第四十九話
染めたての布地のように青々とした空は雲ひとつなく、そのためであろうか、山の翠の透きとおった色がよく映えていた。
風もないのに曼珠沙華の花がゆらゆらと。まるで、あちらの岸に向かって手招きをしているかのようだ。
「こちらに待賢門院様がおわすと聞いたのだが」
寺の門前を掃除している小坊主にそう尋ねた男は、笠を少し押し上げ、にこりと笑って見せた。
「女院はただ今、夕の勤行をなされているところでございますが・・・」
不審な目で見上げる小坊主。
声をかけてきた男は埃だらけの法衣をまとい、巻いた脚絆も泥だらけで錫杖をついていた。
名刹の高僧というわけでもないのに、なぜ女院の居場所など尋ねるのか。
「では、待たせてもらうことにしよう」
そう言い、男は門をくぐった。
すぐ後ろに山が迫るその寺は、俗世との縁を絶ちきった者にはこの上もない別天地であったろう。
木々のさざめきに耳をかたむけ、身に感じるのは微生物の息づかいのみ。
ああ、俺の体よ。極致に至れ。
―――山野こそ、わが家だ
「申し、そこなお人。わが主に用向きがあるというのは、あなたですか」
若い女の声。
男は笠の緒をほどくと、そちらを向いた。
「あ」
女は小さく叫んだ。
汚れた身なりの僧は、なんと義清だったのだ。
「義清さん・・・」
「堀河殿、今は西行と名乗っております」
堀河は呆気にとられたのか、しばしの間無言であったが、口をきゅっと引きむすび、言った。
「お帰りください。女院はもう、誰ともお会いしたくないと言っておられます」
去年の末に落飾してしまった尊く美しい人。
―――門院様・・・
「女院が御髪をお断ちになると言いだしたとき、旧知の方々が思いとどまるようにと諭しに来てくださいました。たったそれだけで、心ない者たちは女院のもとに男が立ち替わり入れ替わり通っているなどと・・・」
堀河は西行を睨むかのような眼差しで見つめた。
「あなたは女院を苦しめに参ったのですかっ?!」
西行は何も言わなかった。
彼女の気持ちはわかる。だが―――・・・
「きゃっ」
西行はいきなり堀河の腕を後ろにねじり、体の自由を奪った。
「なんということを!仏門に身をおくものが暴力など・・・」
「わかってくれ堀河殿。あの御方にお会いしたい。今日まで、ただそれだけを切に願ってきたのだ」
その言葉に、堀河の心が揺らいだ。
「・・・西行殿。どうか、どうか女院を慰めてくださいまし。気丈にふるまっておいでだけれど、女院は・・・」
「わたしの力のおよぶかぎり―――」




