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三樹は深呼吸をして、ひるみそうになる気持ちに気合いをこめた。しっかりと傘を持つと、土砂降りの中に踏み出していく。
なるべく濡れないようにと、傘の下で体を縮めて歩く。それでも洋服の袖がすぐに水を吸って冷たくなった。
たえまなく傘をたたく雨音。ノイズのように他の音をかき消してしまう。
まわりの人たちも、傘にしがみつくように歩いている。彼らの背中や足元も、雨に濡れて色が変わっている。
ワイパーを動かしながら、ゆっくりと車が走っていく。こういう天候のときには自動車通勤は本当に羨ましい。
(私も乗せてぇぇ!)
なんていう勇気はない。
駅につくと、ようやくホッとした。
(こんな酷い中を歩いてきたのか……偉いぞ自分!)
傘の水滴を払いながら、しみじみ思う。
(てか、今日の労働はこれで終わりでも良い……なーんちゃってね)
この調子だと、いつダイヤが乱れてもおかしくなさそうだ。
(それを口実に、水沢杏が何か言って来そうだな……。雨が降ったら降ったで、ダイヤが乱れるかもって、いつもよりも早めに出社してくるのが大人じゃないの?)
(ま、そういうのを期待するだけ無駄よね)
そう思って、三樹の胸は少しモヤッとなる。
考えて気分が悪くなるのなら、考えなきゃいいのに。人の気持ちというのは、説明がしにくいものだ。
触れば痛いに決まっているのに、傷口に触って顔をしかめている、みたいなものだ。
♪分かっちゃいるけどやめられない
と、陽気に歌った人がいた。
水沢杏は、バラエティ番組などで、「高学歴芸人」と呼ばれる人が卒業するような大学を出ている。
三樹の出た大学よりも、よっぽどレベルが高い。だから、頭はいいはずなのだ。頭は……。
(でもまあ、勉強ができるのと常識を備えているのは違うから。うんそう、まったく別の話なの。
頭では理解しているつもり。腹を立てても仕方がないんだってね)
(でもムリ!イラッとする!)
(っていうか、大学で何を勉強してきたの、あの子は)
(なんでウチに就職したの?そもそも、なんで就職できたの?やっぱり学歴?いやいや、いくら学歴が良くても、さすがにそれだけじゃ……)
いろいろな疑問が次々に浮かんできては消えていく。答えはいつも闇の中だ。
(あの女……何か特殊な才能でもあるのか)
今のところ、それらの片りんらしきものは見られない。能ある鷹は爪を隠すという。
もしも水沢がそうなのだとしたら、さすがに隠し過ぎだと思う。