぜかSGH(スーパー・グローバル・ハイスクール:国際教育特化)を推してくる担任とか、志望校を「そんなところ(ちょう失礼)で満足しないでください」と言い出して、受験させない気満々の担任とか、だったしね。
そんな不毛なたたかい、周囲に言いたくないじゃない?
SSHは無理を承知の上でごり押し受験したので、無事に(?)落ちた。
でもあれうっかり親が引いて受けられなかったら、たぶん一生恨まれてたと思う。
ついでにいえば、なんかの間違いで合格してたら、たぶん落ちこぼれてた。
「やれるだけやったから」と、妙にスッキリした表情をしてたのを覚えている。
進学できた先がものすごく合ってたから、やっぱりご縁なんだなあと思った次第。
あとは大学受験時の「ねえ、出願いつまで~?」「あ。」。
出願しないと受験できないんだぜー。
なんで言われるまで思い出さないんだ(笑
あの時はなぜか夫がガチギレしたので宥めるのが大変だった。
うん、やっぱり「受験生の親らしい親」ってよくわからない。
ご縁があれば行けるし、ご縁がなければ実力があってもなぜか合格できなかったりするし。やきもきはするけどこればかりは。
……という考え方がおかしいのかな。