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ただもう、三樹にとっては辛い時間だった。作り笑顔でなんとかやり過ごした。
会計が済んで店を出ると、水沢がスマホを見て言った。
「あ、まだこんな時間!まだ早いし、もう一軒行きましょうよぉ」
何かをねだるときの子供のように体を揺らし、上目遣いになっている。可愛い仕草だ。まだ少し酔っ払っているのだろう。
三樹はツッコミを入れる気にもならない。
時計を見ると、まだ八時半になっていなかった。でも、これ以上、ずるずると水沢のペースに巻き込まれるのは、正直、しんどい。
「え?これからか……」
ヒガシ君が腕時計を見ながら悩んでいる。そうかと思えば、急にパッと顔を上げて聞いてきた。
「町田主任は、どうしますか?」
「え!?」
ヒガシ君の言葉が、三樹の耳から入って脳みそに認識されるまで、ちょっとのタイムラグ。
「そうねぇ……」
「いいじゃないですか!ね、ちょっとだけ!いいでしょ?行きましょう、行きましょうよぉ」
水沢が桐生の腕に触れる。出た、軽めのボディタッチ。
三樹は、その手の甲を思い切りつねって、桐生の腕からもぎ取りたい気持ちになった。
しかも水沢の目は8割方、桐生のことを見ている。残りの2割を用いて、上司である三樹や先輩であるヒガシ君にも、申し訳程度の視線を送っている感じだった。
対する桐生も、あまり強くは言い返せないようだ。
むしろ、三樹の目には、桐生がまんざらでもないような顔をしているように見えた。
(男なんてみんな同じ)
という表現を、今ここで使うのは胸が痛む。
もし、ここで、三樹が「帰る」と言ったとして、その後のことが気になった。万が一にでも、桐生だけが残るなどということになったら……と思うと、平静ではいられない。
(お前は彼氏がいるだろうが!)
と、叫んでしまっては女がすたる。
(ここは無難に、明日があるからと言って解散を促すのが良いだろう)
三樹がそう思ったところで、ヒガシ君が申し訳なさそうに言った。
「僕、これから埼玉に帰んなきゃいけないから……」
「ヒガシ先輩って、たしか、なんとか動物園に住んでるんですよね」
「え?ヒガシ君のうちって動物園なの?動物園でピアノ弾いてるんだ」
「ちょっ!桐生さん、そんなわけないじゃないですか。僕、人間ですよ。水沢さんも変な言い方しないでくれるかな?僕んちの最寄駅が東武動物公園ていうだけだからね」
「あっそうですか」
さらっと水沢が言った。まるで興味がないのだ。
ヒガシ君が何か言い返そうとする。水沢は気にもとめず、三樹に向かって微笑みながら言った。
「この後、町田主任はどうですか?」
三樹の目に映る、水沢の微笑みがなんとも嘘くさい。
お伺いを立てているみたいだが、口先だけだ。
三樹は悩む。水沢と桐生がふたりきりになることだけは避けたい。でも、残ると言えば、ヒガシ君も帰りにくくなってしまう。
当の桐生はどう思っているのだろう。腕時計を気にしているようだから、帰りたいのだろうか。
(一か八かだ!)
「誘ってくれるのは嬉しいんだけど、ほら、みんな明日があることだから、今日はこのへんにしておきましょうよ」
あくまでも、主任という立場からの発言をする。
「そうだよ。みんな帰らないといけないんだからね」
ヒガシ君も、真顔で頷く。
「みんな、おうちが遠いんですね」
水沢が、つまらなそうに口を尖らせた。しかし、次の瞬間には、
「桐生さんは?大丈夫ですよね?」
と、また桐生の腕に触れた。小首をかしげているし、声のトーンから違う。
(てめぇ!このアマ!)
三樹の心の中のヤンキー姉ちゃんが、ジャージ姿でコンビニの駐車場にウンコ座りしている。ただし、口にくわえているのはシガレットチョコだ。
尋ねられた桐生は微笑んでいる。そのハッキリしない態度が三樹をもやもやさせた。
「桐生さんが困ってるだろ」
と、ヒガシ君が水沢を叱ってくれる……はずもなかった。むしろ、腕時計を見るや、
「あのっ、町田主任、すみません。この時間なら、次の区間急行に間に合いそうなんで……」
などと言い出した。
「分かったわ。お疲れ様、気を付けてね」
三樹が笑顔で答えると、ヒガシ君は笑顔で大きくお辞儀をして駆け出した。
その場に3人が残る。このなんとも言えない空気が、三樹にはつらかった。
微妙な三角関係?
この夜はどうなる……!




