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三樹の緊張も解け、リラックスして話せるようになってきた。これは大した進歩だと言える。
ふたりがJRのホームに着くと、ほどなく電車が入ってきた。
「町田主任は若いのに、しっかりしていますね」
桐生が言い、三樹は嬉しさ半分、寂しさ半分だった。本来これは褒め言葉なのだろうが、なんだか女性として見られている気がしない。桐生には、女性として見られたい。
「それに、さっきも言いましたが、雰囲気が変わって、キレイになりました」
「え?そ、そんなことないですよ!」
思いもよらない桐生の言葉に三樹は慌てる。わたわたしちゃう。
感情が上がったり下がったり、とても大変だ。感情のビッグウェーブ。エレキギターも軽快なサウンドでテケテケいっちゃうぞ。
「町田主任て、クールっぽく見えて、なんていうか、実は素直なんですね……」
桐生が、おかしそうに微笑んで言った。
三樹は言葉が出ない。ただもう、やたらと心臓がバクバクする。
「なんだか、かわいいですね……」
桐生の言葉に、三樹は顔面から火が出るかと思った。実際、出ていたかもしれない。大やけどだ。それどころか、火災報知器が作動してしまう。こんな都心部の駅で。
三樹は頭が真っ白になった。目の焦点が定まらない。嬉しすぎて、こういうシチュエーションに慣れていなさすぎて、軽いパニックに陥っているのだ。
カクン。
電車に乗ろうとしたところで、三樹の足首が通常ではありえない角度に曲がった。よろけたはずみに、桐生に受け止められる。
「あ……すみませ……」
顔を上げると、思いのほか、近くに、桐生の顔があった。
「わ……わぁ!すみませんすみませんすみません」
三樹、こわれたロボットみたいに、ぎこちない動きになった。
桐生は、驚いたような顔をし、それから、微笑んだ。
三樹はというと、あまりのアクシデントの連続で、すっかりキャパシティーオーバーになっていた。もしかしたら、もうちょっとで鼻血ぐらいは出るかもしれない。
やがて、電車は新宿に着いた。
いつも通りに、三樹が南口方向の、小田急乗り換え口を目指すと、桐生も同じだと言う。なんと小田急つながりだ。良かった。町田に住み続けて、ほんとうに良かった。
「僕は新百合で乗り換えなんですが」
と、桐生が言った。
それは逆に、新百合ヶ丘までは、何の邪魔者もないままに一緒に行けるということだった。ビバ小田急。小田急バンザイ。
ホームでは、すでにたくさんの人が待っていて、その列の後ろにふたりは並んだ。
「町田主任て、実は飲む方だったりして」
ふいに桐生が言い、三樹はドキッとした。やっぱり、気が付いていたのか。うっかり、いつもの癖で飲んでしまっていたことに。
「え?そうでもないと思いますよ」
と、大慌てで否定する。すると、桐生はまた朗らかに笑いながら、
「別にそんな全力で否定しなくても……」と言った。「ほんとに、かわいいんですね」
三樹は、恥ずかしさのあまりに、もう顔面から湯気が出そうだ。いや、もう出ている。地獄谷の湯煙程度には。
「僕は、飲める女性は良いと思いますよ」
桐生が言った。
「ほんとですか?」
三樹はすぐに勇気を取り戻した。
「ほんとうですよ。僕も好きなほうだから、一緒にいて楽しいじゃないですか」
桐生が、三樹を見つめて言った。
その眼に嘘はないようだった。
これはつまり、桐生は、三樹と一緒にいても良いよ、と言っているってことなんじゃないだろうか。
三樹はもう、耳まで熱くなってきた。全身が心臓になったみたいだ。全身が不随意筋。
とくに「好き」という言葉の響きにやられた。
決して、「君が好き」と言われたわけではないのに。
むしろ、「お酒が好き」という意味だったのに。
ダメだこりゃ、めくるめく乙女チックワールドに頭のてっぺんまでどっぷりだ。
ピンクとキラキラと繊細なレース、それに色とりどりの花々で飾られた世界を、スローモーションで回転するジェットコースターだ。
白い羽のはえた天使が、ラッパを吹いたり、花かんむりを掲げたりしながら、まわりを楽しげに舞い踊っている。うふふ……あはは……て笑いながら。
「今日これからっていう訳にはいかないけど、もし良かったら飲みにでも行きませんか」
桐生が言った。
「はいっ!」
と、答えたかったが、上ずってしまって声が出ない。
これはまさか……
まさか……!?




