第17夜
あれから三日経ち、その間私は新しく武器を調達した。確かに火の谷にある武器屋で売られているものはどれも丈夫だが、その代わり重たいものが多い。大きな斧なんかは、私の力では持ち上げることすら出来ないほどだ。
そもそも私は幼い頃から弓しか扱ってこなかった。ホーリー街に住んでいる人は皆、ある程度の弓の扱いは嗜んでいる。折れてしまった弓は、私のシスターが使っていたものだった。
調達した弓は、折れてしまったものと同じ軽い木材だ。前のものよりもしなりがあり、強度も十分だ。だがそれだけでは心許ないと、武器屋の主人が特別に布を巻いてくれた。うっすらと斑点のような模様があり、なにかの動物の皮だろうか。主人に聞いてみたが、はっきりとした答えは返ってこなかった。
広い荒地で弓を構える。新しく手に入れた弓も、この三日間で手に慣らした。ガラスのリングが無い左手の人差し指が少し寂しい。
「ナターシャ、弓はどうだ?」
背後から声がして振り返ると、アルフレッドが立っていた。顔の二倍以上はある大きさの斧を軽々と肩に担いでいる。私は持つことすらままならなかったのに、とんだ馬鹿力だ。
「だいぶ慣れたよ。前のよりも使いやすいかも。」
「それはいいな!俺は弓は全然使えないから、少し羨ましいぜ。」
白い歯を見せて笑うアルフレッドはとても眩しい。照りつける太陽にも負けないくらいだ。少し目を細めると、アルフレッドがそうそうと話を切り出した。
「そういえば、通行許可証が手に入ったってモドが言ってたぞ。これでいつでもこの街を出られるぜ。」
ああ、通行許可証と言えば、ジルベールとアインが財布を見ながら難しそうな顔をしていたな。ジルベールなんか、まるで腹を下したかのように眉間に深いシワを寄せていた。思い出し笑いがこみ上げる。
だいぶ時間も経ってしまい、腹が低い音を鳴らす。弓を背負い、矢を靴のベルトに固定して、みんなが待っているギルドの前まで戻ることにした。
ギルドに戻ると、何やら騒がしいことに気がつく。ギルドの前に人だかりができており、その中にアインたちの姿もあった。……何やら様子がおかしい。
「何してるの?」
「……ああ、どうやらヤバそうだ。」
神妙な面持ちでそう呟くアインの視線を辿る。人をかき分けていくと、そこには見たこともない大きな鳥が羽を広げて横たわっていた。
銀色の鱗のような、鋼で覆われた翼にはところどころにサビのような血が飛び散っており、この大きな鳥はぴくりとも動かない。曲がった鷹のような嘴からは泡の混じった血が流れ出ていた。
屈強な体つきの男達が鋼の鳥の翼を数人で持ち上げる。とても重そうだ。翼を持ち上げると、その下から一人の男が引きずり出された。
「………!?」
思わず口に手を当て、息を飲み込む。男は頭からひどい出血をしているが、まだ辛うじて意識はあるようだ。だがその手足はだらりとし、ボタボタと絶え間なく流れる血がその場を濡らしている。
そばにいた女性が、血塗れの男の腕や首元に触れ、しばらくしてから首を横に振った。その様子を見ていたユラミアナが横に寝かされた男に話しかけた。私は声が聞こえるところまで近寄る。
「その衣装……宮殿の召使いか。この鳥、移動用に改良された小型グリフォンだな。もしかして、貴殿は先日行われた七大頭首の会議に、国王の代わりに出席された者か?」
ユラミアナの口調が以前と違う。口調だけじゃない。顔つきも、あの怒ってばかりのユラミアナとは別人のようだ。
男はゆっくりと顎を肯定に引く。ひゅ、と引き攣るような音が鳴り、絞り出すような声を喉から出した。
「…………わたし、は………国王様の、命を、受け………会議に…………………」
「いい、要点だけ話せ。非常に残念だが、貴殿はもう助からない。」
「ちょ、ユラミアナさん……!」
あまりに残酷な事実を簡単に言ってのけたユラミアナに掴みかかろうとする。だがその動きを読んでいたかのように、ユラミアナは私の胸元を手のひらで押さえつけた。ギロり、鋭い眼光で睨まれる。私はそれ以上何も言えなくなった。
「このままでは貴殿は王都に戻る前に亡くなるだろう。ここで全てを言ってほしい。貴殿に危害を加えたのは何者だ。」
男は焦点の合わない目でユラミアナを見上げる。少しずつ感覚が長くなる、息遣い。
「…………ミルスリア────」
ザワ、
男の一言に辺りが騒がしくなる。ミルスリア、つい最近聞いた単語だ。アルフレッドが言っていた、隣国のことだ。
「なんだと……?貴殿はミルスリアや他の国に援軍を求めに行ったのではないのか?なぜ攻撃される必要がある。」
「私にも………わかりません……………。ゼェ……会議が終わり………帰国しようと、飛び立った、直後………ゼェ………。」
だんだんと声が力なく消えていく。目元もくぼみ、ぴくぴくと痙攣している。胸の浮き沈みも浅い。
わかった、もういいとユラミアナが静かに言う。男はゆっくりと瞬きをする。血に濡れた唇を開き、最後の力を振り絞った。
「国王陛下に……おつたえ、ください…………。援軍は………のぞめません……でした………。ちから………およば、ず…………もう………し………………わけ………………………。……………………」
動かなくなる唇。少しだけ開いている瞳は、この痛いくらい眩しい太陽を映すことなく、暗く落ちくぼんでいる。
私はしばらく息をするのを忘れていた。
人が目の前で死んだ。
何も知らない、全く関わりのない人間なのに、とても苦しい。
他人ですらこんなにも苦しいのに、もし身近な人が死んでしまったら、私はどうなってしまうのだろう────?
ユラミアナは目を閉じ、しばらく黙祷をする。そしてすっくと立ち上がると、静まる群衆に向かって声を高くあげた。
「全員、心して聞け!!我々の敵はもはや国内にとどまらなくなった。この事実を私は一刻も早く王城に、また光ギルドに伝えなくてはならない。
彼の遺体を搬送する用意を!今すぐにだ!!」
騒然とする一同。髭を深く生やした大男が前に出て、ユラミアナに向かって叫んだ。
「マスター、遺体を運ぶのはいいが、この話が本当ならアンタはここから出たらいけない。アンタには火ギルドの戦士達を仕切る義務がある。」
ユラミアナは右目をぴくりと動かす。大男をじっと見つめながら、苦そうに唇を噛んだ。
「………分かっている………もしそうなら、これから戦争が始まってしまう。火の谷はミルスリアの南側に位置している、一番攻められやすい場所だ。」
「その通りだ。だから……」
「だが、だが!ならどうすればいいんだ!?緊急事態だ!この事実はすぐに、今すぐにでも伝えなくてはならない!!でも私はここを離れるわけにはいかない………!くそッ、どうすればいいんだ!!」
彼女の口から出た『戦争』という言葉に、胸の鼓動が強く打つのがわかった。取り乱すユラミアナ。焦げ茶色の髪を振り乱し、喉が枯れるのではないかと心配になるほど叫んでいる。
その時私は、自分の意志とは裏腹に、足を一歩踏み出していた。踏み出してから、今動けるのは私しかいないと考えた。
「……………あのッ」
充血した目が私を睨む。ものすごい迫力だ。目力だけで人を殺せそうだ。獣のように切れた息。今までも溜め込んでいたものが、一気に弾け飛んでしまったようだ。
「私に、いや、私たちに任せていただけませんか!?」
「何をだ!!!」
「ひ、光ギルドにこの事情を伝えること……私たちも王都へ行くから!今すぐにでも出発して、伝えられます!」
「うるさい!!お前みたいな小娘にできるか!!!これは本来お前みたいな部外者は知っていてはいけないものなんだ!!!」
まくし立てられ、思わず目を細める。まるで余裕が無い。目の毛細血管が破裂してしまいそうなほど膨らんでいる。
恐ろしい。今の彼女は、黒の魔物なんかよりもよっぽど恐ろしいかもしれない。だが私は彼女の瞳の奥に、ほんの少し縋るような色が見えた気がした。
でもこの場を丸く収めるには、この方法が最善なはずだ。私たちは目的のために王都へ向かい、伝達をする。火ギルドの人達は火の谷に残り、戦いに備えることができる。
他にも方法があるだろうか。だけど私には今、この方法以外思いつかない。ユラミアナだってきっと同じはずだ。
「お願い、落ち着いて。この方法はアナタにも、私たちにも利がある。そうでしょう?」
「……………!」
「もし戦争がすぐに始まってしまったら、きっと王都への道は閉ざされてしまう。この情報を私たちがいち早く伝えることで、他のギルドからもミルスリアに対抗するために援軍を送ることが出来る。私たちも王都に行くことが出来る。
………どうかな。私頭悪いからこんな事くらいしか思いつかない。でも、これが一番いいよ!ねえ、そうしようよ!」
浅い息を繰り返し、落ち着きを取り戻すユラミアナ。血が出そうなほど唇を噛み締め、拳を強く握る。
やがて震える目を閉じ、枯れた喉から声を絞り出した。彼女にとって、最大の譲歩だ。
「……………絶対に、伝えろよ……………!」
私は強くうなづき、素早く踵を返す。アインたちは後ろで話をすべてを聞いていたらしく、私を待っていた。
王都への唯一の道である吊り橋へ向かう。向こう側の壁には、兵士が二人仁王立ちをしてこちらの様子を伺っている。
「通行許可証を掲げろ!」
兵士の一人が私たちに向かって叫ぶ。その声に応じ、モドが何かを高く掲げた。それはランタンの形をしている。
こんな明るい昼間にランタン?これが許可証だというのか?
そう思っていると、ランタンの中が輝き出す。白くキラキラとした光が、ポンッとランタンの中から出てくると、妖精が飛ぶように真っ直ぐ兵士の方へ飛んでいった。兵士はそれを掴むと、もう一人の兵士と何かを話し合う。
「………よし!渡れ!」
承認の合図をもらい、私は駆け足で橋を渡り始めた。ギシギシと揺れる吊り橋。すぐ足元は深く切り落とされた谷底だ。だが立ち止まっている時間が惜しい。と、私が少し橋を進み、アインが橋に足をかけようとしたその時………
「────────敵影!敵影!!」
兵士の叫び声がこだました。
彼らは私が今走り出したばかりの対岸を睨みつけている。すると彼らは腰に携えた剣を素早く抜き取り、吊り橋のロープを────切った。
ぐらり、安定を失くす足場。
誰かが私の名前を叫び、振り返る間もなく私の体は谷底へと落ちていった。
【グリフォン】
光属性の鳥型の精霊。
本来はとても獰猛で、人の手に負えるものではないが、人の手でグリフォンの卵を孵し育てることで、飼うことを可能にした。
羽毛は鋼で出来ており、脚は獅子のように太い。
個体によって異なるが、本来の大きさはとても大きく、大きなもので翼を広げると10メートルを超えるものもいた。
移動用に小さく改良された種もある。




