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僕が大東SCにやってきた時、五年生だったヨッコラたちが卒団し、大東SCのコーチ三期目となる今年もまた六年生チームのコーチをすることになった。この学年は当時、生意気な主張をしてきたあのインテリ四年生チームだ。
正直言って、この学年のコーチになるのは気が引けた。コーチの人数が一番充実している学年だったこともあるが、子どもたちが発する雰囲気は、コーチをしている父親たちから発せられていると感じていたからだ。
卒団式の終わった翌週からしばらくの間は、六年生チームの練習に付き合うのが苦痛で仕方なかった。平日練習はコーチが僕一人しかいないこともあって、熱心に通ったものの、日曜日練習は完全にやる気が失せ、公園組の活動を優先することもしばしばだった。
そんな僕を温かく支えてくれたのは、六年生ヘッドコーチの田藤さんだった。田藤コーチは、藤村監督や長身サーファー大口コーチと同じく元お父さんコーチ。息子は卒団したが、本人はコーチとして大東SCに残った人だ。だからチーム内では監督、サーファーに次ぐ三番手コーチとなる。
でも、上の二人に比べて口数は少なく、硬く見えるが笑顔が素敵なやさしいおじさん。ディフェンダー経験者のようで、守りの動きを教えるのがとても上手だ。
しかし、田藤コーチは仕事が多忙らしく、しばしば日曜日練習を欠席していた。だから、実質日曜日練習を指揮していたのは、この六年生チームに在籍している良太の父で、サッカー未経験者である塚本コーチだった。少年団は、家族ごと入団している世帯が多いのも少年団あるあるであるが、塚本一家もその例に漏れず、父の塚本コーチ、長男の良太、次男の昇平、ママは役員として家族ごと団にかかわっている。
六月になったある土曜日。この六年生チームのコーチが僕以外全員欠席の中、前期リーグ戦第三節が行われた。塚本コーチから事前に一枚の紙を渡されていた。
「これ、今度の土曜日のポジション。あとは後半、ベンチの子を適当に出してくれればいいから」
そう言われて渡された紙を見ると、先週、先々週と代わり映えしないメンバーだった。一敗一分けと結果が出ていないにもかかわらず。僕は他のコーチと違い、平日練習で子どもたちと接しているだけに、今までの二試合のメンバーに不満を感じていた。
そこで、紙をポケットにしまい、平日練習の時の勢いのあるメンバー、ポジションに変えて臨んだ結果、見事に勝利することができた。この日を境に六年生チームのコーチとして認められたような気がする。
しかし、今年の六年生チームは、ある火種を抱えていた。去年の六年生チームが人数不足で大変な苦労をしたことを受け、今年の六年生チームは、五年生チームから半数を吸い上げ、残りの五年生を四年生チームと合併させたのだ。
少年団あるあるの一つとして、学年ごとにまとまる習性は子どもたち以上にママさんたちに多く見られる。さらに六年生チームと五年生チームのママの中には、反目するリーダー的存在のママがいたため、六年生チーム発足当初から亀裂が生じていた。
六年生のママたちが「右」と言えば、五年生のママたちは「左」と言う。五年生のママたちも六年生優先の原則を承知はしているのだが、五年生チームだけが分断させられてしまったことに納得できないのだ。
「私たちも、たまにでいいから五年生チームとして試合をさせてもらいたい」
「チーム内で、五年生チームだけが犠牲になっているのはおかしい」
ママたちの声はチームの上層部にも伝わっていたが、上層部は頑なに無視した。
一方、子どもたちは、すでに根付きはじめていた平日練習での学年間交流のおかげもあって、大人たちのような溝は皆無だった。むしろ、五年生チームだったら控えになりかねない子どもたちが、四年生たちを引っ張って頑張る姿は、もし五年単独チームにしていたら見られなかった光景のはずだ。
ポッポ。この六年生チームに在籍する六年生の少年だ。初めて会ったのはポッポが四年生の時だった。あのインテリ四年生チームの一員だったが、その時の第一印象はジャニーズ系でいいところのお坊ちゃん。話をしてみると、大手進学塾に通う一人っ子で、駅からすぐのマンションに住んでいるという。だから、そんな第一印象をもったのだと思う。
しかし、僕が大東SCに足を踏み入れた時の、僕のポッポに対する好意的な印象は大東SCに通えば通うほど覆されていった。
しぐさを観察していて分かったことは、ポッポは乱暴者ということだった。友達に対して口調が非常に悪く、すぐに友達に手を挙げる。
僕は当時五年生のコーチだったが、この四年生のポッポが非常に気になり、話しかけてみることにした。
「どうして、友達にいつもあんな態度とるの?」
「だって、面白いじゃん」
「自分がやられたら嫌じゃない?」
「別に。やられたらやり返せばいいじゃん」
この子には人の痛みが伝わっていない。なぜこんなに曲がった心をもってしまったのか、日々思いながらポッポと接していると、だんだんとポッポの本当の姿が見えてきた。
ポッポは、いいところのお坊ちゃんなんかじゃなかった。シングルマザーのお母さんと二人暮らしで、口には出さないさみしさを抱えている子だったのだ。その思いを人に見せないように、あるいは忘れるように日々あんな振る舞いをしていたのだ。
それを知ってから1年以上たった今、六年生コーチとしてポッポの学年を見ることになったことで、ポッポと会話をする機会を多く持てるようになった。
気軽に話してくれるようになったポッポの口からは、どんどん本音が出てくる。
「今、通っている塾も本当は行きたくない。だからできるだけ遅刻していくんだけど、居残りさせられたりして、ますます塾が嫌いになる」
そういってポッポは、僕の前で大きなため息をつくこともしばしばだった。
この子は病んでいる。そう直感した僕は、ポッポを村山公園に誘うことにした。村山公園は来る子を拒むことなく、性別、学年、学校名も関係なく平等に遊べる場。
この時、村山公園のリーダーは、村山小学校六年生の真吾がやっていた。真吾は幼稚園児のころから三つ上の兄とともに遊びに参加している子で、公園組七年目のベテランだ。僕からはもちろん、下級生からも今までいた上級生からも信頼されている真吾とポッポが、来年同じ中学校に進学することもあり、真吾にポッポを任せようと思いついたのだ。
下級生メンバーには、ポッポと同じ大東SC所属で塚本コーチ次男の三年生昇平や、大東小学校三年生の元子役、現野球少年の雅大もいたため、「大東小学校の子も遊びに来てるから、一度遊びに来てみなよ」とポッポを誘った。
初日こそ緊張していたポッポも、真吾を中心とした村山小学校六年生メンバーや、人見知りをしない好奇心旺盛な元子役の雅大たちの包容力で、日に日に心が溶けていった。
ちなみに、公園組五代目リーダーの真吾は、村山キックスFCでゴールキーパーをしていた。幼稚園児の頃から公園でサッカーをするときは、自ら進んでキーパーをやり、横跳びをしてはお兄ちゃんたちのシュートを止めるような子だったから、村山キックスの大黒柱になるのは当然といえた。
その村岡キックスは、大東SCとは異なり基本的に日曜日の活動がないので、真吾は公園メンバーによる日曜日組にも参加していた。そんな真吾と仲良くなったポッポも、大東SCの日曜日練習終了後に日曜日組に参加するようになっていった。
村山公園に来るようになって数週間。ポッポは本当に柔らかい子に変わっていった。変わらなかったのはママと居酒屋で食べるホッケが大好物だったこと。
もう一つ変わらなかったのが、日曜日練習の際の遅刻。そのため、塚本コーチからは完全に目の敵にされていた。それは、月日が経過するごとに顕著になり、十一月の後期リーグ戦も十二月の森林SCカップ戦もベンチウォーマーにされていた。
しかし、大東SCのような街の少年団には、ベンチメンバーを全員出場させるという暗黙ルールがあるため、ポッポのようにコーチに嫌われている子でも、必ず数分は試合に出場できる。
カップ戦の後半から出場することになったポッポ。しかし、塚本コーチに無理難題を課せられ、コート内で右往左往するポッポ。そんなポッポに分かりやすい言葉で伝えるのが僕の役目だった。
「相手の背番号とボールが見える位置を探してごらん」
「守るときは、自分の守るゴールとボールの間に入るようにしろってことだよ」
このように、試合のたびにポッポをサポートしてあげた。
それが奏功したのか、結局ポッポは去年の六年生のようにコーチにいびられても辞めることなく、無事に卒団式を迎えることができた。
卒団式後の食事会で、ポッポママに今の塾に対するポッポの思いを伝え、ポッポを同席させた上で僕の塾に移籍したがっていることを話し、快諾してもらった。僕は、ポッポの喜びの笑顔を見ながら「良かったな」とポッポの頭を撫でてやった。
こうして去年のキャプテン真也やディフェンダーのヨッコラたちに引き続き、ポッポが入塾することとなった。うちの塾には真吾たち村山公園の仲間たちがいる。これでポッポが孤立することはないと思うと、とても嬉しくなった。
卒団式後の食事会も無事に終わり、卒団式で六年生たちから贈られた寄せ書きを帰宅後に見た。
「平日練習を見ていただきありがとうございました」
「火・木練習で技術指導していただき、ありがとうございました」
異口同音に平日練習のみ感謝されていた。




