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三樹は自分の目を疑った。
なんと、あの水沢杏が先に来ていたのだ。
「あっ!おはようございますぅ」
と、キラッキラした笑顔である。
(これは夢か幻か?あるいは幽霊?いやちがう。足もあるし、透けてもいない)
「おはよう」
三樹が笑顔で答えると、
「今日、ひっどい雨ですよね~。だからぁ、ちょっと早めに出てきたんですぅ。えらくないですか?あたし。きゃはっ」
と、水沢がぶりっ子ポーズで小首をかしげた。
この辺は、やっぱり本物の水沢である。そっくりさんではない。
「うん、えらいえらい!」
三樹は信じられない思いで答えた。
むしろ、今朝も通勤のさなか、どうせ水沢のことだから期待をするほうが間違っているとすら思っていた。
だから、今、感動すら覚えている。
(珍しいことをする奴がいるせいで、こんな土砂降りになったんだ……)
というのは、心の中だけで言っておく。
(とにかく進歩じゃない!?)
水沢がレベルアップした。三樹は心の中で拍手喝さいを送りたい気分だった。
(良いことがあった!)
(水沢のことでストレスを感じずに済むなんて、なんて素晴らしいの!?)
(今日の星占いスペクタクルカウントダウン万歳。とっても言いにくいけど。とにかく万歳)
「おはようございます」
さわやかな若者の声がする。朝から、なんて耳に良いんだろう。某テレビ局の超音痴の女子アナの歌とは大違い。
この声は、ヒガシ君だ。振り返ると、こちらもキラッキラの笑顔。
三樹の頬もほころぶ。
(かわいいヒガシ君。我が職場の癒し系。一家に一台ヒガシ君。今日はブルーのネクタイが似合ってるぞ)
ヒガシ君が連れてくる爽やかな空気のおかげで、雨の憂うつも吹き飛びそうだ。
「おはよう」
三樹も笑顔で答える。
「今日の雨、マジでヤバくありませんか?僕なんか、朝起きてマジかよ!やっべぇなこれ!とか思いましたよ。電車も超混んでたし。っていうか、僕の乗ってる電車って、ちょっと何かがあるとすぐに遅延するんすよ。もー勘弁してほしいですよー」
などと、ヒガシ君は大げさである。
大げさで可愛い。
やはり水沢に対する感情とは違うものがある。
(ヒガシ君のは素直に許せる)
(でも……水沢のは鼻につく!)
(あ、いっけない。正直になりすぎだぞ、自分。てへっ)
三樹が妄想の中で自分にツッコミを入れる。ふいに訪れた沈黙。
すると、何の前触れもなく、唐突に三樹の脳裡に浮かぶ言葉があった。
(突然にキスをされるような)
ドキッ。
ヒガシ君が人懐こい微笑を浮かべている。その唇に視線が奪われそうになる。
彼の唇がゆっくりと近づき、そして、そっと、やさしく、この唇に……。
(ダメダメ!ここは職場よ!)




