正しく認識できない
なぞのホラー風味。本人は必死なのに。
わたしは人の顔と名前を一致させて覚えることが苦手である。
自慢になど到底ならないが。
子どもの頃からひどかった。一学期めでなんとなくクラスメイトの顔を覚えて、二学期めでなんとなく名前を覚えて、三学期の終わりごろにようやく顔と名前とが一致を始めたな、というところで新学年を迎えて振り出しに戻るのである。
昨年度で同じクラスにいようとも、よほど印象に残った人でない限り半分以上が振り出しに戻るので、効率が悪いことこのうえなかった。卒業時に覚えていたのは何人いたのだろうか。
一学年二〇〇人近かったり、四五〇人近かったりしたからな。高校なんか五〇〇人弱いたから、七~八割くらい知らない人である。卒業アルバムを見たところで「誰?」おそらく顔を合わせたこともないはすだから。
という人の認識に関してそれなりにポンコツを誇るわたしではあるが。
成人後、別の問題が発生した。
人は正しく認識しているのに、顔が違う問題である。
たとえば、Aさんがいたとする。
基本的に「頑張って覚えよう」としたときは、Aさんのもつ雰囲気とシルエットと声で認識していることが多い。次いで顔である。
なぜか通りすがりの人の顔を覚えてしまったりする(そして後日、自分でもよくわからないままに「あの人この前あそこで見た」とか言い出す)せいなのか、Aさんの顔が正しく認識できなくなるのだ。
毎回必ず、見覚えのない人の顔になる。
「Aさんて、あんな顔だったっけ?」なんか違う気がするのだけどな。この人がAさんであることは確かなのだけれど。
なんとも失礼な話であるが、こうなると正しく認識できるようになるまで早くて数ヶ月、遅いと年単位で時間がかかるから困っている。
いちばん困ったのは、子の中学のときの先生であった。
初めて姿を見たときに、なぜか脳内でドーベルマンに変換されたうえに、顔が正しく認識できなくなったのだ。
諸事情あって、学校でお会いするとめっちゃいい笑顔でこちらに向かってくるから、何度そのまま踵を返して逃げようと思ったことか。かろうじて踏みとどまったけれど。
想像してみてほしい。自分を見つけると輝かんばかりの笑顔でこちらへ一直線に向かってくるドーベルマン。
こえーよ。
「あれは人」「あれは人」「ドーベルマンじゃない」
謎の呪文を唱える怪しげな保護者となった瞬間であった。変質者扱いされなかったのが奇跡である。
あのときは治るのに八ヶ月ほどかかった。治ったら異動していってしまったので、せっかく正しく認識できるようになったのにもったいないな、と思ったものである。失礼ってなんだっけ。
子が高校のときの先生にいたっては、顔は正しく認識できていたのに、なぜか巨大な直方体のブロックがのっしのっしと歩いていた。ドーベルマンとは違う意味で恐怖だった。結局治らないまま卒業したな。
ようやく落ち着いて、顔はわからないなりに人を認識してきていたのに。
先日行ったライブで推しの顔が崩壊するという悪夢が。ええーー。
「うわ、ここで出るかー」と思わず呻いてしまったが、同行者には聞こえていなかったようでほっとした。
この推しの姿を見る機会は多くない。これは非常にまずいかもしれない。
写真を入手して日々眺めるしかないのか。
これで最推しが崩壊なんかした日には、世界が終わるかもしれない。




