第8夜
重たい本を読み終わっては片付け、また新しい本を取り出す。これでいったい何冊目だろうか。腕も頭も疲れてきた。
モドは本をせわしなくめくりながら、文字を目で追っていた。一番新しい本から順に読んでいるが、何分冊数が多い。このペースでは、今日中に終わるかも分からない。いや、そもそもこんな本なんかに答えが載っているとは限らないのだ。
(僕は今、ここでこんなことをしていていいのか?)
目的は二つ。ジルベールを取り戻すことと、ロザリーの兄、ヘリックの探し物を見つけることだ。本を読むことがそれに繋がると思っていたが、まるで答えは出てこない。
(しかし、これ以外にどうしろと言うんだ。)
文字の羅列はモドの心を不安定にさせる。もし読んでも意味が無いのなら、読んだところで何も見つからないのなら。そんなことが頭をかすめていく。
モドは机に肘をつき、額を押さえた。長い前髪が押し上げられる。深いため息をつく。ポケットから山吹色のガラスの万年筆を取り出し、眺めた。
(……ヘリック………。どうして、君は……)
突然机を叩く大きな音がして、モドは飛び上がる。顔を上げると、机に片手をつくアインと目が合った。アインはモドをじっと見、本を取り上げた。
「あっ」
「腹減った。何か作ってよ。」
「は………」
「コーヒーくらいは淹れられる。」
本をパタンと閉じ、積み上げられた山の上に置く。ぶっきらぼうだが、気遣ってくれたのだろう。時間は昼過ぎ。熱中しすぎて、時間を忘れていた。
「……はい。」
モドは深呼吸をし、にっこりと笑うと席を立った。
二人で昼食をとっていると、アインが口を開いた。
「……ロザリーさんの兄は航海士か何かなのか?」
モドはパスタを頬張りながらふふふと笑った。アインの淹れたコーヒーを飲み、口の中のものがなくなった後に返答する。
「いえ、彼は学者と言った方が一番近いですね。外の世界について調べ、自分たちの生活が善くなる術を取り入れる。彼が調べていたのは、地形や植物、環境といった自然が主です。だからほら、さっきまで読んでた本もそういうのが多かったでしょ?」
確かに改めて見ると、そういったものが本棚の半分以上を埋めている。しかしこれを全て読むとなると、さすがに時間が勿体ない。何かヒントが無いものだろうか。
アインはパスタをくるくると巻きながら考え込む。アインにとって、ロザリーもその兄という人物も見たことがない。知っていることといえば、名前だけだ。
(何を探しに……?探しにって言うくらいなんだから、持ち運びできるような"モノ"なんだろうけど……。)
ちらりと前に見ると、モドも同じように考えにふけっている。手に持ったフォークが今にも落ちそうだが、モドが気づく様子はない。
(ロザリーって人のために、何か、を………。ロザリー………ロザリー…………。この人になにか関係がある………。ロザリー…………ロザリー…………。……ロザ、リー…………?)
ふ、と一瞬、考えがまとまった感覚がする。
ロザリー。この単語を、アインは聞いた覚えがある。昔にたった一度だけ、通っていた学校の授業で出てきた幻の花…………。
「ローズ・リー…………。」
モドがはっと顔を上げる。ミルクティー色の髪がふわりと舞い上がり、隠れていた目が一瞬だけ顕になった。
モドは勢いよく立ち上がり、椅子が倒れるのも気にせず本棚に手を伸ばした。張り付くように本を探し、そこに無いと分かるとはしごを使って高いところまで探し始めた。
しばらくして、モドはゆっくりとはしごを降りてきた。その腕には一冊の辞典が抱えられている。足を床につけ、モドはアインに向き直った。
「……この本は、十年前にロザリーの兄、ヘリックが僕に渡した本です。彼はこの本をいつものように売るのではなく、『預かってくれ』と言って渡してきました。」
机の上の皿を押しのけ、本を置いて開く。中はただの植物図鑑のように見える。アインも本をのぞき込み、一緒になって読む。モドはパラパラと素早くページをめくっている。そして、あるページで指を止めた。
そのページには端に折り目がついており、ペンで囲った跡もついていた。そこに書かれているのはローズ・リーという、深紅色のバラの花だった。
「これが、探し物………!」
そう呟いた瞬間、ものすごいスピードで階段を駆け上がってくる足音がした。そして扉が勢いよく開いた。
「おいナターシャ、人んちの扉はちゃんと開け……!?」
そこに立っていたのはナターシャではなく、長い金髪を垂らした背の高い女性だった。青い服と髪のコントラストが美しく、立っているだけで不思議な魅力を放っている。
「ああ…さっきジルベールと一緒にいた…。」
「ロザリー、どうしてここに?」
モドは扉に近づき、話しかける。ロザリーの息が上がっていることに気がつくと、素早く水を汲んで持ってきた。しかしロザリーはその水を受け取らず、その代わりにモドの両腕を掴んだ。そして縋るような目を泳がせると、大粒の涙を流しながら泣き崩れた。
「うっ……うわぁぁぁぁ〜〜!!」
「ど、どうしたんですか?どこか怪我でも?」
嗚咽を漏らしながら足元でうずくまる。そして途切れ途切れに言葉を繋ぎながら、ロザリーは呟いた。
「ひっく…ひっく…………あ、兄ぃが、今………ひっく、広場で……………」
それを聞いたモドはアインと顔を見合わせ、一目散に広場へと駆けて行った。




