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そんな折、稲妻のごとくにひらめく記憶があった。
(いや、むしろ、あれは思い出したくもない……。て言うか、黒歴史……)
あれは、さほど遠くない過去のこと。酔っ払ったはずみだった。
大学の先輩であり会社の先輩でもある、宿さんのほっぺに熱烈キッスをしたことがあったのだ。
「宿先輩、愛してますぅ~」
とかなんとか言って、ブッチューとやってしまったのだ。
誤解がないように注釈しておくと、宿先輩は女だ。自分のことを吉田羊に似ていると思って、羊ボブにしている。
そもそも、いくら酒が入って気が大きくなったとしても、男相手にそんな大胆なことなどできない。三樹とはそういう女だ。
(……そもそも、どこにそんな出会いが転がっているの?)
こっそりと顔をあげて車内を見渡す。
右から順番に、メタボのおっさん、神経質そうな薄毛のおっさん、メタボで薄毛のおっさん、女、女、イケメンだけど制服を着ている少年。
(ないわー。彼と付き合ったら、お縄になっちまうわよ。未成年保護なんとか条例に引っかかるっつーの)
(御用だ、御用だ、古っ!なんつって!)
そうこうしているうちに、電車は新宿駅についた。開いたドアから、ドヤドヤと吐き出されるたくさんの人といっしょに、三樹も次の路線を目指すのだった。
そんなこんなで、相変わらず激しく叩きつける雨の中、何の出会いもないままにオフィスに到着してしまった。
たとえば駅の雑踏の中、出会いがしらに誰かとぶつかって、
「あっ!」
スマホか何かがボロッと落ちて、
「大丈夫ですか?」
拾おうとして、手と手が触れ合って、
「あ、ごめんなさい!」
驚きのあまりに見開かれた瞳。やがてお互いに見詰め合う、目と目。恥じらい。トキメキ。
それは運命の出会い。時が止まる瞬間。
ウィンドチャイムの音がキラキラキラキラキラ……。
とは、ならなかった。
あるいは、地下鉄の出口に向かうとき、背後からそっと肩を触れる手があり、振り返ると、
「これ、落としましたよ」
と、爽やかな青年。
その手には三樹の大事なパスモ定期。淡いピンクの革製で、ちょっと女子力高めの可愛い系。
「ありがとうございます」
そう言って受け取ろうとすると、お互いの手が触れ合って、
「あ!」
って、なって、またボロッと定期入れが落ちて、それを慌てて拾おうとして、ゴツンッて額同士がぶつかって、ちょっとの間のあとに、思わず吹き出して和やかに笑い合って、さらに偶然にも同じ方向に行くことが分かって一緒に歩いているうちにデートの約束をしたりして……
ということも、なかった。とにかく、なんか普通だった。
だから、地下鉄の出口から雨の中に出たときに、上がっていたテンションがすっかり冷めた。
所詮は占いなのだと、その気にさせたそれらの要素を勝手に恨めしく思い、また、ひとりで盛り上がってしまった自分が恥ずかしくもあった。
いつも通りにビルに入り、いつも通りに自分のオフィスに入った。
すると、いつもと違うことがあった。




