おかあさんの昔話 3
R15に引っ掛か……らない……よね?
母と話していると、わりと頻繁にループする話題がある。
終活を進めたいのに同居家族(年の順からいけば残る方)が我関せずだからだろうか。話をしようとするとキレ散らかすからどうにもならないと嘆かれたが、実家から出た身が介入するのもアレなので(母もそれは重々承知している)そのまま止まっている。
さて。
血縁としてはかなり薄い、いわゆる「遠い親戚」にあたる家が昔は葬儀屋だった。葬儀屋といえばここ、的な存在。おそらく葬儀屋が葬式を執り行うようになった頃に立ち上げたと思われる。やり手だったみたい、初代。
いろいろあって、現在は跡形もなかったりする。
「遊びにいくと(徒歩四十分少々)店先でお嫁さんが造花を作ってて」って、気軽に行く距離なのかそれ。
この造花は、葬儀で使う花籠用である。生花はどれくらい使われていたのかな。当時の状況を考えると、当たり前にはないものなあ。
昭和前半の人の行動圏ってどうなってんのという疑問は毎回抱くも、「そりゃあんた、車なんてそんなない時代だからさ」の一言で片付けられる。
まあそうなんだけど。そうなんですけれどもさ。
徒歩で二時間くらいかかるあたりの友達の家(農家)に、農繁期のヤマをこえたあたりで「ご馳走あるから遊びにおいで」と誘われて出掛けてたとか。
「徒歩圏内」の範囲の広さよ。
葬儀屋の場所が**。そこから向かう火葬場は、北寄りの○○か東寄りの△△。
△△の方が新しく、その地域に住んでいた人々には「△△で焼かれたい」と、それだけ聞いたら謎の願望があったようだ。大人気。
単に「新しいから」ではない。
焼場におさめられる棺が、今の形だから。
なんのこっちゃ、と思われると思う。
歴史の資料を思い出していただきたい。古墳とかから出土した、偉いさん以外の埋葬者。あれ、体を折り畳まれた座った姿勢で埋葬されていなかったか。
座棺(ざかん)と呼ばれるその棺、土葬に適した桶型とされているけど、単純に省スペースだからだと踏んでいる。掘る穴も小さくて済むし。
明治以降に火葬が推奨されるようになったからといって、即、棺桶が対応できるわけもなく。座棺の焼場ができた、それが○○。
現在の形である寝棺(ねかん)を導入するために造られたのが、△△である。
表現が雑になるけど「死んでまで座りたくない」ということだろうか、あるいは遺される人への配慮か。折り畳む側もたいへんだし。
「すわりがんでなく、ねがんで焼かれたい」という共通認識があった。
同じ寝棺で焼かれるにしても、生家の方(これまた別の地域)のが聞く限りで強烈だった。焼場が釜でなく、台を組んで上に棺を置き、点火したらその場を去るという段取りで。
「連れていかれるから早く離れなさい、振り返らずに」と急かされる。
想像ついちゃうんだな、これが。ホラーだわ。ほんと振り返っちゃだめなやつ。
その辺りを知ると、当時の埋葬事情ってかなり複雑。対応する葬儀屋もたいへんだ、土葬に火葬、座棺と寝棺が入り交じるのだから。
今じゃ公園墓地へれっつごーだもんな。
しかも、今みたいな霊柩車なんてなくて、大八車をベースにした専用の荷台に棺を載せて飾り、運んでいくかたち。
当然、人力である。
どのルートを通っていたのかは、わからない。今みたいな道ではないし、聞いてもわからないかも。葬列だから、さすがに街道筋は避けるだろうとは思う。
土葬となるとさらに前準備がある。「誰かが亡くなると、まず※※峠の向こうから『あなほりさん』って呼んでた人に来てもらって」
まって。
その※※峠の向こうて、隣県。
ほんとどうやって来てんだ、当時の人。徒歩なんだろうけど。
彼らに、墓地で墓穴を掘ってもらうのだ。
ちょっと脱線する。土葬用の穴って、めっちゃ深い。
「墓参の怪」回でちょこっとだけ書いた、もう行けない方のお墓で、土葬の葬式を経験していて。このときは集落の人が掘ってくれたらしいと聞いた。
知識としては知っていたけど、どれくらい深い穴なのかを自分の目で見てみたくて。足元を慎重に探りながら覗きに行こうとしたら、まだ全然見えてないところで大人につかまって、ものすごい勢いで叱られた。
――穴に入ろうとしているように見えたらしい。
誰が入るか。底も見えんのに。
うっかり落ちたら助けようがないくらい深いとのことで、それ以上進んで覗くのは断念した。この件、三十年以上経つのに言われるんだけど誰よしつこいの。
後から訊いてみても、納得いかないのは四メートル説と七メートル説とが出たから。どっちだよ。
助けようがないのは理解したけど、どうやって掘ったのか。
そもそも普段は獣道、集落の大人が伐採しまくって道を作る墓地。重機の入る道などない(その前に用水路に落ちる
お互いに訛りがすごくて意思疎通が難しく、訊くのを諦めたことは後悔している。
あと、こうやって掘り返しを繰り返すから、いつの誰のかわからない骨が出てきちゃったりもする。あのときは頭骨だった。とてもきれいな状態で。
「これ誰よー」「わかんねえー」「一緒に埋めといてやるかー」ぽーい。
大人たち、ちょうアバウト。
この件があるから、なんかの事件で猪かなにかが一~二メートル深さのところに埋められてた話を聞いて「浅っ」と反応。
野性動物(とは限らないけど)に掘れる深さだからね。豚インフルエンザ絡みだったのかな、たしか。漁られたらそこから拡がるじゃーん、とニュースに文句を言った記憶がある。そして家族に驚かれる。二メートルもあれば十分でないかと思うようだ。
犬の穴掘り知ってると思うんだけどな、特に夫、犬飼ってたことあると言ってたし。掘らない子だったのだろうか。
というわけで、埋めるならちゃんと埋めましょう(謎の呼び掛け
衛生面だけでなく、労力の観点からも、火葬へ移行したのが解るような気がした。
一部はお寺さんの脇とかに残っているものの、ほとんどの墓が公園墓地に集約されたのではないだろうか。
ここに墓を建てたので、墓参のために送迎バスで訪れる一行。当時は今ほど車もなかったしね。送迎ありが売りだったのか、皆でお金を出しあってバスを借りたのか。
自転車だと一時間ちょっとくらい? 往路はゆるやかーにのぼり続けるかたちになるから、たぶんしんどいぞ。
自転車も乗れる人ばかりではないし。世代的に。
そしてたぶんこの頃、わたしはまだこの世にいない。はず。
そして聞く、衝撃の事実。
「(公園墓地の)入口からいってしばらくのとこに、トイレあるじゃない。あそこがねえ、最初焼場だったのよねえ」
ををぅ、聞きたくなかったよそれ。散々お世話になってるわ、あそこのトイレに。
墓所の拡大に伴ってか、釜の新設かで移動したみたい。
でも、だからってトイレ……。
もう知ってる人の墓地もないから行くかどうかわからないけど(可能性があるなら両親の今後?)、行ってもトイレに入れるか。たぶん入るけど。
だって周辺、変わってなければ学校と民家しかない。
でもなあ、母はともかく父はなあ。
なにをして母の機嫌を損ねたのか「故郷の橋の上から(遺灰を)撒いてやるっっ!」と怒られてたからなあ。
愛なのか、それは愛なのか。
と、訊いたらなんか飛び火してきそうだから黙っておこう、うん。




