適正量、とは
適正量、というものに憧れる。
わたしが料理をすると、たいていの場合において、鍋いっぱいになる。
ある意味適正量なのかもしれない、鍋にとっては。
今日もなった。
「その日食べる分」のミートソースを作っているはずだったのに、気がつけばフライパンは満タン。パスタの入る余地がねえ。
おかしい。こんなことになるはずでは。
結局、最終的な味を整える前に半分ほどを保存容器へ移しかえて、仕舞うことにした。近いうちにカレー粉でもぶちこんでやるっっ。
四日前にも、筑前煮がフライパンいっぱいになって(わたしは煮物もフライパンで作る)反省したばかりではないのか。
一昨日も参鶏湯風を作ろうとして、鍋から溢れそうになったばかりではなかったか。
昨年の正月用に筑前煮を作ったときはフライパン八分目に収まって、万歳したのを忘れたのか。しかも小躍りまでした。
おでんが溢れるのは仕様だから仕方ないとして(するな
予定外の作りおきが発生することって、そんなにある?
食い尽くし系一家なだけあって、傷むまで残ることはまずないのだけど、それでもなんだかねえ……。
どういうわけか刻むのが楽しくなっちゃったせいで(刻みハイ?)、おせちのために作った紅白なますが六百ミリリットルの保存容器いっぱいにできてしまい、なかなか減らないんだよね今年。
いつになったら適正量が作れるようになるんだろう、わたし。