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有明の月  作者: 小波
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第十三話

 春の太陽がさんさんとふりそそぐ。

 まだ肌寒いが、空はまぎれもなく春の蒼色であった。

 息を吸いこめば、草木のやわらかい新芽のにおいがするような気がした。

 石清水八幡宮。

 今年の臨時祭も、たくさんの人で賑わっていた。

 とにかくいろんな身分の人々がいる。

 帝も行幸されていた。

 今上はまだ十歳の顕仁(あきひと)である。

 顕仁は先帝鳥羽上皇の第一皇子であり、母は中宮璋子である。

 璋子は院号を宣下され、今は待賢門院と号されていた。

 帝位について然るべき血筋の少年であった。

 皇族、公卿、貴族の人々、そして天皇までが御覧になる舞の舞人に、清盛は選ばれてしまっていたのだ。



 清盛は馬に乗り、ぽくぽくと石清水へと向かっていた。

 口取りは近衛府の舎人。彼は内大臣の家臣の一人であった。

「あの馬の轡を引いているのは、内府様のご家来じゃあないか?」

「馬に乗っている小冠者は、さぞお偉いところの令息なんだろう」

「違うぞ。あれは備前守の息子だ」

 清盛は元服し叙爵、つまり従五位下に叙せられていた。

 官職は左兵衛佐。

 武家の子である清盛が、衛府の三等官ではなく二等官に任じられたことは、世間の人々を大いに驚かせた。

 清盛少年の父は平忠盛である。

 忠盛の一門は伊勢平氏の流れをくみ、都でも重きをなす武家の一つであった。

 しかし、結局のところ、ただの受領でしかない。

 法皇の信頼厚しといえども、息子の官職を左右するだけの力などない。

 勘ぐりの好きな都人は、清盛の育ての親があの白河法皇の愛人・祇園女御であったことから、清盛は法皇の御落胤ではないかと噂した。

 清盛のこの異例の叙位・任官は、女御の働きかけによるものだ。

 内大臣の家臣が口取りをしたことで、噂は信憑性をおびてしまっていた。

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