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こうなると、もう何を言っても裏目に出る予感しかない。
胸の奥から、あぶくみたいに浮かび上がって来る言葉、フレーズ、言い回し。それらを全て飲みこんで、ただ落ち着かない気持ちだけを抱えて、三樹は立っていた。
(何か言わなくちゃ)
そう思えば思うほど、声が出なくなってくる。
気まずい沈黙を破ったのは、桐生だった。
「ごめんね、水沢さん。誘ってくれるのは嬉しいんだけど、今日は帰ってから、ちょっとやることがあるんだ」
「え?そうなんですか?」
水沢が驚き、そして寂しそうな顔になった。反対に、三樹の顔からは、曇りが飛んで行った。
「なんか、こんな時に誘っちゃってごめんなさい」
水沢の、しおらしい言葉に、三樹は我に返る。
水沢が、しょげている。そんなキャラクターだったか?
桐生は、ソフトに微笑んで首を横に振った。
「水沢さん、謝らなくていいんだよ。今日は楽しかったんだから。また食事にでも行こうよ、み……」
「はい!行きましょうね!」
すごい勢いで、被せ気味に、水沢が言った。再び、テニスのリターンエースぐらいの速さだ。
「う、うん……」
桐生の笑顔。三樹には、少し、困っているように見えた。
「約束ですよ!ゴルフも、約束ですよっ」
水沢には、桐生が押され気味になっていることが分からないらしい。右手の小指を立てて、桐生に向かって突き出してきた。
「オッケー」
桐生が、水沢の小指に自分の小指を絡ませ、楽しそうに、指切りげんまんしている。
三樹は、ひとり蚊帳の外に放り出されてしまった。誰もが知っている、ありとあらゆる寂しい曲が、BGMとして流れてくる。
(ヒガシ君……この際だから、呼び捨てにしてやる!……ヒガシィ!ひとりで、とっとと帰りやがってぇ!)
顔面を白黒に塗った銀髪ロン毛のメタラーが、中指を立てて、三樹の心の中で叫んだ。
三人は地下鉄のホームに向かった。気がつくと、水沢と桐生が並んで喋りながら歩き、その後ろを三樹が無言でついていく、という構図になっていた。
電車に乗ってからも、水沢はよく喋る。桐生にばかり話しかけている。桐生も笑顔で答えている。たまに、三樹に話しかけようとしてくれる雰囲気があるのだが、水沢のマシンガントークがそれを阻んだ。
(つまんねー)
と思っても、それを顔に出しては女がすたる。
「あたしぃ、電話とか苦手で……」
水沢の言葉が、三樹にも聞こえる。
(そうだろうな)と三樹が心の中で頷く。
「うまく答えられなくて、緊張とかしちゃってぇ……」
三樹は何も言わない。
(緊張とか、そういう問題じゃなくない?)
(しかも、うまく答えられないとか、それ以前の問題だと思うんですけど?)
「大丈夫だよ。まだ新入社員で慣れていないだけだから」
桐生が微笑みながら答える。
「桐生さん、超やさしい~」
水沢が瞳を潤ませている。
「あたし、頑張ります!」
水沢がキラッキラの笑顔で答える。
(はいはい。今だけね、その感じ……)
三樹はシラケる。
やがて電車は神田駅に着いた。三樹はここでJRに乗り換える。
「じゃ、お疲れ様でした」
と言って降りようとすると、
「あ、僕もここなんだ」
と、桐生が言った。
ドキン、と三樹の心臓がはねた。
「えぇー!そんなぁ!」
水沢がガッカリしている。
それを見て、三樹は心の中で、逆転勝利のガッツポーズをした。
桐生が水沢を慰めていることには、どうやら気が付いていない。
「分かりました……お疲れ様ですぅ……」
水沢が上目使いになり、その目の前で電車のドアが閉まった。
三樹と桐生がホームで手を振る。電車がゆっくりと走り出し、徐々にスピードをあげていく。
水沢は泣きそうな顔をして、9対1の割合で、桐生と三樹に手を振りかえした。
(光速で走り去れ、銀座線)
と、三樹は心の中で呟いた。
(映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の時空を超える車みたいに、あっという間に消えてしまえば良い)
「町田主任は、どっち方面?」
水沢の姿が見えなくなると、桐生が言った。
「私は新宿方面です」
「じゃ、僕も一緒です」
三樹は耳を疑った。こんな幸運があって良いのだろうか。
「行きましょうか」
促されて、三樹は歩き出した。足元が、なんだかフワフワする。
気になる彼と、まさかの2人っきりに……。
どうなる!どうなる私!どうなるーーーーーーー!




