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年が明け、たくさんの子どもたち、生徒たち、卒業生たちからの年賀状に目を通しながら返事を書くことに追われた正月。
塾は例年通り一月二日から冬期講習後半戦が始まり、五日には公園組日曜日組を東京ディズニーシーに連れて行ったりと、新年早々からのんびりする暇もない慌ただしい幕開けだった。
大東SCの活動はまだ冬休みが終わらない平日の練習から再開された。去年と変わらず二年生から六年生まで七十名ほどがグラウンドに集まっていた。
僕がグランドに足を踏み入れると、グランドのあちらこちらにいる子どもたちが「こんにちは!」「こんにちはー!」と僕に向けて挨拶をしてくれる。
一年ほど前までは、挨拶のできる子どもはいなかった。もちろん試合の時にはキチンとできていたが、それはルーティンワークとして癖がついていたからやっているに過ぎなかった。
一年前、平日練習のために小学校にやってきた僕は、いつもグランドに直行するところをたまたまピロティーに向かった。そこにいたお当番のママさんに挨拶をして、グランドに出ていこうとした時に気づいた。練習に来る子の誰もがお当番ママさんに挨拶することなく素通りしているのだ。
練習開始時間になり、全員集まったところでみんなに話をすることにした。
「今日、気づいたんだけど、練習に来て荷物を置く時、近くにお当番さんがいるのに、なんで挨拶しないの?それってさあ、人として失礼じゃない?みんなが無事にサッカーができるようにって忙しい中、来てくれてるんじゃん。その人たちに、こんにちはぐらい言えないの?言わないといけないなって思う人は次からちゃんと挨拶しようね」
次の平日練習の時からは、この「こんにちは」の言葉が僕にもかけられるようになった。それが、日を追うごとに子どもたちの中で、競うようになっていった。
今では、みんなの「こんにちはー!」という大声が輪唱のようにグランドを覆い尽くす。この時僕は、声がしたいろいろな方向に右手を挙げて「こんにちは」と口を動かし、大きく腰を曲げながら頭を下げて、大げさに挨拶を済ませるようにしていた。
本来なら普通に一回だけ「こんにちは」と発すればよかったのだろうが、いろいろな方向にいる子どもたちに手を振って応えたのはカズ精神から生まれたものであった。
声援が聞こえるとその人に向けグランドから手を振って応えるカズ。それだけでも、声援を送ったファンは、「手を振り返してくれた!」「今、目が合った!」と、大満足するのだ、
手を振るだけでも心を伝えることができる。それをカズから教わり、子どもたちの挨拶の時に実践するようにしたのだ。
そのため、路上で僕の車を見つけると、みんな手を振ってくる。運転中の僕も笑顔で手を振り返してあげる。そんなことの繰り返しが絆を深めていくことを信じながら・・・。
今年のコーチ会はとくに開催されず、監督からメールで、決定事項の事後報告という形の連絡を受けた。
その報告によると、新学年チーム編成とヘッドコーチについて、新六年生長男チーム藪口コーチ、新五年生石投げチーム井下コーチ。井下コーチは大手デパートの部長でサッカー未経験のお父さんコーチ。去年までこの石投げチームの独裁者だった大林コーチは采配に難ありということで降格となった。
みひろチームは四年生と三年生の一部合体で山下コーチ、悠李チームは三年生と二年生合体チームでコーチは奏斗の父今井コーチ。
僕はヘッドコーチという肩書ではなくなった。監督に言わせると、「大東SCにお父さんコーチをもっと増やしたい。とくに新四年生は山下さんしかお父さんコーチがいない。お父さんコーチがヘッドコーチになることで、新たなお父さんが入ってきやすい環境を作れるのではないかと思って、ヘッドコーチをお父さんコーチにすることにした」ということだった。
正直、僕は監督と仲がいいとはいえない。僕には公園組があったり、塾があったりと、チームの子どもたちとチーム外で活動していることも多く、目の上のコブのように思われていた。
だからこの話を聞いて「俺をうまく外すためのいい口実を作ったんだな」と直感した。すぐに助監督の大口コーチに連絡をとった。
「今、藤村さんから連絡があって、テクニカルコーチという訳の分からない立場に降格させられてしまいました。山下コーチがヘッドコーチらしいです」
「えーっ、ヘッドコーチ、成島さんじゃないの?でもそんなこと気にしないで今までどおりやっていっていいと思うよ。メンバー表の監督の欄には堂々と成島って書けばいいよ」
「力強いお言葉ありがとうございます。前向きに考えます」
そういうものの、確実に藤村監督との溝が深まった一件となった。
二月に入ってすぐの日曜日、いつものようにグランドに到着すると、市のサッカー会議に出席した山下コーチから衝撃的な事実を告げられた。
「成島さん、大変ですよ。先週の会議で試合に関するルールが決まっちゃいましてね。試合開始時に十一人そろっていない場合は棄権とみなし、さらにリーグ戦では勝ち点1を減らすと・・・」
近くにいた藤村監督が話に加わる。
「そのルールはおかしいって闘ったんだけどね。藤川FCとFC陸奥小が言い出したことでさ、多数決でみんな向こうについちゃってさ。十一人にこだわる理由が人数の少ないチームの子に過度な負担がかかるからって言っているくせに、棄権になったとしてもその時間がもったいないから練習試合として試合はやるっていうんだよね。練習試合として試合をやるのは理由と矛盾していておかしいと言ったけどダメだった」
「人数が多いFCたちは何の問題もないでしょうけど、ウチみたいに人数ギリギリのチームにとっては厳しいルールですよね」
山下コーチが藤村監督に同調して言った。藤村監督が続ける。
「日本サッカー協会のルールは試合開始時に七人いれば試合成立するんだから、それを考えてもムチャクチャなルールだよね」
「新四年生のみひろチームと新三年生二年生合体の悠李チームに分けてあげたいけれど、両チームとも人数がギリギリになってしまいます。どうしましょうか」
このあと、山下コーチと話し合った末、チーム分けはみひろたち四年生九人に三年生健吾と聖太を加えることを前提に大会ごとに検討していくことになった。三年生悠李チームのヘッドコーチが奏斗の父、今井コーチだったことに配慮した結果だった。
三月に入り、六年生昇平チームの卒団の日がやってきた。僕が大東SCに足を踏み入れた時、一年生だった子どもたちが巣立つ日だ。もう六年近く経ったかと、感慨にひたっている傍らでは卒団式が進行している。
今年も監督が泣きながら祝辞を述べ、記念品贈呈では平日コーチということで僕も記念品をいただいた。
そんな中、例年とは異なることが一つだけあった。
それは六年生のコーチがこの一年間の活躍ぶりを勝敗数で表現したことだった。三十七勝百敗ぐらいという言葉が耳に入ってきた。
「もし、みひろチームの勝敗を計算したら、百勝三十七敗って感じだろうな。よしっ、新みひろチームの勝敗数をチームプリントに記載していこう」
この日以降、みひろチームに配っているプリントに勝敗数を載せるようにした。
ちなみに、今年の卒団生からは昇平がうちの塾に入塾した。




