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「これは他言無用に願いますが、私は試食を行っていた肉まんのメーカーに勤めていた経験がありまして、しょうじき、他のメーカーのものよりも中の材料が安いです。お客様は舌が肥えていらっしゃるようにお見受けします。となると、お口に合うのは、やはり井村屋さんなどのメーカーのものだと思いますよって言いました」
さくらの部屋で和泉が言った。そしてメガネをスチャッと直した。話を聞くふたりが、同時に「おー」と感嘆の声を上げる。
「あれ?いずみんて食品メーカーにいたことあったの?」
さくらが驚いて言うと、
「ありません」
和泉がさらっと言った。
「じゃあ、その人の舌が肥えてるって、どうして分かったの?」
「太っていたんで」
「それだけ?」
「えぇ」
真顔のままに、和泉が頷いた。三樹とさくらが、ぽかんとしている。それなのに、まるで何事もなかったかのように、ポーカーフェイスの和泉は立ち上がった。
「はい、準備を始めますよ」
三樹とさくらは、ぽかんとしたまま頷いた。食べ物関係は彼女に任せておくのが間違いない。さくらの部屋には、和泉専用のエプロンまで常備されている。三樹とさくらの仕事は、適当に食器を用意して、後は飲み食いをすることだけだ。
それでも、料理人の性というのか、ふたりが笑顔でもりもりと料理を食べるのを見ると和泉は嬉しい。
「これ、ほんとにおいしい!」
などと言われると、心の底から喜びが湧き上がってきて、また新しい何かを作ってあげようと思うのだ。ただ、人からお金を頂くほどのものではないと思っているので、料理人の道に進んでいない。彼女の家族や友人は、ほんとうに得をしている。
「先に飲んでていいですよー」
キッチンから和泉が声をかける。その間も、手をずっと動かし続けている。
「頂いてまーす」
三樹とさくらがグラスを持って答える。
「ま、なんとなく分かってましたが……」
ひとりでぶつぶつ言いながら、和泉は手早く何皿かこしらえた。
背が高く、すらっとした体型の和泉は、昔からよく男性と間違えられた。三樹といずみは飲みながら、キッチンの和泉を眺め、あんな旦那さんでもいいなーなどと、こっそり言い合ってにやにやしていた。
「三樹ちゃんは、お料理は得意だったっけ?」
さくらが飲みながら聞き、三樹もグラスを持ったまま、ちょっとだけ考えて答える。
「嫌いじゃないけど……」
一人暮らしを始めた頃は、何もかもが新鮮で、だから小さなキッチンに立って料理をすることも楽しかった。それが、一人暮らしの期間が長引くにつれ、ひとり分の料理を作ることが、なんとなく億劫になってきた。今や、すっかり手抜きだ。
いつか、桐生に手料理をふるまう日が来るのかもしれない。そう考えると、嬉しさもあるのだが、不安もあった。彼は、嫌いなものはないと言っていたけれど。
「嫌いじゃないなら、大丈夫だよ」
さくらがにこっと微笑んだ。三樹の心境を察したらしい。
「それに、大好きな彼のためなんだもん。三樹ちゃん、頑張っちゃうんじゃない?」
この一言で、三樹の顔が真っ赤になってしまった。しつこいようだが、ワインをちょっとやった程度で赤らむような女ではない。その顔を見て、さくらが楽しそうに笑った。その何気ない仕草も女の子らしくて可愛い。つくづく、自分にはない要素だなと、三樹は思う。
三樹はワインを飲みながら、さくらこそ、可愛い奥さんになって、そのまま可愛いママになるんじゃないかと思った。自分はそうはできない。
「お待たせしました」
和泉がウェイトレスのように、皿を何枚ももってキッチンから出てきた。彼女の場合、ウェイターにも見えなくはない。
「簡単なものばかりですが」
などと言いながら、次々に並べていく。スモークサーモンとチーズののったサラダや、山芋と油揚げを炒めてしょうゆをたらしたものや、フレッシュトマトを使った卵の炒めものなど、先ほどスーパーで調達した食材をふんだんに使っている。色とりどりで、食欲をそそる。
「いずみん、絶対にいい奥さんになるよ!」
さくらがさっそくサラダに手を伸ばして言った。
「美味しい!あたしが男だったら、いずみんと結婚したい!」
「どうやら、さくらさんと同じ感性の殿方がいないようで」
和泉が真顔で言い、そのあと口の端だけ少し持ち上げた。
さすがに、あれだけ歩いて買い物をしたので、三人とも食欲は旺盛だった。それに、よく飲んだ。テレビを付けると、ものまね番組をやっていた。はじめは冷やかしの気分で見始めたが、思わず見入ってしまった。この人すごい似てるだとか、うーん微妙だねだとか、ああだこうだ喋りながら、宴会はいつまでも続いた。
「あ、そうだ」
と、思い出したように三樹が言った。
「この間、桐生さんの歓迎会をしたときに、誰かが写真を撮ってた気がする」
「え?そうなの?それ、早く言ってよ~」
さくらが陽気に言った。三樹は、ちょっとだけおぼつかなくなった指でスマホを操作した。たしかヒガシ君が集合写真を撮って、それをメールに添付して送ってくれたような気がする。
「あった」
添付された写真データを開くと、思いのほかにクリアに写っていた。改めて、ヒガシ君にお礼を言いたい気持ちになった。ほんとうに、一家に一台ヒガシ君である。
「早く見せて!」
さくらが三樹の手からスマホを奪い取った。
「ね、どれどれ?」
さくらの目が、好奇心できらきらと輝いている。
その横から和泉が覗きこむ。三樹はスマホ画面の、何人かの顔の中から桐生を見つけて指さした。たったこれだけなのに、ちょっとときめく。スマホの中の小さな桐生は、少し照れたように微笑んでいる。
「ほんとだー!」
さくらが声をあげた。
「すっごい!超イケメン!ほんとうに背も高いし……。いいな、いいなー。なんか、ほんとに優しそう~」
「この彼なら、有名人に顔だけそっくりさんのコーナーに出られますよ」
「出る訳ないじゃん!」
三樹がムキになった。
「えーそうやって自分だけのものにしたいんだー」
さくらが冷やかし、三樹は照れ隠しにグラスの中身を飲み干した。和泉が静かに、空いたグラスにワインを注ぎ足した。三樹はそれすらも飲み干した。和泉がまた注ぐ。三樹は少しだけ口をつけて、グラスを置いた。
「みんなに注目されると心配?」
さくらが目を細めて、ひやかすように聞いた。
「え?別に……」
三樹が答えるが、その言葉には、強がっている響きが多分にあった。
今でさえ、桐生と歩いているときには、すれ違う女のほとんどが彼の顔を見るのだ。三樹の中には優越感もあったが、不安もあった。
まわりの女が桐生に視線を投げかけるときなど、三樹は何気なく彼の横顔を見てしまうことがあった。彼が何を見ているのかが気になってしまうのだ。桐生は前方から来る女性のことなど、見向きもしていない。まっすぐに前を向いていることが多い。たまに、三樹の視線に気が付いて振り返り、
「僕の顔に何かついてる?」
などと言って、あのステキな微笑を浮かべるのだ。こんな男性と一緒にいることが今でも信じられない。いつまで経っても、三樹の中には新鮮な驚きや感動があった。
桐生の笑顔を見ると、三樹はほっとする。彼のことを信じようと思うし、ちょっとでも不安を感じたり、疑いそうになってしまう自分に嫌悪感を抱いたりもする。
しかし、ときに、彼と自分は不釣り合いなのではないだろうかと気になったりもした。
(もっと頑張って自分に磨きをかければ良いんじゃない?)
などと、ポジティブに考えようともするのだが。
「三樹ちゃんて、ほんとうに分かりやすーい。もう、かわいいんだからぁ」
さくらが笑う。和泉も微笑んでいる。三樹はくすぐったい気持ちになる。
この宴会に、正式なお開きというものはない。なんとなく、和泉が片付け始めて、三樹とさくらが、まだ少し飲んだり、かわりばんこにシャワーを使ったりする。その後で、なんとなく、三樹が和泉の片付けを交代し、和泉がシャワーを使って、三人そろってお茶を飲み、そのあとはそろって寝るだけだ。
横になってからも、三樹は眠くならなかった。枕元に置いたスマホに、桐生からのメッセージが入っていないのを見て寂しく思う。ここまで気を使ってくれなくても良いのに。自分が一緒にいるメンバーは、そんなことを気にするような人たちではないのに。それとも、友人と盛り上がっていて、メッセージを送信したりする時間がないというのだろうか。こんなものを食べたよとか、そういう何気ないメッセージだけでも嬉しいのに。
スマホの時計表示をみると、もう深夜をとっくに過ぎている。もしかしたら、まだ起きているかもしれない。でも、やっぱり連絡をとるには遅い時間だと思う。電話をかけるのは気が引けた。では、メッセージぐらいなら良いだろうか。もし眠っているなら、明日にでも返信をしてくれればいい。そう思って、短いメッセージを送信した。
いつまで経っても、メッセージが開かれる様子がない。数時間前に送ったメッセージも未読になっていた。三樹は小さくため息をついて、スマホを枕元に置いた。しばらくすると、スマホの画面のライトが消え、急に周りが暗くなったみたいに感じた。
気心の知れた仲間との女子会!
恋する乙女の夜は更けて……




