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美容室に行った次の朝は、いつもよりも少し早く、いつもよりも清々しく目が覚めた。
真っ先に髪を撫でた。
(いい手触り……!)
ほんわかと、嬉しい気持ちになる。そして、すぐに洗面台の鏡の前に駆け付けた。
さすがに寝起きの乱れはあったが、これまでとは天と地との違いがあった。
(わーすごい。今までのあのゴワゴワした感じはなんだったの!?)
(今までブラシには悪いことをした。髪がひっかかりまくって、ブラッシングのたびに、さぞかし辛い思いをしていたことでしょうね。ごめんね、ブラシ。きっと泣いていたね)
それも昨日までの話だ。今日はこんなにするするなのだ。ほんとうに、気持ちがいい。
これがもしミュージカルだったら、おもむろに両手を広げて、満面の笑顔で歌い出すシーンだろう。
(可哀想だった、昨日までの、私のブラシ!)
(でも今日からは違うのよ)
(このシルクのような髪をとかせて幸せね)
(私の心もはずむわ♪)
みたいな。
おもむろにゴキゲンなメロディが流れ始め、あさっての方角に向かって歌い出す……希望に満ちた歌を……!
歌いきったところで、背後から大量の白い鳩が、大空に向かって一斉に舞い上がる感じだ。バサササ……と。
三樹は悦に浸りながら髪を解いた。そして、いつも通りの簡単な朝食を食べた。
その後は、少しだけ丁寧にメイクをした。スマホで検索したメイクテクを、横目で見ながらできる限りの努力をしてみる。
いつもよりも、服装選びに少し悩んだ。小さなアクセサリーボックスを開け、昨日とは違うネックレスを選んだ。
思い切って買ってみたものの、ちょっと色が明るすぎるかな……と思ってしまって、お蔵入りしていたパンプスを引っ張り出して履いてみる。
(おかしくない……よね。うん。足にしっくり来てるし!)
(よしっ!)
軽い足取りで玄関を出た。空は青い。気分がいい。
いつもと同じ電車の、いつもと同じ車両に乗る。すると、朝いちばんでピッチが鳴った。マナーモードにしていたので、正確に言うとバイブした。
(こんな時間から何をしてくれてるんだよ……)
せっかくセットした髪が乱れるのは気が進まなかった。いつも通りのひっつめ髪にしただけだった。でも、ちゃんとヘアピンを使って、キレイに留めた。束ねられた髪の毛先のまとまり感だって、これまでのそれとは、天と地ほどに違う。
それに、メイクだって、三樹のわりには念入りにしたのだ。崩れるなんて絶対にイヤ。それだけじゃない。今日の服だって、考えてコーディネートして……。
もう、こんな時に呼び出されるなんて、ついてなさすぎる。出なくちゃいけないけど、出たくない。どうしようか迷っているうちにピッチは静かになった。
ほっとした反面、ちょっと後味が良くない。
(もう一回かかってきたら出動すればいいや)
三樹は、そう自分に言い聞かせた。やはり根が真面目なのだ。なんだかんだ言っても、気にはなった。これまでも、よっぽどのことがなければ、三樹はピッチをスルーすることはなかった。
(その「よっぽどのこと=残業などの仕事関係の出来事」が、これまで何回もあったのはさておいて)
ましてや、今みたいに感情づくでスルーしたことなどなかったのだ。
しかし、それ以降ピッチは鳴らなかった。
新たな章が始まる!恋が始まるのか始まらないのか!




