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そんでもって、目覚めたら、この雨である。それも、思わず笑いがもれてしまいそうな大粒の雨だ。まるでコメディ。
しっかりと眠って養ったはずの気力が、雨とともに流れて行った。中でも、洗濯物を取り込むのための気力が完全にデリートされてしまった。
(いやいや、失せている場合じゃない!)
(せめて部屋干しに切り替えるべきではないのか!?普通の人ならそうするよ?)
そんなことを三樹の中の理知的な部分が言うには言っている。でも今、圧倒的に優勢なのは、彼女の中の怠惰。
洗濯をしない道着のままで、剣道の練習をする、みたいな状態だ。
面!胴!臭ーい!
……めんどうくさーい……みたいな……。
あぁ、しょうもないことを考えてしまった。
(ていうか、ま、きっと大丈夫だし……)
ベランダの洗濯物を見て、三樹は自分に言い聞かせる。
おそるおそる、横目でベランダを見る。
(そうそう、雨だけなら大丈夫、風がなければ大丈夫)
三樹は、自分を納得させるべく、力強く頷く。
(よし。オーケーだ)
そのとき、干していたTシャツのハンガーが、ふわっと揺れたような気がした。とっさに目をそらす。
(あれ?今……、なんか、風?……いやいや、見てない、見てない。何も見てないよ。何も起こらなかったよ)
彼女は今、洗濯物から目をそらしたのではない。現実から目をそらしたのだ。
たしかに、マンションのベランダなので、雨除けがあると言えばある。でも、屋根のひさしみたいに長くはないから。猫の鼻先に置いたカツオ節みたいに心もとないことは事実だ。
(天気予報では風が強いなんて言ってなかったし!だから、きっと大丈夫!大丈夫……)
そう思い込もうとしているはしから、今度はバスタオルがふわり。あぁ、見なきゃよかった……。でも、ここはポジティブシンキングということで、
(大丈夫大丈夫!なるようになる!うん、なるなる!止まない雨はないのよ!だから干しときゃいずれ乾く!たとえ濡れたとしても乾く!だから、きっと大丈夫!)
大丈夫大丈夫って、斉藤和義か。次の休日に、読売ランドに行って観覧車にでも乗ったらいい。きっと大丈夫だから。そのあとは歩いて帰ればいい。一緒に行く相手がいるとは思えないが。
(うっせぇな!)
三樹が架空の声に向かって怒鳴った。もちろん、心の中で。
テレビ画面では、若々しい男女アナウンサーやタレントが笑顔の花をいっぱいに咲かせている。雨のうっとうしさをものともしない爽やかさだ。
だが、三樹はテレビの時計表示を見て、げんなりとした。この曜日、この時間になると苦手なコーナーが始まる。
と、その時だ。
アコースティックギターの軽やかな音色が、聞いたことのある旋律を奏で始める。とうとう始まってしまった。あのコーナーが。
三樹は心のシャッターを閉じる。
直後、テレビのスピーカーから流れてくる歌声。
もしも、この場にお笑い芸人がいたら、全員がズッコケているだろう。何がひどいって歌がひどい。「ひどい」の例文として国語辞典に載せたいぐらい「ひどい」。
もう最初っから音程がズレまくっている。頑張って声を張っているから、上ずったり裏っ返ったりして、ひどさに拍車がかかっている。
テレビ画面には、ひとりの女性アナウンサーが「雨にぬれても」を歌いながら現れた。彼女はこのテレビ局屈指の、超音痴アナウンサーだった。
彼女の唇からとめどなく溢れる、調子はずれの歌声。突拍子もない音程。それなのに公共の電波にそれを乗せられるという、すさまじい度胸。
ただ認めるべき点は、原曲のまま、英語で歌っていること。さすがに才女なだけあって英語の発音だけは良かった。それでも、差し引きしたら大幅にマイナスである。楽譜から音符が逃げ出しそうにひどい。
しかも、これを毎週やるのだ。毎回、違う曲を歌いながら現れる。
クレームは来ないのか。
たぶん一定のクレームはついているだろう。でも、真逆の反応がすごいのだ。
むしろ、SNSなどでは「出た!」とか、「今日も絶好調ww」などと呟かれているらしい。
(意味わからん!)
ユーチューブとかニコ動とかでは、動画の再生回数も上々らしいのだ。
(世の中どうかしている!)
トーストとインスタントスープとヨーグルトで朝食を済ませた三樹は、髪をがしがしと解きながらそれを見ていた。
(かわいいからって何をしても許されると思うんじゃねぇ!)
三樹にとっては、ただ耳障りなそれが終わるのを待つしかない。チャンネルを変えるのも面倒くさい。なんといっても、この後の占いのコーナーを見なければ一日が始まらないのだ。
(それまでの我慢……チッ)
いらいらと髪をとかし始める。けれども、もともとひどく傷んでいる彼女の髪は、湿気で広がって思うようにいかない。
寝癖直しスプレーをシャーシャーと吹き付ける。彼女の髪の状態を「寝癖」で済ますにはムリがあるのだが、そのへんは気にしない。
髪を解きながら、ふと新人の水沢杏のことを思い出した。あいつも、可愛ければ何をやっても許されると思っている節がすごい。