2 幼い日の約束
「ミーシャはほんとに俺が居ないと何にもできないな!」
「もう! 仕方ないじゃない、ヴァンツァーの方が背が高いんだから!」
子供の頃、みんなで領内を遊びまわって、川の飛び石を渡っていた時だ。
ヴァンツァーは黒髪に黒い目の農家の子で、私は伯爵令嬢だったが、田舎領主の領地では身分の差なんて関係ない。
私もそれなりに淑女教育というものは施されていたが、その授業が終わるのと、お屋敷近くの子供たちがお手伝いから解放されるのは、大体同じ時間だった。
汚れてもいい動きやすいワンピースと靴を履いて、私は皆と遊んでいた。今は、ほとんどの子が誰かと結婚して子供の親になっている。もう、昔のように気軽には接することができない。
私は領主の娘の貴族。友だちだった人は、領民であり平民。同じような付き合い方はできなくても、屋敷近くを散歩していれば「お嬢様!」と声をかけてくれる。
皆、大人になっている。私も大人のはずだし、仕事もしている。教養も身に付いているはずだが、首都から離れた屋敷にいるから流行にも疎いし人脈もない。
ひとりだけ、置いてけぼりにされたような気分だった。
川を渡る時もそう。みんなぴょんぴょん石の上を跳ねて渡ってしまうのに、私は足がすくんで飛び出せなかった。
その時に、ヴァンツァーが戻ってきてくれて手を引いてくれた。一緒に跳んで、引っ張ってくれた。
何かにつけて、私に「俺が居ないと何もできない」と言っていた彼の顔は少し誇らしげで、今思えば好意の裏返しだ。
だからある日、5歳の時に、ヴァンツァーに言った。
「おっきくなったら、ミーシャの事お嫁さんにしてくれる?」
ヴァンツァーはポカンとしてから頰を染めてにかっと笑った。
「当たり前だろ! ミーシャは俺が居ないと何もできないんだから、一生俺が守ってやる!」
「本当? 約束だよ!」
「約束だ!」
そして小指を絡めておまじないをした。この約束が守られるように。
……クッションから顔を上げる。釣書の内容の酷さに、不貞腐れて眠ってしまったらしい。
嫌な夢、いや、いい夢、うん、どちらとも言えない。
その後も私とヴァンツァーは子供だから恋人同士というわけでは無かったけれど、びしょ濡れになって川底の綺麗な石を拾ってきてプレゼントしてくれたり、ヴァンツァーがいなければ迷いそうな花畑に連れて行ってくれたりした。
彼はそう、とても活動的で、方向感覚も優秀で、恐れない人。これと決めたらやり遂げる人。
その人が13歳になる時に、冒険者になる、と言って領を出て行ったのだから、きっと何かを成し遂げにいったには違いない。
それが、私よりも大事な事だと思うと、私はわがままだと自分のことを責めたくなるが、辛かった。
ずっと私を守ってくれるヴァンツァーでいてほしかった。側で。
大人になれば、身分の差で離れる事になっただろう。ヴァンツァーが領の誰かと結婚して子供を持つ所は……冒険者になると言って出て行った時の背中よりも見たくない。
成長するにつれて、ヴァンツァーは口数も少なく落ち着いた雰囲気になっていた。出て行く時には、15歳くらいのお兄さんに見えるほど、体を鍛えていた。
訃報があれば両親には届けられる。それが無いなら、ヴァンツァーはまだ生きて冒険者をしているはずだ。
「ヴァンツァーのバカ……、はやく、帰ってきてよ」
私、20歳になってしまう。
貴方のことを諦める事も望んで身分の差と戦う事もできないまま、ただ待つだけになってしまう。お見合いなんてできそうに無かった。
貴方が居ないと何もできないミーシャのままなの。ヴァンツァー、お願い……早く、帰ってきて。
懐かしい夢を見たせいか、それとも結婚を考えたせいか、いつもなら心の奥に封じ込めている私が弱音を吐いている。
そこに、侍女のサリーが慌ただしく私を呼びにきた。