続・適正量、とは(写真があります)
2024.11.16 07:25 サブタイトルに「(写真があります)」をつけていませんでした。申しわけありません。
適正量、というものに憧れる。
わたしが料理をすると、たいていの場合において、鍋いっぱいになる。
ある意味適正量なのかもしれない、鍋にとっては。
ここしばらくはそれなりにうまいことできていたから、完全に油断していた。
子が「取り分け(方式)がいい」というので、いつも使っている深い鍋ではなく、二八センチ径の炒め鍋(深いフライパン)で味噌煮込みうどんを作ったのだ。
ちょうど使いきりたい白菜があったのもある。
白菜、にんじん、しいたけ、ねぎ、油揚げ、鶏肉。今回は鶏肉が多いため、たまごは入れない。
それぞれを単体で刻んでいるときは量を絞っているつもりでいても、揃った姿を目にすると「……。」となるのが様式美。
しっかり煮込んだ野菜がすきなので、すべての具材をほどほどに煮たところにうどん麺を入れる手順にしている。
だが、しかーし。
「……麺の入る余地はあるのか」
口をついて出てきたのは、そんな文言だった。
「えっ?」
「いつものように、具を入れたんですよ」
「うん」
「いつものように、山ができたんですよ」
「葉っぱだしねえ」
「白菜、湯に沈めたんですよ」
「早くしんなりするもんね」
「これ麺の入る余地、あるのかなって」
「麺、省略しないで」
訴えられてしまった。
仕方がない、頑張りましょう。
どうにか麺に入っていただいて少し煮て、添付の調味味噌を加えると……いつものことながら、浸透圧で白菜の嵩が一気に減る。
味噌を馴染ませながら、さらに煮込む。
やっぱり加入生協の味噌煮込みうどんがいちばんすきだなあ。製麺所の出している別の品は食べられない(添付つゆに異性化糖がいる)ものが多いが、この味噌煮込みうどんときしめんはもともとすきだし、現在も食べられるのがありがたい。
そして、新たな問題が浮上した。
「これ、運べるかなあ……」
運ばなければ。謎の使命感により、どうにかなった姿がこちらである。
なかなかうまいことサイズがわかるように撮れなかったので、苦肉の策で七味を置いてみた。
鍋の大きさとアホな量がおわかりいただければ幸いである。
いつになったら適正量が作れるようになるんだろう、わたし。
と言いたいところなのだが、これがなくなるんだよなあ。三人しかいないのに。




