バックと整理整頓
目を開けると見覚えのない広い天井があった。
壮大な絵が描かれており、宗教画みたいだな、と思う。ゆっくり起き上がると、そこは石で出来た寝台のようであり、目の前には女神の石像がある。どうやら猪にやられ、オウニムで復活したらしい。ここはおそらく中央広場にあった神殿だろう。
起き上がってみると、町に面した中央広場が見える。開けた造りのようだ。心配そうにこちらを見ていた神官に会釈してこの場を離れる。
それにしても、同時に何人も死んだら、あの寝台に積み重なって起きるのか? それはいやだな。
町に戻って来たのだが、デスペナルティらしきもので体が重い。ほんのわずかに不快感が残る。ゲームとは言え殺されたからだろうか。まあ2回目以降は慣れる。別のゲームでも最初に死んだときはそうだった。腰につけた薬瓶は全滅。紐だけが引っかかっている。装備品のベルト扱いになったんだろうか。割れた瓶の破片は消滅するらしい。紐も一緒に消えなくてよかった。
バックの中を確認すると薬瓶は無事だ。所持金は減少している。しょうがない。死んだからな。とりあえずこのポーションを売って所持金を増やそう。やはりバックに入れた方が安心だ。
腰に辛うじて引っかかっていた紐をバックに仕舞い、完全に日が落ちた北大通りに移動する。先程は中央広場の大きなNPC商店に売ったけれど、今度はNPCのポーション屋に売ってみよう。ついでに【調合】に使える道具とか、素材が売っているといいなぁ。ということで、唯一知っているNPCでポーションを扱っていそうなゲンドーさんの薬屋に向かう。
それにしてもあの猪は驚いた。ソウとチガヤと行ったときには出てこなかったけど、うり坊がいたから、フラグだったのかもしれない。逃げることもできなかったことが悔しい。それに、これからも生産は続けるし、他に良い生産活動ができる場所がないから、森からは離れられない。町中で水場を探すにしてもプレイヤーが行きかうから、気が散りそうだ。しかし工房を買うほどの金はない。いつかは工房が欲しいな。
とりあえずは猪対策がいる。接近されるまで気が付かなかったから、そこを補えるウィズダムが欲しい。
これからの方針に結論が出たところで、ゲンドーさんの薬屋についた。夜にも関わらず、薬屋は開いていた。
「こんばんはー」
声をかけると、エプロンをつけたゲンドーさんが店の奥から顔を出した。そして手招きをするので、俺は店に入る。
「この前の子だね、何か買いに来たのかい?」
「いえ、今日はポーションの買い取りをしているのか聞きたくて。この前は飴をありがとうございました。」
「それはよかった。もちろんやってるよ。えっと、名前は?」
「ユツキです」
「ユツキちゃん、覚えておくよ。それにしても珍しいね。並移人の人たちは買うばかりだと思っていたんだが」
スライダー、聞き覚えのない単語だ。疑問が顔に出ていたのか、ゲンドーさんは笑って続ける。
「私たちは女神の加護を持って世界を渡り歩くものたちをスライダーと呼んでいるんだ。強い力を持つ代わりに長い眠りを持つ人たちだ。君もそうだろう?」
「はい」
プレイヤーはそういう設定らしい。とりあえず頷く。
「今、スライダーの人たちによってポーションが大量に買われていて、どこも品薄なんだよ。うちはどちらかと言うと原料の取り扱いが主だけど、基本的な薬は売っている。しかしポーションが全く仕入れられなくて。だから卸してもらえることはありがたいんだ」
「そんなことが起こってたんですね」
「ああ。ポーション不足が長く続かないと良いんだがね。品物を見せてくれるかい?」
「はい」
トレードウィンドウ、ではなく実際に薬瓶をバックから取り出すと、ゲンドーさんはしげしげと薬液をみた。
「体力回復薬は1つ80Gで買い取るよ。うちは危険物を扱える設備がないから毒薬は買い取れないんだ。ユツキちゃんが解毒薬を作れるようになったら、そちらを売ってほしい」
「専用の設備が必要なんですね」
「そうそう。でもこの町で毒薬を扱える店はあまりないだろうね。はい、8本で640G」
「ありがとうございます」
「そうだ、君も薬師を目指しているなら、うちで道具を見ていくかい? うちは調合道具や素材も扱っているよ」
「ぜひお願いします。……お金が無くてまだ買えませんけど」
「どうぞ。私も子供の頃、ショーウィンドウ越しに高い器具を眺めたものだ」
正直だねぇ、懐かしいよ。と笑ってゲンドーさんは薬瓶を持って奥へ引っ込んでいった。遠慮なく店内の調合道具を見させてもらうことにする。
上等そうな鍋に大中小そろった三脚。アルコールランプとその隣にはガスバーナーに似たなにか。ガスの供給はどうするんだろう。アルコールランプの方がガスバーナーもどきより安い。買うならこっちだな。
温度計に試験管立て、理科室のようなラインナップにわくわくが止まらない。
しかしなにも買えないのだ。とりあえずアルコールランプと三脚の値段は覚えておこう。今の初心者調合キットに追加すればできることが増えそうだ。
最後に今俺が使っている初心者調合キットにガスバーナーもどきと三脚、温度計が一緒に置かれている棚をみる。
「それは入門調合キットだね。基本の薬の大半が作れるからおすすめだよ」
「初心者調合キットなら持ってるんですけど、ちょっと違いますね」
「それは残念なことをしたね。あれだと加熱処理する薬は作れないから本当に初心者向けなんだ」
「そうですか……」
「でも買い足せば同じだよ」
「そうですね。今度お金貯めて買いに来ます」
「はは、待ってるよ」
ゲンドーさんが店の奥から出てきて、俺が真剣に見つめていたキットについて説明する。なるほど、加熱処理が必要な薬もあるのか。というか、今のレシピはやっぱり簡単すぎたよな。身近な目標が見えた。ガスバーナーもどき、三脚、温度計と3つで1万G。アルコールランプもどきにすれば4600Gですむからそっちにしようか。
ひとまずゲンドーさんに別れを告げて店を出た。今最も必要なのは先立つもの。そして強さだ。でも今はきりがいいので、ログアウトしよう。夕食は鮭の塩焼きの予定だ。それにあんまり寝ていると体が衰えそうだな。時間があったらちょっと走ってくるか。
翌朝の朝食は伽耶の担当のため、いつもより寝坊した。既にリビングに伽耶の姿はない。机の上にはラップのかかったサンドイッチ。昼もついでに作ってくれていたようだ。テーブルにその旨の付箋が貼ってあった。
それにしても、昨日の夜の伽耶のテンションは酷かった。どうやら伽耶はβから変更されたスキルに夢中らしく、がんがんスキルレベルを上げて、次の町についたのだとか。ずいぶん浮かれていたから今日も朝からゲームだろう。
家事を済ませて《ワールド》の情報収集する。とりあえずインベントリとマジックバックの手に入れ方を調べないと。
《ワールド》情報サイトの基本ガイドの項目にそれらについて書いてあった。うんうん、やっぱり他のゲームより不便だとやりたくなくなるもんな。
どうやらオウニム南区画にあるNPC商店で倉庫整理クエストを行うことでメニューにインベントリが追加される。マジックバックは連続クエストを受けることによってマジックバックが購入、もしくは作れるようになる。
連続クエストの推奨レベルにまだ到達していない上に、クエスト場所が第三の町ウィートシアだ。まだ当分は挑むことができない。これは普通のバックを別に購入した方がいいかもしれない。とりあえず金策とレベリングだな。
ログインしてすぐに南区に向かう。インベントリ機能獲得のため、ポーション作りは少しお休みだ。やっぱりいちいちバックを見てドロップを確認するより、メニューのインベントリから一括で確認したい。
ちょっと迷ったものの、目的地は大きな商店なので、すぐに見つかった。大通り沿いに建つその店の店員に倉庫整理の仕事をしたいと告げるとすぐに裏の建物へと案内された。
「それじゃあ、整理を頼む」
〔クエスト:倉庫の整理 達成度0%〕
広い倉庫に他にプレイヤーはいない。説明された仕事内容は、配達された品物が入った木箱を開けて、倉庫の棚に片付けてほしいとのこと。単純作業だが、木箱は俺の背丈を越える高さに積み上げられた山がいくつもある。
すべて終わるとは思えないし、あちらもそれは考えていないだろう。できるだけのことをするとしよう。もくもくと中身の仕分けを始めた。
店員に声をかけられ気が付けば夕方だった。
「今日は進みが早いな。気が向いたらぜひまた頼むぜ」
時給を手渡され、仕事は終了。クエストも達成した。暗くなり始めた町に戻りメニューを見るとインベントリの項目が増えていた。バイトで整理が得意になったから、インベントリ機能獲得とは、ちょっとおもしろい。
早速インベントリの確認をする。どうやら、初期装備のバックのスロットは16。ただし、矢はスロット1つで50本まで所持できる。調べるために出した矢筒の中身を詰めなおしてから、場所を取る初心者調合キットを見た。このキットはどうやら5マス分のスペースを使うらしい。しかしこれを減らすことはできない。金策が滞るし、俺のプレイスタイルだ。
そして毒薬は1本で1スロット。初心者用体力回復薬や、薬草はどうなるんだろう。確かめるために夜の森へ向かった。
真っ暗な森でも薬草を簡単に見つけることができて、すぐに【調合】に取り掛かる。場所はいつもの小川の傍だ。薬草のタンポポに似たギザギザの葉を一枚磨り潰して、水で薄める。小瓶に詰めてからバックに入れてインベントリで確認すると、1瓶につき1スロット使用することが分かった。薬草の方は1スロットに10本まで収納できるらしい。やっぱり、町で【調合】した方が安全だし、たくさん作れるな。気が散るのは諦めて水場を探そうかな。
やはり、アイテムによって1スロットに収納できる量が違うようだ。アイテムの大きさによって変化するなら、この小さな初期のバックには矢が入らないはずなので、やっぱり不思議なバックである。武器防具はどうなるんだろうか。まあ、身につけっぱなしだから調べる必要はないか。
とりあえずバックに入る8本のポーションを作り終える。やっぱり毒薬が邪魔だ。売れないし、役にも立たない。うーん、今度猪に出会ったらぶっかけてみようかな。
猪の気配はない。町に戻ろうか、と立ち上がったところで、梢にコウモリが休んでいることに気が付いた。もしや、夜になったからエネミーの種類が変化しているのか。
弓を下ろし、矢をつがえる。狙いを定めて焦らずゆっくりと矢を放った。当然のごとく、矢は外れる。的が小さいせいもあると信じたい。
攻撃によってこちらの存在に気が付いたコウモリはキイキイと怒りの声を上げ、こちらに急降下してくる。
「うわっ」
噛みつこうと襲い掛かるコウモリを蹴り落し、踏みつぶす。コウモリは一撃で消滅した。
「びっくりした。弱くてよかった」
チアリーダーのように足が高く上がったため、迎撃することができた。現実も俺は体が柔らかいので高く足があがり、そのつもりで攻撃してしまったが、流石ゲーム。練習せずに足が上がるなんて羨ましい。
後は、ウィズダムもないのに敵にダメージが入ることに驚いた。もしかして殴ったり、蹴ったりすることでウィズダムが手に入るから敵とそう戦いなさいということかもしれない。けど、流石に昼間戦った野犬たちだと、こちらがやられる方がはやいだろうな。コウモリは弱い気がする。小さいし。
明かり一つない森の中、【暗視】のお陰でくっきりと周りが見えていた。月があるにしても暗い場所だった。これは普通のプレイヤーはランタンとか松明がいるだろうな。
落下したコウモリのドロップは皮膜と毒牙だった。バックには限界までポーションを詰めているせいで、ドロップが落下するのが問題だ。回収を忘れそう。
夜の森はコウモリとの遭遇が多い。ドロップアイテムを見失いつつも何度も出会うコウモリと戦っていると、深刻な空腹感が増してくる。
「しまった、当分食事してないな」
蹴り、そしてたまに矢で倒したコウモリのドロップを両手に抱え、飢餓の危機を思い出す。コウモリから食べられそうな部位はドロップしていない。よく見ると既にHPが徐々に減少を始めている。
とりあえず手持ちの食べられそうなもの、初心者用体力回復薬を飲んだところ、HPの減少は停止した。しかし空腹感が変わらないため、あまり猶予はないだろう。
どうしようか。食べられそうな敵を探しにいくか? それとも、一か八かオウニムまで走ってみるとか。敵に見つかっても、逃げ切れるかもしれないし、まあ負けて死んでも餓死よりはデスペナが少ないだろう。
夜の森は鳥と虫の鳴き声がする。走るユツキが森の入り口にたどり着くと、木々の隙間から夜空に満天の星が見える。明かりが近くにないから、こんなにも綺麗に見えるんだろう。
オウニムの町を見つめて走っていると、ぐん、と視界がズームした。【鳥目】のスキルだろう。あまりにも集中してオウニムを見ていたから発動したみたいだ。
全力でオウニムへと走り、HPが1/5を切ったところで、一番東門に近いNPC商店に駆け込めた。