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第7夜

 昼飯を食べ、ジルベールとロザリーはまた街を散歩していた。ロザリーは街の様子をいろいろ喋りながら、兄との過去を思い出させるかのようにジルベールに語っていた。

「兄ぃはよくこのベンチで休むのが好きだっタヨね。あそこの病院は、昔は本屋だった。覚えてる?兄ぃ、本好きすぎて一日中あそこにイタの。」

 その内容は、どれもジルベールにとって覚えのないものだった。自分はロザリーの兄ではない、そう言ってしまえば一番いいのだろう。だが、必死に話そうとしてくるロザリーにどうやって切り出せば良いのか分からなくなっていた。

 しばらく歩いていると、ロザリーはある店の前で足を止めた。そして

「兄ぃはココで待ってて!」

と言うと、足早に一人で店の中へ入っていった。

 ジルベールはやっと女性が自分から離れたことにほっとし、言われたとおりにその場で待っていると、背後から声をかけられた。

「………あんた、本当にあのヘリックなのかい?」

 声がする方を振り返ると、怪訝そうな顔をした老人が立っていた。

「いえ…俺はジルベールと言います。風の村から来ました。」

「そうだよねぇ…ヘリックなわけがない。あの子はもういないんだから。」

 少し安心したようにため息をつき、老人は杖をカツンと鳴らした。もういない。その言葉がジルベールの耳の奥でこだまする。

「いないって…どういうこと、ですか?」

「うん………あの娘の兄、ヘリックはね、五年前に亡くなったのさ。妹思いのいい子だったよ。本当に残念だ……」

 ロザリーは店の中で何かを頼んでいる。足をテンポよく踏み鳴らし、ご機嫌な様子だ。その後ろ姿を見つめ、再び老人に向き直った。

「あんたはヘリックによく似てる。その長い後ろ髪も、赤紫色の目も。だけど何もかも違う。あの娘はまだ混乱していて、それが分かっていない。いや……本当は分かっているのかもしれない。兄の死を受け入れられず、もう二度と帰ってこないヘリックを待ってる。」

「………」

「もうあの娘のあんな姿を見るのはたくさんだ。あんたもあの娘の兄のフリなんてしないでくれ。あまりにも………」

「兄ぃ!」

 ロザリーの声がする。振り返ると、ロザリーは満面の笑みで両手にアイスクリームを持っていた。老人はジルベールに「あまりにも残酷だ」と囁くと、静かにその場を去っていった。

 ロザリーはジルベールにアイスクリームを片方手渡す。好きだったでしょ、と笑うと、広場に向かって歩き出した。ジルベールは渡されたアイスクリームには手をつけない。そしてロザリーを追いかけ、彼女の肩を掴んだ。

 アイスクリームを口に含んだロザリーは、首を軽く傾げた。ジルベールは言葉を探し、ぱくりと開けた口を閉じた。しばらく俯き、深呼吸を繰り返した後、ロザリーをまっすぐ見た。

「……よかったら、いろいろ話してくれませんか?君と………ヘリックさんのことを。」

 風の村とは違い、潮を含んだからい風。垂らしたままのジルベールの後ろ髪と、ロザリーの髪が波打つ。彼女の耳たぶから、伝統的な模様が施された若草色のガラスが、キラリと輝いた。


 広場の噴水の淵に座る。ロザリーの青い衣服が撥ねた水で少し濡れてしまっていたが、本人は気にすることなく話をしていた。

「ママとパパがいなくなった日から、兄ぃはミーにすっごく優しくなった。一緒に出掛けタリ、アイスクリーム食べたり、いろいろした!

 ……でもあの日、兄ぃとケンカしタヨね。理由は何だったか忘れたケド、すっごくどうでもイイ事だった気がする。」

 彼女のこの喋り方は、生まれつきなのだろうか。癖?聞き取りづらくはないが、とても話しづらそうに聞こえる。

「そしたら兄ぃ、急に居なくナルからビックリした!ミーのこと、嫌いになったのかと思っタヨ。」

 身振り手振りで話す動作は、見た目より幼く感じる。水面に反射した光が、飴色の瞳の中でチラチラと走った。

「でもこうやってまた会えたダケで嬉しい。兄ぃはミーのコト嫌いになってなくテ嬉しい。だからもう………」

 そっとジルベールの手に手を重ねる。彼女がジルベールのことを本当に兄と思っているのかどうかは分からない。そんなことはもう論点ではない。

「………もう、ミーをひとりにしナイで…。」

 彼女は、ジルベールがヘリックであって欲しいと思っているのだ。もしかしたら兄かもしれない。兄であって欲しい。

 彼女ロザリー自身、もうヘリックはいないと感づいていないはずがない。

「ごめんなさい、ロザリーさん……。」

 重ねられた手を静かにほどき、ジルベールは立ち上がった。わずかに固まったロザリーの口元。ジルベールは垂らしていた白い後ろ髪を手早く三つ編みにし、座ったままのロザリーと目線を合わせた。

「俺はジルベールといいます。ヘリックさんではありません。まったくの、別人です。」

 大きい目。ジルベールは喉を鳴らし、震える手をぎゅっと膝の上で握った。

 ロザリーが立ち上がる。健康的に筋肉がついた足や腰つき。ブーツや衣服の縁にワインレッドのバラの装飾が施されていた。

 ジルベールも腰を伸ばす。彼女との身長差はおよそ五センチほど。そらしたい視線を押さえつけ、ジルベールはゆっくりとロザリーに語りかけた。

「俺は、あなたの求めている人じゃない。俺はあなたの、兄のふりなんてできない。もういないんです。あなたの兄、ヘリックさんは、もう、どこにも………ッ」

 パンッ

 辺りに響く衝撃音。ジンジンと鈍く痛む右頬を、ジルベールは軽く抑えた。ロザリーは左手を動作の後のまま固まらせ、目をさらに大きく見開いた。長い金色のまつ毛はふるふると震え、瞬きさえ忘れていた。そしてふと、繋ぎ止めていた糸が切れたかのように、ぽろりと一筋涙が頬を伝った。

 その時、叫び声がした。砂煙をあげ、桃色の髪を振り乱しながら走り寄ってくる少女。その声は途切れ途切れ、ジルベールの耳に届いた。

「…………ろ…………える………………う、しろ………ッ、じるべ、る……うし、ろッ!!」

 ハッとなり、感じる気配。異様なまでの殺気が、ジルベールのすぐ背後まで迫っていた。目の端に見える、真っ黒なその姿。振り下ろされる武器を避けるため、体を捻ろうとするが……

(間に合わない……)


 次の瞬間、再び破裂音が響き渡った。空気が震える。何が起こったのか分からないが、ジルベールの顔の右側には今、あと数ミリでぶつかるほどの近さで動きを止めたブーツのすね。背後に迫っていた黒い殺気は、反対方向へと吹き飛ばされていた。ワインレッドのバラの装飾があるブーツは、目の前にいる金髪の女性が履いているものだ。

「…………ろ、ロザ」

「うわぁぁん!」

 話しかけようとした瞬間、ロザリーは大声で泣き出した。そしてありえない速さで走り出すと、街の中へと消えていってしまった。

「ジルベール大丈夫!?」

「お、俺は大丈夫だ……けど、ロザリーさんが………」

「今は無理だよ!ほらッ」

 ナターシャに言われて周りを見渡すと、二人はすでに、輪を描くように黒の魔物で囲まれていた。

 じりじりと近づいてくる魔物達。腐敗臭が辺り一面に充満し、次第に吐き気を覚えた。

「くそっ………」

「あはは…また前衛無しかぁ。アインと先生が気づいてくれるかなぁ。」

「悠長なことを言ってる場合じゃない。出来るだけ…時間を稼ごう。」

「うんッ」

 不気味な唸り声をあげ、襲いかかってくる魔物。ジルベールは小刻みに震える手に力を入れ、杖を強く握った。

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