富士山の思い出
登山をした話ではないことを先に述べておく。
中学校の修学旅行は行き先が東京方面だった。とにかく人数の多い(一クラス四五人を超える程度)マンモス校であったため、現在のようなグループでの自由行動などあるはずもなく、とにかくクラス単位でぞろぞろと行くタイプの行程をこなす。
その行程の前半に、それはあった。新幹線の都合で複数校が同日発だから仕方がないとはいえ、なんでそこにもってくるかな、富士山。
五合目までバスで行き、しばしの時間散策するという。うん、生徒を野放しにしてもほどほどに目が届くからな、うん。
バスを降りて集合解散場所へ向かう途中で、それは起きた。
道沿いにある売店の前に、エプロンと三角巾を着けたご婦人方がたくさんいたのだ。同じく道沿いに「まりも」と書かれた幟がたくさん立っていて、道の端を歩いていたわたしはことごとく布に引っ掛かるという鈍くささを発揮してもいた。
いくつめかの幟に引っ掛かったとき、突然沿道のおばちゃんに腕を捕まれた。
えっ、なに、なにごと!?
「これ持っていきなさい!」
ほぼ無理やり押し付けられた、水の入った蓋のされた瓶。
え、なにこれ?
立ち止まるには位置が悪く、とりあえずお礼を言って先へ進む。
集合場所に到着し、落ち着いてから手の中のものを見ると、水に浸かったまりもがふたつ。底石と水草を模した飾りも入っている。
「え、まりも?」
たしかにわたしが引っ掛かりまくった幟には書いてあったけれど、富士山でまりも? なんで?
ものがものだけに持っていたナップサックにも入れるに入れられず、手にしたままボーゼンと五合目で佇む中学生。だってうっかり転べないから迂闊に動けない、特に見たいものもなかったし。
集合時間になり、戻ってきた同級生たちに「え、穂積なにもってんの?」と聞かれても「到着したときに通った道にいたおばちゃんがくれた」(押し付けられたとは言わない)としか答えられず「え、そんな人いた?」と騒ぎになる。
いっぱいいたじゃん、エプロンと三角巾を着けたおばちゃんたち。観光地の土産物屋でよく見るような人たちが、なんでこんなところでこんなに並んでんのってくらい。観光地だからいたって何もおかしくはないのだけれど、こんな人数いるんだってくらいいたじゃん。
それを受けて「じゃあ帰りならもらえるかなあ」と言われてもわからないとしか言えなかった。
そして下山のためバスへ戻る道へ向かうと。来た道を戻っていくだけなのに、景色がぜんっぜん違う。
というか、あれだけあって引っ掛かりまくった幟、どこいった?
幟を立てる重りすら跡形もないんだけど。
そして行きにあれだけ表に出ていたおばちゃんたち、一人もいなかった。店内にいるだろうからそこは不思議ではない、とはいえ、一人も表にいない。なんで?
首をかしげながら、四〇〇人以上いたのに持っているのがひとりだけという謎のまりもを手にしたまま、修学旅行の旅程は続いていくのであった。
まぼろし……ではないよなあ、まりもの瓶は実在しているのだし……。
おそらく、富士五湖のまりもを世に広めたい活動だったのだろうと思う。
北海道のまりもの方が断然有名だから。
富士五湖のまりも自体は、一九五六年(昭和三一年)に山中湖で小学六年生の男の子が見つけたものが最初の確認個体である。フジマリモの研究の始まりである。わたしより歳上じゃないか!(そらそーだ
わたしが富士山五合目でもらったまりもは、フジマリモではない。富士のまりもと銘打たれていた(ラベル)が、普通に輸入ものか養殖ものである。でなきゃ貴重品すぎて出せない。
土産物屋や雑貨店なんかで売っているものと同じ。
それでも「イキモノを手に入れてしまった」プレッシャーは大きかった。
という話を、これを書きながら子としていたところ。
「かーさん、瞬間的に異世界に行ってない?」と言われる。
まりもを配っているパラレルワールドへひとりだけ一瞬行ってしまい、そのほんの一瞬でまりもを受け取って戻ってきた説出た。
え、普通にホラーじゃん、それ。
植物を育てるのには向いていない性質のヒトではあるが、このまりもとは六年暮らせた。




