6 ヴァンツァーという男
翌日、貴族然とした仕立てのいい服を着たヴァンツァーが昨日の黒馬、バルトに跨って改めて屋敷にやってきた。
服も派手すぎない、グレーと黒の服に銀糸で刺繍がしてある落ち着いたものだ。帯剣していて、片手剣にしては大きく見えるが、彼は利き手の逆にそれを提げていたからきっと片手でその長剣を扱うのだろう。
農民の出で、小さな頃に泥だらけになって一緒に遊んだ男の子じゃない。冒険者になって力をつけ、国から与えられた勲章を胸に付けた騎士が、こちらに向かってくる。
顔の傷以外には、長袖長ズボンにブーツ、革の手袋と徹底して肌を出さない姿に、他の傷があるかはうかがえないが、背を伸ばして馬を歩かせる姿は思わず見惚れてしまう。
無表情で感情を表に出さなくなっただけじゃない。思い描く騎士という言葉に相応しい、逞しくも美しい人になっている。
エントランスで迎えて、馬から降りたヴァンツァーが目の前にくると、どぎまぎして顔が赤くなった。
この人に跪かれてプロポーズされたのだと思うと、平静でいられない。
「い、いらっしゃいヴァンツァー……いえ、シェリクス卿かしら?」
「耳が早いな。今日は色々と話そうと思っていたのに、話題が一つなくなってしまった」
無表情のままそんな事を言う。なのに、私に向けられる眼差しを優しく感じてしまうのは、私の気のせいなのかしら。
「昨日お父様が転がるように帰ってきて教えてくれたの。——もっといろんな話を聞かせて欲しいわ。中へ行きましょう」
「あぁ……叙勲式があったから。なるほど。そうだな、今日は身綺麗にしてきたから、邪魔する」
今日こそ、とサロンにお茶の支度をして待っていた私は、好みが変わってるかもしれないと、甘い焼き菓子と軽食の二種類を用意していた。そして、小さい頃に調理場に忍び込んで食べたクッキーも。
「懐かしいな……」
彼は目敏くクッキーを見つけると、一枚早速口に運んだ。
そこからは楽しいお喋り……になればよかったのだけど、ヴァンツァーはあまり冒険者時代のことを語りたがらず、私も領地に引っ込んでいたので話題がなく、ただ黙々とテーブルの上に並べられた食べ物とお茶を消費していた。
「……ったえられない! 何を話そうと思って来たのよ!」
「もう少し普通の話題を……と、思ったんだが、実はあまり考えていなかったし、沈黙が苦痛では無くて自分で驚いている」
私が飲み食いしてる姿を見て、あぁやっと平和が戻ってきた、と思っていると続けられて、私は眉を下げた。
「ねぇヴァンツァー。私、貴方が急に出ていって本当に……寂しかったのよ」
「すまない」
「何で冒険者になろうと思ったの……?」
そうだ、最初にして最大の疑問がそこだ。商売で財をなして国に利益をもたらしても、ちゃんと叙勲される。領地までは分からないけれど……、何も、騎士になるような険しい道を進まなくてもよかった。と、思う。
「あの約束をした日、家に帰って父さんに言った。ミーシャを嫁にもらうと。……笑われてな。農民が貴族と結婚できるわけが無い、と」
「まさか……?」
「あぁ、その時から体を鍛え始めた。剣の代わりに鍬を振って、夜中にこっそり。ある日父さんに見つかって……絞られたが、俺が本気だと悟ると、無理をして簡単な読み書きと数字の本、そして旅立つ時に牛をいくつか潰して、旅費をくれた」
ヴァンツァーもヴァンツァーなら、お父さんもお父さんだ。きっとヴァンツァーはお父さんに似たに違いない。
「そう、冒険者になれば……金は稼げる。最初はちょっとした便利屋のような事から始めて、魔物と戦うための武器を揃えて、戦って、武器を揃えて……繰り返しの毎日は、まぁ、あまり語っても楽しくない」
「そこで冒険者になろうなんて思うのが分からないのよ……、途中で王宮の騎士団に入ろうとか思わなかったの?」
「思わなかった」
即答だった。前のめりになって膝に肘をつき、手を組んだ彼はまっすぐに私を見据える。
「功績をあげて、絶対に叙勲される。そう決めていた。他の女にうつつを抜かした事もない。そして……俺は功績になるものを一つ、知っていた」
「まさか……あなた、うちの領が昔荒らされたから……?」
ヴァンツァーは黙って頷く。
晩秋のドラゴンには、私が子供の頃に領を焼かれた事がある。酷い惨状で、お父様は蓄えを民に配り、我が家も節制し、国王に援助を願った。
「あの時ミーシャが言った。たくさん人が死ぬのは嫌、飢えさせるのも嫌、でも私はドラゴンに勝てない、助けてヴァンツァー、と」
覚えている。どうしたって全員は助けられない。何人も死んだ惨状を見た、集合墓地の前で泣いた。
その時ヴァンツァーだけが隣にいてくれた。そして。
「必ず俺が、倒してやる。ミーシャの事は俺が守る」
私が思い出を口に出すと、表情を失ったかのようなヴァンツァーが静かに頷いた。
彼は、これと決めたら必ずやり遂げる。
そして今目の前に、やり遂げた人がいる。
私が顔を覆って泣く間、彼は手袋を外してずっと頭を撫でてくれた。