一日分の野菜
一日分の野菜、といっても野菜ジュースのことではなく、食べる方の野菜の話である。厚生労働省の示している指針に「(成人病予防の観点から)野菜を一日に三五〇グラム(目標として)以上摂取すること」とあるらしい。
しかし、これが意識しないと案外難しいのだ。
世の人たちはどうやってクリアしているのか。
わたしの居住地である愛知県は、住んでいるからこそ知らないともいえるが国内有数の農業県である。自動車メーカーが有名だから、製造業のイメージの方が住民にとっても圧倒的に強かったりする。
主なところではキャベツと青じそ(大葉)がある。小学校か中学校の社会科でキャベツは習った記憶がうっすらあるが、大葉は知らなかった。思えば愛知県産しか見たことないな、大葉。キャベツは他県産の方が多いのに。
今は春キャベツが愛知県産。
通年でいろんな種類が作られているというわりに、通年では見ない不思議。どこ行ってんだろ。
な の に。
野菜摂取量がワーストな愛知県。
生産した野菜どこいった。
疑問はあるものの、かくいうわたしもたいして摂取していないという現実がある。地域内ではわりと食べている方ではある。なぜ分かったかといえば、ご近所さんや保護者間の会話である。あれは意外だった。
どっかの大学教授(覚えておけなかった)による分析だと、他県に比べると共働き率と外食率が高いらしい。あまり実感がないのはおそらく、子があまり外食を望まない暮らしをしていたからか。
あとは「名古屋めし」に野菜のないものが多いということなんたそうな。たしかに手羽先とかどて煮なんかは酒の肴だし、ひつまぶしや天むすはそもそも主食。薬味はあるがそれは野菜といえるのか。味噌煮込みうどんは我が家のそれが異様な野菜入りというだけで、お店のだと麺主体。野菜(主に白菜)は漬物として出てくる。
もっとも、我が家は食べているときとそうでないときの落差が激しい。
「一日三〇品目の呪縛」に囚われていた時期に、何をどうしていたかの記憶があまりない。とにかく三〇品目をクリアしなければ、で頭がおかしくなるかと思うくらい常に指折り数えてぶつぶつ言っていたのは覚えているけれど。
あれはとてもよろしくない。人に押し付けるのはもっとよろしくない。
その反動からか「一週間でバランスとれていればいいじゃないか」と開き直って以降はばらつきが激しい。
そもそも三食でまんべんなく摂ることが難しいからね。朝なんてきちんと作っても食べない人がいる。だから作ることをやめた。用意はしている、そんな感じ。
子に弁当を作っていた頃は、本人の希望もあって野菜中心のおかずが多かった。卵焼きの上に茹でたパープルキャロットを彩りに乗せておいたら、昼までに青緑色に変わっていたと聞いたのには驚いたが。
これは紫色のもとであるアントシアニンが、卵のアルカリに反応して変色したもの。理科の実験で使ったリトマス試験紙を思い出していただければ分かりやすいと思う。
作った当時は完全に想定外だったから、話を聞いてお腹が痛くなっても笑った。
そんなことをしつつ。
食事の支度もムラが出るわたし。作らないときは本当に作ら(れ)ない。作るときはめちゃくちゃ作る。
以前のわたしはどうやって食事の支度をしていたのだろう。台所にほぼ住み込んでいたから、なにかと動いてはいたのだけれど。
そしてそのムラは、料理にも反映する。顕著なのは「麺料理がカオス」回でも書いた通りの麺類。
味噌煮込みうどんは最近になってようやく気がついたのだが、確実に一日分以上の野菜を入れている。白菜で三分の二を占めているのではなかろうか。
焼きそばやラーメンの具だとキャベツ。
「一食で一日分の野菜を摂れる♪」
たまに微妙に足りなくて「今日は残念なことに一日分に満ちておりません」と出し、微妙な表情で「なにも一食で一日分を賄おうとしなくても」と言われる。
だってそうでもしないと足りないじゃない、野菜。
そうかと思えば、残ること前提で煮た大根(概ね一キロ)がなくなってみたり。煮た大根すき。煮ている間のにおいは苦手だけれど。
いや野菜一種類で一日分を摂らなくても。そのつもりはなかったけれど。
バランスが難しい。
野菜はジュースだけが飲み込めない(トマトジュースも含む)から、そのテのもので補うことも難しい。
やっぱり食べてこそである。うん。
がんばろう。




