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僕の母が、祖父の経営する米屋を手伝っていた嫁入り前には田園地帯だったそうだが、今では完全に住宅地をなり、学校、病院からスーパー、レストラン、フットサル場までなんでもそろっている村山地区。中心地の藤川駅から徒歩圏内というところも人気の秘密だ。
この街に村山公園という小さな公園がある。隣りが村山中学校なのでその公地のほんの一部に申し訳なさそうに作ったのが見え見えの公園だ。公園だからもちろんブランコや滑り台、砂場はあるが、金網フェンスで囲まれた三十メートル四方の広場があるのが魅力的な公園だ。
この公園を教えてくれたのは、僕と十二歳違いの当時七歳のいとこ、ひろくんだった。
僕は、子どもの頃から漠然と学校の先生になりたいと思っており、高校二年生の時の文化祭で屋台をやった際、近隣のたくさんの子どもたちが見せる純粋さに触れ、先生への夢がはっきりしたものになった。
しかし、根っからの適当人間に門戸を開いてくれる大学は皆無で、二浪目に入った四月にひろくんと僕に共通の祖母が他界したことをきっかけにひろくんと遊ぶようになった。
遊び場は、ひろくんの両親が経営する米屋から目と鼻の先にある村山小学校か村山公園。ひろくんは米屋から車で五分のところにある大里小学校の二年生だったが、放課後の活動場所はもっぱら村山地区だった。
浪人生活の中、ひろくんと校庭で遊んでいると、ひろくんの友達やその兄弟たちも仲間に加わるようになり、ちょっとしたグループへと発展していった。
翌年、大学生となり教職課程をとったこともあり授業数が膨大なのにもかかわらず、みんなが待っている村山公園に足繫く通い、たくさんの子どもたちと野球、サッカー、鬼ごっこなどをして一緒に遊んだ。
教育界では外遊びをしなくなった子どもたちを危惧する声が盛んにあがっていたが、村山公園に集まる子どもたちは、一年生から六年生まで男女問わず集結していたこともあり、教育界の危惧とは無縁だった。
「いつもお世話になっております。村山公園に通うようになってから、ウチの子の表情や目の輝きが変わってきました。帰宅すると、いろいろ楽しかったことを笑顔で報告してくれるんです。今までそんなことなかったので、親としてもとてもとても嬉しくて。これからもよろしくお願いします」
こんなふうに保護者の方々に言ってもらえることも多く、本当に励みとなった。
ただ遊ばせておくだけでもよかったが、一年生と六年生が同じ舞台で遊ぶことは危険も伴う。今の子どもたちは僕らの子ども時代のように‘ミソッカス’という考え方が希薄だ。弱者に対する思いやりに欠ける子も多い。だから、小さな子も対等に遊べるように、また思いやりを学習できるように『村山公園ルール』という特別ルールを作った。
例えば野球の場合。バッターが四年生以下の場合、ピッチャーは下投げしかできない。さらに野球が苦手な子がバッターの時は‘十球ルール’といって、十球投げる間に打てなければフォアボールのように出塁することができる。ピッチャーとしては、野球の苦手な子のバットにボールを当てないとアウトが取れないわけだから当てることに必死だ。バッターもバットに当てるのが最大目標だから打てれば喜びに繋がる。
みんながストレスなく遊べるこのグループは口コミで広がり、一日の参加人数が三十人を超えることもあった。これほどの人数になると、コート二つでドッチボールをさせることぐらいしかできなかったが、いろいろな遊びを子どもたちに経験させたかったので、試行錯誤しながらいろいろな遊びを取り入れた。蝉取りやドングリ集めなどの自然との遊び、折り紙飛行機飛ばし大会やベイブレード大会などの玩具を使った遊びまで幅広く。玩具を持っていない子も遊べるように、予備をたくさん買い込んでいた。だから、僕の車のトランクは玩具、野球道具、サッカーボールやコーンなどでいつもいっぱいだった。
この遊びのグループは子どもたちのためのものなので、僕が出過ぎないように気を付けていた。
グループには僕が指名した高学年リーダーがいる。その子に全権委任をしているので、何をして遊ぶか、チームをどう分けるのかの話し合いはリーダー中心に行われる。けんかの仲裁もリーダーを中心とした高学年が率先して行う。僕が席を立つのは外から酔っ払いや中学生がちょっかいを出してきたときだけだ。
子どもたちは上級生の言うことには素直に従う。もちろん、僕の言うことも聞くけれど子どもの世界で起こったことは自分たちで解決する術を身に付けさせたいと思い、僕は極力席を立たないようにしていた。
こうして公園組の子どもたちは、一般的な子どもが経験しにくくなった外遊びを通して、さまざまな大切なことを学んでいった。
子どもだけでなく、僕も学んだことがたくさんある。まず、信頼関係の大切さ。信頼関係がないと言葉が子どもたちの心に響かない。それから、大人と子どもの言葉の違い。小さな子どもたちに何度となく言われた「ねえねえ、それどーゆーいみ?」というセリフ。その都度、かみ砕いた言葉を探すうちに小さな子にも分かる言葉遣いができるようになっていった。最後に、臨機応変な思考力と、子どもたちが飽きてきたと感じる洞察力だ。子どもたちは、予想外のことを突然したり、すぐに飽きたりする。それを見逃すと、子どもたちを危険にさらしたり、楽しさを失わせたりしてしまう。
村山公園は関わる人すべてが学べる貴重な場となっていたのだ。




