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ガタコンッ!
しばらく妄想の世界を羽ばたいていた三樹は、電車の揺れで目が覚めた。
ここは美しい教会ではない。朝の通勤電車なのだ。少女マンガのヒーローは微笑んではおらず、平日の会社勤め人を満載している。
電車がゆるゆるとスピードを落とし、やがて止まった。ドアが開いて、また人が乗ってくる。
三樹はまた夢占いの先を読み進める。
(夢に出てきた鳩がどんな状況かによって意味が変わる……えぇー気になるぅー!すんごい気になるぅ!)
三樹はスマホから顔を上げ、夢の内容をできるだけ詳しく思い出そうとした。
(白い鳩の顔がどんどん大きくなった感じがするけど……意味分かんないし……。あれは大きくなったのではなくて、距離がどんどん近づいてきたってことなのかも)
「白い鳩とキスする夢」
(これかも!)
内容を見るまでもなく、意味ありげな感じがする。そもそも、キスって行為がスペシャルなんだもの。
乙女のように胸を高鳴らせつつ、アラサーの三樹は読み進める。
(鳩とキスをする夢は、まさに少女マンガのような出会い……)
(え?キラキラ?)
三樹の妄想が再び花開く。
(少女マンガみたいに、キラキラしたり、真っ赤な大輪のバラを背負ったりするような出会いってこと?)
いつの時代のどのジャンルの少女マンガを想像しているのだ。
(出会って突然にキスされるような出会いにメロメロ……)
プスン……。
テンションが急激に上がりすぎて、三樹の思考はシャットダウンした。
それはまるで、ヘビーに使いすぎたパソコンが、急に落っちゃったみたいな感じだった。
しばらくの思考停止。
その間も、満員電車は新宿に向かってひた走っている。窓を叩く雨は、一向に弱まる気配がない。
真っ黒にシャットダウンした三樹の思考の中に、ぼんやりと光が現れ、その光の中から言葉が浮かび上がってくる。
(キ……ス……)
(ヤバい!)
三樹は頭の中に浮かび上がってこようとする、その言葉を振り払った。
しかし、次の瞬間、三樹の中に生まれる全く別の感情。
(あぁ、うっとり)
目が潤んできちゃう。
(あごをくいっと持ち上げられちゃったりして。はぁ~ん。うっとり)
(奪われたい、この唇。その柔らかな貴方の唇で……)
さらにそれを打ち消すべく、別の声が聞こえる。
(いやいやムリ。ムリでしょ)
頭の中で延々と続く押し問答。うっとりする。恥ずかしい気もする。むずむずする。でも、憧れたりもする。
(ききききき、キス……)
頭の中で、この言葉を発しただけで体温が急上昇した。ひそかに、キャーッとなってしまう。あぁ、キス。とろけるような、しびれるような、甘い、電気ショックみたいな、それ。
て言うか、いつ、誰と?
次々に頭に思い浮かべる人たち。そうはいっても、身近にいる男性の顔しか浮かんでこない。
中にはステキなメンズも紛れている。ふたりきりの濃密な時間を思い浮かべ、ひとりで勝手に恥ずかしがっている。
アホだ。手の施しようがない。
(あぁ……。キスなんて。そんな行為をしたのは、いつかしら……)
頬をほてらせ、瞳をうるうるさせながら考えた。時間がどんどん巻戻っていく。
(あれ!?んん?あれれ?)
記憶はどんどんさかのぼる。引っ掛かってくる記憶がない。
(はぁ~思い出せない。どんだけ日照ってんだ自分!)
(いや!日照りだなんて、もっと具体的に言うと、男日照りだなんて、そんなこと思っちゃだめ!まだそこまで干ばつ状態になってないわ!
(そう思いたいの私!まだ大丈夫だと!)
はいはい。