第4夜
風が出てきた。ザワザワと葉が不穏な空気を演出する。青年が羽織っている黒いローブを風がたなびくと、首元から下げた水色のガラス細工のフォークが日光を反射してキラリと光った。
「……いきなり?」
「怖いなら帰るか?」
意地悪にニヤニヤと笑う青年。余裕の表情だ。重い空気に思わず呼吸が浅くなるが、悟られないようにこちらも余裕の表情で返した。
「───連れていきなよ、そこに」
移動中、青年のうしろについて歩く。木々はだんだんと少なくなり、地面を照らす光が強くなる。
「ところでさ、名前なんていうの?」
沈黙に耐えられない性格なため、今から戦うのだというのに緊張感のない質問をしてしまった。青年は背中越しに答える。
「………アインだ」
「へー!何でここにいるの?」
「答える義理はない」
「じゃあさじゃあさ、どうしてマジシャンになったの?マジシャンって天性の才能がなくちゃなれないんでしょ?」
「………めっちゃぐいぐい来るな………」
アインは一つため息をついてから私を一瞥すると、仕方ないといったふうに語りだした。
「だいたい俺はマジシャンじゃない。ソーサラーだ。独学で魔法の知識を身につけた。
そしてここは千年樹の森だ。あんたがさっき落ちそうになった池から生えてた樹、あれが千年樹だ。あそこには多くの精霊が棲みついている。いわゆる六代精霊もここを住処にしている。だからあんたがあそこに落ちそうになった時止めたんだ。別にあんたを助けたわけじゃない」
「ろくだいせいれい?って?」
「そんな事も知らないで魔王倒すなんて言ってんのか!?バカも休み休み言えよ」
「むっ!」
「六代精霊ってのは属性で別れた精霊の王だ。この国には五つのギルドがあるだろ。
火ギルドにはサラマンダー、水ギルドにはウンディーネ、風ギルドにはシルフィード、光ギルドにはウィル・オ・ウィスプ、闇ギルドにはシェード。各ギルドは各精霊の加護を受けるんだ」
ふうん、と気の抜けた返事をしながらアインに遅れないようについて行く。アインは随分と足が速い。……足の長さのせいもあるかもしれない。
「じゃあ、もう一人の精霊は?」
「そこまでは知らない。六人目の精霊が観測されたことは無いに等しいからな」
「へえ〜…ギルドって何が違うの?」
アインは眉をひそめ、鼻で深く息を吸った。
「…さーね。説明するのが面倒くせぇ。だけど一つだけ教えてやるよ。風ギルドはこの森を出たすぐの所にある。だから、風ギルドの人間は他のギルドよりも精霊の加護を強く受けている。そして俺は風ギルド所属だ。この意味が分かるか?」
アインは立ち止まり、くるりと振り返る。いつの間にかそこは広い草原で、高い木々に囲まれていた。風が葉を揺らす音、それがとても遠く感じる。
「オレは他の奴らよりも精霊の加護を受けている。────つまり、魔力が並よりもはるかに多いってことだ」
…………簡単に言えば、結構やっかいだってことね。
辺りを見渡すと、なるほど、一本だけやけに目立つ樹がある。ただでさえでかい樹がさらに背伸びをした感じだ。見たところ樹皮はすべすべしている。登りやすいか登りにくいかと聞かれたら、かなり登りにくそうだ。それを登れたら仲間に入るだなんて、最初は楽ちんだと思っていたが、かなりの無理難題な気がする。
(こいつ若干エスっ気あるな……)
太い枝が地面から約三メートル離れた場所に、かろうじて一本だけ生えているという感じか。しかしその枝さえ掴んでしまえば、あとは登ることに苦労はなさそうだ。
「んじゃ、改めてルール説明だ。あんたが勝ったら、オレはあんたのパーティーに加わってやる。んでオレが勝ったら、あんたは今すぐここから立ち去ること。あとそうだな、その弓を寄越せ」
「はあっ!?そんな条件なかったじゃん!?」
「だってアンフェアだろ。お前が勝てば、オレはあんたと一緒にずっと戦うハメになるんだ。」
「……っ、しょうがないなぁ!」
わざと大きい声で喋る。空気がピリピリしてきた。きっとアインに魔力が集まってきているのだ。ここが千年樹の森だからだろうか、魔法使いでない私でも魔力の流動を感じる。攻撃をまともに受ければ一発でやられるかもしれない。
だが負けるわけにはいかない。この弓はシスターの形見だ。大切な形見をそう簡単に渡せるわけがない。
アインはすっと人差し指をいちばん高い樹へ向ける。
「あのザフラの樹のてっぺんに登りきれたらあんたの勝ち。オレを倒してもあんたの勝ち。オレに行動不能にされたら、オレの勝ち。いいな?」
「うん」
「じゃ、お好きなタイミングでどうぞ」
アインは距離をとる。私も後ずさりで離れる。こういった実戦は初めてだから、正直言って怖い。アインがどのくらい本気でやるのかわからないし、私もどれだけ出来るのかわからない。
「…ありがとう。それじゃあ………」
背中の弓を左手に構え、靴のベルトに刺した矢を取り出す。木で作られた、素朴な弓矢。一筋の汗が頬を伝った。
「……お先にっ!!」
キイン、空を裂く音を鳴らし、高く弧を描き飛んでいく矢。アインが杖に手を添えると同時に、私は一直線に走り出した。
【人物紹介】
ナターシャ
アーチャーの少女。十六歳。
ガラスの破片はアイボリーホワイトで、その色のガラス細工のリングを身につけている。
おてんば娘で、思い立ったが吉日、すぐに行動に移す。
生まれてから自我が芽生える前に、両親はいなくなっていた。
その後孤児院で育ち、そこでの育ての親であるシスターの死をきっかけに、旅に出る。
黒の魔王討伐に対する情熱は、正義感の他に何か理由があるようだ。
田舎村で育ったため、運動神経は優れている。
足が速い。
アーチャーになろうとしたきっかけは、孤児院の棚に飾ってある写真に、シスターが若い頃のアーチャーとしての姿が写っていたから。
『私の五つの素敵な部分』が宝物。