ツイキャスやってみたけど文章書いてた方が向いている
ツイキャスっていうものを最近やってみたのですが、やはり本人の資質と蓄積された知識の量と身体的特性に左右されるので不向きなのがはっきりしました。
だいたい、初めてのツイキャス経験者は雑談をしているようなのですが、ネタがないと雑談と言うのはふくらましようがないのです。アドリブで構成するなんてとてもとても。そんな頭脳はありません。
そして底辺キャス主にとって話のタネになるコメントはほぼつかないことが多い。誰かの発想で自分の思考が刺激されて別の話題に飛ぶことができるのですが。それを一人でやるにはあまりにも環境が厳しすぎる。リスナー0の不安感と謎の緊張感に支配されて上ずった裏声でしか語れないのです。不利、あまりにも不利。たまに現れる閲覧者は二秒ぐらいで去っていく。これが自己顕示欲が高い語り手にはかなり痛手になります。
もともと声質が裏返った甲高い声なのでセクシーさは皆無。人を魅了する発声ではありません。そして語り部としては発声することに脳のリソースを取られて空白状態になるので、何も話すことはないになります。間で持たせられたら名人芸なのですが、間が空くこと自体が恐怖なんですね。
こちらに書いている方々はよほどしゃべりに自信がない限りやらない方がいいと思います。失言癖の多いADHDの方も要注意です。
自分はやっぱり自分が心地いいスピードで文章書いている方が平安ですし、まだ思考的に深まると感じます。音声言語と思考をシンクロさせるのって難しい。
何かしら専門分野があってそれに関して何時間も語れる人ならいいのですが私にはそんなものがありません。そして世代的には後期高齢者の入口にいる私と同年代の人を探すのも大変。なのでコンテンツ的にも客探しとしては不利です。よほど用意周到に宣伝を行うかまたはその世界で著名人になるしかありません。
人生経験を生かしてと思ったのですが、発達障害だと因果律がよくわからないのであまりためになることは言えないと思います。抽象的な爺さんのお説教なんて需要はないでしょう。
欲を出したあたしが間違いでした。書き手としてくすぶっているからしゃべりの方がって淡い夢を抱いたのですが。
勿体ないのが発達障害者の記憶というのがかなり検索が難しいスタイルらしいのです。だから長い間生きていてそれなりの蓄積はあるはずなのですが、意識としては何もない薄っぺらという認識でいます。現在興味のある事しか溜めた知識として認識できないので時間軸で行くと短いスパンになるので総量としては薄いものでしかない。おそらく記憶の積み重ねた中にはそれなりの埋蔵物があるとは思うのですが最近の記憶に遮られて目に見えない物になっています。
どうにも発達障害者という者のは脳の構造上今に生きることを強制されているとしか思えません。長い人生を歩みながら軽んじられてしまうのは経験が少ない事と並行して過去の経験に容易にアクセスできないのも影響してると思います。