第4夜
ほのぼのとした空気が一転、凍りついた気がした。エレンは俯き、手で顔を覆って弱々しく呟いた。
「酷いですよ……女の子の部屋を勝手に覗くなんて………あんまりです…………」
鼻をすすり上げる音。だがそんなエレンに容赦なくアインはずかずかと近寄ると、フードごと胸元を乱暴に掴みあげた。
あまりにも急で、私は思わずアインに掴みかかった。
「ちょっとアイン!何やって………」
「それはこっちのセリフだ。さっきから下手な女のマネしてさ、気色悪いんだよ。」
アインは私には見向きもせず、エレンにそう吐き捨てた。
女のマネ?だってエレンちゃんはこんなに可愛くて、ころころしてて、女の子らしくて…………そんな思考は、アインを見上げるエレンの顔で打ち消された。
まるで別人のようだ、ではない。別人だ。可愛らしく微笑むエレンの顔はどこにもない。その顔は面が張り付いたかのように無表情だ。
「気色悪いって……ずいぶん古臭い考え方なんだね、おにーさん。」
パッとその場からエレンの姿が消えた。かと思うと、アインから数歩離れた場所にエレンが立っていた。
いつの間にあそこにいたのだろう。アインの手の中には紺色のフードが握られている。ワンピース状になっていたフード付きのローブは、力なく垂れている。
エレンは白いブラウスにサスペンダー、濃い青のズボンの上に小さなクリノリンを付けている。クリノリンを手際よく取り外し、エレンはこちらを振り返った。
「ボクの秘密をことごとく見破るなんて、さすがだね。そうだよ、ボクが噂の情報屋さ。」
エレンはそう言ってどかりと椅子に座り込む。胸元で青いガラスのブローチが輝いた。とても美しいバラが象られている。
テーブルの上のコーヒーはすっかり冷めてしまっている。湯気ひとつ上がらないそれを、エレンは飲み干した。
「え〜と……エレンちゃん?」
「ん、なぁにおねーさん。あと僕の名前はエレンじゃなくて、エルトだよ。エレンは偽名ね。」
あっさり、エレン改めエルトは名乗った。
全て演技だったのか。王都で出会ったあの時から、彼はずっと演技をしていたのだろうか。
私がそう聞くより先にモドが尋ねた。さっきまで落ち込んでいたが、情報屋の噂が本当だったということで回復したらしい。真面目な表情でエルトに詰め寄る。
「なぜわざわざ女の子のフリを?僕たちに情報屋ということを隠していたのは何故ですか?」
エルトはなんだそんなこと、とため息をついた。
「ボクの職業は密偵。人の中に潜り込むには女の子の姿が効率いいのさ。それに君たちがボクを捕まえて、情報を全て自分のモノにしようと考えないなんて誰が知ってる?ボクは自衛してただけだよ。」
当たり前だと言うふうにエルトは淡々と答える。その受け答えに、モドは納得したように鼻を鳴らした。
部屋が少し暑い。窓がぴっちりと閉められているせいだろうか。アルフレッドが暑そうに手で顔を扇ぐ。カーテンの隙間から除く空は、王都を囲む塀で閉ざされていた。
彼は今まで、こんなふうに自分をずっと隠して生きてきたのだろうか。恐らく私よりも幼いのに、街から外れたこんな暗い場所でずっと暮らしていたのだろうか。
お母さんは?お父さんは?いつから一人なんだ?
(寂しくないのかな?)
じっと見ていると、エルトは気味悪がるように眉をひそめた。私は一歩、エルトに近づく。
「……偉いね、ずっとここで暮らしてきたの?君は強いね。」
ぴくり、わずかにエルトの長いまつげが動いた。そしてほんの一瞬だけ、金色の瞳に悲しげな色が映った………気がした。
エルトはすぐに警戒するように私から離れる。そして毒を吐くように笑った。
「……は、なに?そうやって油断させるつもり?悪いけど、ボクは頭が悪くないんだよ。情報が欲しいならちゃんと金を………」
「私が欲しいのは情報じゃない。」
エルトは動きを止める。そして私を訝しげに眺めた。
じっとエルトの目を見つめる。大きくて潤んだ、子供らしいあどけない瞳。目の中でふるふるとランタンの光が揺れた。
「私は、エルトが欲しいんだ!」
数秒の間。
ぽかーんという効果音がつきそうな顔で皆固まっている。そしてエルトがすっとんきょうな声を上げた。
「…………はあ?」
あれ?私変なことを言っただろうか?なぜかジルベールが頬を赤くして口元を手で覆っていた。
エルトが若干引きながら申し訳なさそうに言う。
「えっと、ボクはまだ誰とも一緒になる気はないので………」
「え?違う違う!私は旅の仲間としてエルトが欲しいの!」
何やら勘違いさせるようなことを言ってしまったようで、慌てて訂正する。するとエルトは、ああ、と胸をなでおろした。
「なんだ……びっくりさせないでよ。」
「そっちが勝手に驚いたんだよ!……じゃなくて、ねえ、私の仲間にならない?」
「いやだ。」
即答。
アインと初めて会った時のことがふっと頭をよぎった。




