3 森の恐怖
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「あわわわ」
慌てながら何度か瞬きする。
見えている風景は変わらないが、慣れてくると状況が飲み込めた。
意識を向けている場所の細部が異常に良く見えているのだ。
米粒ほどにしか見えない大木、その葉っぱ一枚一枚やその葉をかじっているリスのような生き物。
なんと言うか、VHSがブルーレイになった感じ?
「空気が綺麗だからよく見えているのかな?」
と自分でも信じていないことを呟く。
意識が一点からそれたからか、視界が落ち着く。
「まあ便利と言えば便利ではあるな」
慣れるまでは戸惑いそうだが。
気を取り直して森に目を向ける。
何か無いだろうか。
建物や煙などの人の痕跡、なければ湖や川などの水場。
異常視力に戸惑いと疲れを覚えながら見まわすと、樹々の切れ目から水のきらめきが見えた。
その後しばらく人の痕跡を探してみたが見つからなかったので、水場であろう場所に向かうことに決めた。
太陽は傾き始めている。
「大丈夫、まだ慌てる時間じゃない・・・はず」
下生えを踏みつけながら森の中を歩く。
何故か迷う気はしない。
あの水のきらめきに向かって歩いているという確信がある。
これも異常視力と同じく、異世界転移にて獲得した新しい力なのだろうか。
力言えば、この右手。
先ほど邪魔な枝に右手をかけたときのことだ。
折ろうと思った枝はしなやかで硬く、曲がりはすれど折れそうな気配は無かった。
更に力を入れようとしたとき、右手の中で枝が砕けた。
鞭のように跳ね返ってきた枝を慌てて避け、手のひらの木屑を見る。
すぐに他の枝を握ると、大して力を込めた気はしないのに、再び手の中で枝が砕ける。
「まじか」
その後いろいろ試してみると、木の幹はもちろん、ソフトボール大の石も砕けてしまった。
全力を出せば鉄だって握り潰せそうな気がする。
腕の力や左手の握力はいつもどおりだ。
どうやらこのガントレットのおかげで右手の握力だけ異常に強化されているようだ。
「握力だけってのも中途半端だなぁ」
歩きながら右手の使い道を考える。
具体的に言えば魔物との戦闘だ。
異世界転移をしたとすれば、この世界に魔物的な奴がいる可能性は非常に高い。
高いはずだ。
この握力を最大限に活かすには、どう考えても近接戦闘にならざるを得ない。
チート的な何かで身体能力が上がっているならばそれも可能だろうが、実感としてそれはないようだ。
数時間森を歩いているだけで、すでに息が上がり膝が痛い。
生茂る枝々の隙間から見える空の色はオレンジがかっている。
喉の渇きがキツイ。
夜を通して歩き続ける体力も無いし気力も無い。
どこかで夜を明かすことを考えなくてはいけない。
自分の見通しの甘さが嫌になる。
無理矢理ネガティヴな事を考えないようにしてきたツケか、真っ黒な不安が心の奥から溢れ出そうとする。
とは言え、夜の森の恐怖など知識で知っているだけで、実際どの程度なのかは分からない。
現実世界であるならば、熊や野犬、あるいは大型の肉食動物に出食わさなければ、気をつけるのは体温維持や給水などの健康面か厄介な毒を持つ虫や植物ぐらいな物だ。
この世界に魔物がいるとしてどの程度の遭遇率なのだろうか。
大木の根本に座り込んで休憩をとりながらそんな事を考える。
何を考えようが、すべて想像でしかなく、対策が取れるような知識も体験もない。
これは本格的にやばいか。
そう思った時、微かな物音が聞こえた。
心臓の鼓動が大きくなったような気がする。
息を殺しあたりの様子を伺う。
聞こえる。
風に揺れる木々のざわめきではない、何かの音。
ゆっくりと立ち上がると、匂いがした。
動物園のような、いわゆる何か生き物の匂い。
その瞬間、大きな影が襲いかかり、衝撃が僕を襲う。
「ぐわっ」
思わず声が出る。
混乱しながら感じるのは浮遊感。
そして背中への衝撃。
無意識に出した手が何かを掴む。
「なんだよ・・・」
呟く僕の声を遮るような、空気を震わす咆哮。
声をした咆哮に目を向けると、そこには熊のような何かが、僕を睨み付けていた。