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電車を待つホームは、ずっしりと重たく湿った空気に包まれている。
列になっている人たちの間には、気だるい雰囲気が漂っている。
(雨の中を歩くのって何か疲れる……)
三樹も、いつもの場所に並んだ。電車の乗り換えをするのに、なるべく歩かなくて済む場所だ。
手に持った傘からは、涙のような雨水が、とめどなく流れる。降り続ける雨がカーテンのようだ。
しかし、こんな天気にも関わらず、定刻通りに電車が来た。素晴らしい日本の交通網。
(っしゃあ!)
三樹という女、普段、これと言って感動することもないのだろう。大雨の中、電車が定刻通りに来ただけで、このテンションの上がりよう。
さらに、良いことは続く。
通勤ラッシュにも関わらず、電車で座れたのだ。これは奇跡と言っても過言ではない。
というのも、三樹の目の前に座っていた若者が、急に顔をあげたと思ったら、
「やっべ!」
と叫んで、閉まりかけのドアの外に飛び出していったのだ。
飛び出していく彼に押しのけられて、呆気にとられている人たち。
三樹はそんな彼らを横目に、たった今あいたばかりのスペースに、するっと座ったのだった。
(また良いことがあったぁ!)
三樹のテンションがひそやかに、ぐんぐんと上がっていく。ほんとうに地味。ささやかすぎる。
湯呑の中に茶柱を発見して盛り上がっちゃう、昭和のホームドラマみたいだ。
電車の中は、湿気を含んだスーツのOLやサラリーマンであふれ、湿度がどんどん上がっている。
その上に、重たいため息で、やな感じの空気が充満していた。傘から滴り落ちる水が、じわじわと床を濡らしている。
環境最悪。
それでも、朝から座れるという幸運にあやかることができた三樹。この幸運は大きい。
やがて電車は走り出し、窓をたたきつけるように雨が追いかけてくる。
三樹はふと思い出してスマホを取り出した。今朝おかしな夢を見て、いまだにそれをはっきりと覚えていたのだ。
子供の頃から、夢には興味があった。例えば、本屋で夢占いの本を買ってもらって、一生懸命に読んだりしていた。
今はネット検索で調べられる。
(白い鳩、夢占い)
検索をかけると、すぐにヒットした。鳩の夢は吉夢であることが多いらしい。そして、白い鳩の夢は出会いの象徴だった。
(出会い!)
三樹のテンションが一気に上がった。
(なんだこれ!すごすぎる!)
(今日の星占いでも愛情運がうなぎのぼりとか言っていたし、これはほんとうに何かあるんじゃない?)
(いや、ある!きっと、ある!あるあるあるあるあるある!)
関口宏の「クイズ百人に聞きました」みたいに(古っ!)、あっという間にオーバーヒート寸前だ。
当の三樹といえば、いきなりの出会いの可能性にのぼせてしまった。視線がスマホの画面を上滑りしていく。文章が頭の中に入ってこない。
(落ち着け、落ち着け。もっと具体的な情報を得なければ)
ひそかに深呼吸をしてから読み進めていく。
(なになに……白い鳩は結婚の象徴でもある……。け、けけけけけけけけ、結婚?)
いきなり頭の中に広がる光景。青い空にくっきりと映える真っ白な教会。
りーんごーんと鐘が鳴る。
鳩がバササと飛んでいく。
祭壇は光にあふれ、シルエットになった新郎が待っている。
しずしずと歩みを進めるウエディングドレスの自分。
新郎が静かに持ち上げる白いベール、ふたりは誓いのキスを……。
(ちょ、待って。展開が早すぎるぅ。まずはお付き合いから、でしょ!)
と、頭の中でツッコミを入れ、にやにやしそうになるのをこらえる。
いや、本人はこらえているつもりらしいのだが、にやにやが漏れている。
だらしのない顔だ。早く気が付け。