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大東SCでは毎年一月終わりから二月にかけて公民館や地域会館でコーチ会が開催される。これにより、二月の終わりから新たなチーム編成で一年を送ることになる。
少子化の影響で一学年で一チーム作るか、二学年合体で一チームを作るかが最大の議題となる。いかなる時も六年生チームを最優先に考え、六年生チームのコーチの意見が尊重される。
僕の担当している五年生チームが二月から六年生チームになるため、僕も意見を言えば尊重されたと思うが、まだコーチを始めてから半年も経っていないので何も言えなかった。
このコーチ会で決まったことは、十一人しかいない新六年生チームではあったが、新五年生チームとは合体せず単独チームで一年間戦うことと、ヘッドコーチに監督自身が就任することだった。
今までの最弱っぷりを前ヘッドコーチの責任とした新キャプテン真也のパパが監督にヘッドコーチ就任を要請していたようで、快諾されたことを真也パパは一番喜んでいた。
僕と敵対関係のままの六年生たちが卒団し、いよいよ本格的にチーム改革に着手する時がやってきた。
そうはいっても、すでに平日練習では改革が順調に行われており、サッカーは決してうまくはないけれど、学年の壁を越えてみんな仲良くなっていた。
『もっと村山公園のようにしていきたい』
そう思っていた僕は、六年生の技術向上よりも全学年の心の豊かさを優先した政策をとることにした。
学校ではまだ一年生だがサッカー界ではもう二年生になっている新顔たちも平日練習に参加し始めた春休み、みんなが集合している輪に入って説明を始めた。
「これからの平日練習のやり方を説明するから、よく聞いてね。まず、キャプテン真也を中心にして円を作って体操。終わったら上級生と下級生でコンビを作ってパス練習。上級生は下級生にいろいろ教えてあげるように。そのあとは、学年ごとにゴールを作って練習。じゃあ、あとは真也よろしく」
僕は輪から離れ、子どもたちだけで進められていく練習を遠くから見守る。
子どもたちのための、子どもたちによるチームの幕開けだ。
僕なしでもできるシステムを作ったため、木曜日は村山公園を優先し、日曜日はコーチがたくさんいることもあり公園組のお出かけを優先することにした。
土曜日に行われる六年生チームの試合には、コーチとして参加していたが、すべて完膚なきまでの惨敗だった。
キャプテン真也が股関節を痛めリハビリの日々となり、十人で戦っていたことも敗因の一つだったが、監督の戦術が五分と持たない体力勝負のものだったことが最大の要因だった。
ディフェンダーは、僕をスカウトした金田さんの息子とヨッコラしかおらず、コンパクトに保ちたいがために監督は「あがれ!」「下がれ!」の指示を繰り返す。二人は全力で走りっぱなしなのだ。負けて当然だ。
しかも、監督と元ヘッドコーチは折り合いが悪く、監督が事あるごとに元ヘッドコーチの息子にきつく当たるようになり息子が退団。フィールドに九人しかいない試合も日常となる。
そのため、トーナメント戦はすべて初戦敗退。リーグ戦も六月の前期リーグ戦全敗。十一月の後期リーグ戦は前期リーグ戦の結果を受けて、一位リーグからビリリーグに振り分けられるのだが、当然のようにビリリーグに送られた。
その後期リーグ戦での一戦。陽ざしはまぶしいけれど、日陰では冬の足跡が聞こえてきそうな十一月半ば土曜日の昼下がり、先々週、先週に引き続き今週も同じ小学校へと遠征。リーグ戦は五、六チームで同じ会場で行われるため、一か月程度遠征が続く。
二週連続で敗れているため、大東SCは最下位まっしぐらだ。
でも、今日だけは勝てるかもしれない。対戦相手が、僕の古巣の、あのスポーツクラブのサッカーチームだからだ。実質、最下位決定戦といえる試合だ。
僕ら大東SCが車で会場校に到着すると、見慣れた懐かしいユニフォームを着た子どもたちが僕の目に飛び込んできた。
新顔もいたが、去年からの顔ぶれが多数みられ、率いているコーチもともに仕事をしたことのある元同僚だった。そのコーチが僕の顔を見つけ、笑顔で近づいてきた。
「お久しぶりです。あれ、今日はこっちのチームじゃないんですか」
軽く飛ばされたジャブを苦笑いしながら聞き流すしかなかった。
「懐かしいな。みんな大きくなったね。やっぱりユウキがキャプテンやってるんだ。あの頃から上手だったもんね」
笑顔のまま挨拶を終え、ウォーミングアップをするために大東の子どもたちとゴール裏に移動する際、スポーツクラブの子どもたちとすれ違った。
ユウキとすれ違ったそのときだった。
「ウラギリモノ」
とても小さな、でもはっきりとしたユウキの声。コーチ同士は昔の同僚でも、子どもたちからしたら自分たちを見捨て、他チームへと去っていった裏切り者なのだ。
このユウキの言葉が僕の心深く突き刺さったまま、ウォーミングアップの時間が終わった。
そして、心の整理がつかないまま試合が始まった。
大東SC側のベンチに座る僕の目の前では、確かに二チームがボールを蹴りあい、追いかけている。でも、僕からしてみたら、ユニフォームの色こそ違うが、どちらの子どもたちも教え子だ。
どちらのコーチとしてベンチに座っているのか分からない。どちらの子どもたちがボールを奪っても嬉しくない。なんなんだ、この感覚。
こんなことを思っていると、ボールがゴールネットを揺らしていた。
「キャー、ナイスシュート!すごーい!」
黄色い声で騒いでたのは、大東SCのママさんたちだった。
スポーツクラブのユウキは「次、次」と味方を鼓舞しながらセンターサークルにボールを運んでいた。その後もユウキは、一人でボールを奪い、一人でドリブルをし、一人でシュートしていた。
ユウキのチームは、チームとして成り立っていないので、一人でどうにかするしか打開策がないのだ。チーム事情を知っているだけに、かわいそうに思えてならなかった。
二点目、三点目と今まで試合でとったことのない得点に大東SCの子どもたち、ベンチ、ママさんたちはお祭り騒ぎの喜びっぷりだった。
それなのに、僕は作り笑顔もできない。大東SCが得点すればするほど刺さるもの。
『早く終わってくれ』
それだけをずっと考え、試合を見つめていた。
最終的に3-0で勝った大東SCは大喜びだった。この一勝により、大東SCは市内35チーム中34位でリーグ戦を終えた。
三月。改革元年の六年生たちが、いよいよ卒団の日を明日に控えた土曜日。この日は、歩いて十五分のところにある深谷小学校で活動するFC深谷主催の深谷杯にお呼ばれする。
文化の日に行われる大東SC主催の大東杯に深谷を呼び、そのお返しに深谷杯に呼ばれるという、ギブ&テイクの関係がカップ戦には往々にしてある。
この日の試合は僕に指揮権があったため、十一人に満たないわがチームでも楽しめる作戦を立てて戦った。名付けて‘オフサイド大作戦’。結局全敗だったけれど、みんなの表情にはやりきった感とともに満足感が溢れていた。
そして、とうとう卒団式を迎えた。
恒例の六年生数人vs各学年の試合が行われ、最後に六年生チームvsコーチ陣の本気試合が行われる。その後、全員が体育館前に移動してのセレモニーがスタートする。
僕ら六年生チームが移動すると、すでに五年生以下の子どもたちが座っており、その前に六年生が整列し式典が始まる。
藤村監督は祝辞を述べるとき、必ず泣く。そして必ずこう言う。
「年を取ると涙腺が緩んじゃってしょうがないな。みんなには、どういう形であれ、できればこれからもサッカーを続けてもらいたいなと思います。そして、いつかコーチとしてチームに戻ってきてくれたらとても嬉しいです」
今年も去年と同じく、涙をこらえながら同じことを言った。
しかし、去年と大きく違ったのは、下級生からの温かい拍手の大きさだった。
今年の六年生チームは全く勝てなかった。最弱だった。でも下級生を思いやる優しい心は去年の六年生とは比べ物にならない。拍手の大きさがそれを物語っていた。
そんな下級生からの声援を背中に浴びながら、六年生たちは笑顔で大東SCを後にした。
ちなみに、この卒団生のうち、キャプテン真也とディフェンダーのヨッコラなど三名が僕の塾の生徒となった。




