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やがて朝礼の時間になった。
(そういえば、今日はどこかから社員が異動してくるとか言っていたな……)
「こんな中途半端な時期に異動なんて珍しいですね」
ヒガシ君がソワソワしている。
「どんな人なんですかね?ドキドキする」
水沢がぶりっ子ポーズでヒガシ君に言っている。
そんな彼女を微笑ましく見ているオジサマ方。
それを見て、やれやれと思う女性チーム。いつもの構図だ。
(どうせ、オッサンでしょ……)
三樹は心の中でぼやく。期待しないほうがいい場合もある。これまでの経験の蓄積が、どうしても彼女にそう思わせてしまうのだった。
やがて、上司に連れられてその人が入ってきた。彼が一歩、踏み出したその瞬間……
世界はスローモーションになった。
一緒に歩いているはずの上司は、完全に視界からフェードアウトした。
見慣れたオフィスの風景が一転、ふわっとした紗がかかって、なんだかロマンティックな雰囲気になった。
社員たちが発する囁きの雑音が消え去り、その代りにどこからともなくウィンドチャイムの音が、キラキラキラキラキラキラ……。
颯爽と現れた彼は、まるで草原を吹きわたる初夏の風のようだった。あるいは、きらめく海からそっと吹いてくる、そよ風のようだった。
上司に促され、その人は社員たちの前に立ち止まった。正面から見ると、さらに彼の男前具合が際立った。
老若男女問わず、釘付けにならざるを得なかった。
「きゃっ!」
と、水沢が声にならない声をあげた。
スリーピースのスーツをびしっと着こなしたその人は、某俳優にどことなく似ていた。さわやかなだけではなく、男らしいたくましさも兼ね備えている。
どんなに抑えつけても、そこかしこから溢れ出してしまう男性フェロモン……!
刹那、三樹の中に蘇る、罪作りなあのフレーズ。
(突然にキスされるような出会い……)
ドッキーン!電気ショックを受けたみたいに、心臓が大きく跳ねる。
(あぁ、ヤバいよヤバいよ)
勝手にドキドキして息苦しくなってきた。落ち着こうとしても、そわそわブギウギしてしまう。
もう、頭の中はキッスでいっぱい。と言っても、顔面を白黒に塗って、仰々しい衣装を着て派手なライブをやる4人組のバンドのことではない。
上司が水沢に何か話しかけている。
「イケメンだろう」とか何とか。
水沢がぶりっ子対応している。
そんなやり取りがぼんやりと三樹の中を通り抜けていく。まったく、聞いちゃいない。
三樹の中では、今は彼女自身の鼓動の音が鳴り響いている。彼女の目が、まるで独立した生き物みたいに、勝手にイケメンの口元を見たがっている。
一瞬だけ、ちらっ。
唇はやや薄めだったが、口角がきゅっと上がっていて、そこがなんとも魅力的。
(あぁ、あの唇、どんな感触なんだろう……)
うっとり……って、想像して瞳が潤んじゃいそう。
(あわわ、あわわ。もうヤバい。これ以上は無理!ムリムリ!)
見たいけど、見たらヤバい。
誰か、彼女に、競走馬が視界を狭くするためにつけている、あのアイマスクみたいなものを付けてあげてください。今の彼女には、それが必要です。あるいは、完全なるアイマスクで視界を塞いであげちゃったほうがいいかもしれない。
次々に湧き上がってくる煩悩。
意識から消そうと思っても、もぐら叩きみたいに次々に浮かんでくるのは、少女マンガのようなキラッキラのキスシーン。背景にバラ背負っちゃうぞ、みたいな。
(あぁ助けて。くらくらしちゃう)




