第百十三話
翌朝、日も昇りきらぬ薄暗いうちから摂関家の家人が石清水八幡宮の神域および男山周辺に足を踏み入れた。昨夜、襲撃があった場所からさほど離れておらず、身を隠すには恰好の場であったからだ。
これに驚いた寺社の者が法皇に訴えに出、法皇は急遽、摂関家の事実上の長である左大臣を召し出した。頼長は一連の出来事を奏し奉り、検非違使を八幡宮へ遣わした。
使庁より多数の検非違使が動員されたことにより、洛中の公卿らにも事の次第が知れわたった。
事件のあった現場に到着した検非違使たちは首をかしげずにはいられなかった。その場には死体どころか血の跡すらなかったのだから!
頼長は彼らに八幡宮を探索するよう命じた。しかし、社家の衆徒がこれに応じるわけがない。衆徒と検非違使のあいだで闘争が起きた。これにたいして、法皇は新たに検非違使を遣わさねばならなかった。
朝日の光りが目蓋に心地よく少年は光りに導かれるままに目覚めたが、起き上がると同時に激痛に顔を歪ませなければならなかった。
生きている。これでよかったのかどうか―――
几帳のつつましい色合いが少年のずたずたの心をつかの間慰める。書物と香り高い墨の匂いがした。
耳をすませると話し声が聞こえてきた。かたや静かな口調だが、かたやほとんど怒声に近い。声をはりあげているのは権大納言・公能だと知れた。討論する声がやみ、軽やかな足音が近づいてきた。御簾を持ち上げたその人は朝日を背に、この上もなく美しかった。
「わたくしを検非違使に引き渡しますか」
頼長はおだやかな顔で首をふった。「きみは本気で尋ねているのかい?」
「権大納言様はわたくしが匿われていることを知っています」
「下手人だということは知らぬ。義兄上は使庁の別当。自分を蔑ろにされたことが気に入らぬのだ」
頼長は少年の頬に触れようとした。少年はそれを拒んだ。
「かの人は手柄のために奔走するだろう。おまえも詮議される。どうか安心してほしい。負傷の身であるおまえに、汚らわしい手で触れさせはしない」
「ああ・・・どうか―――」
少年は苦しそうに言った。
「あなたはなんと愚かなのでしょう!あなたは、わたくしがどんな仕打ちをしたかわかっているというのに―――」
「おまえのか細い腕を縛り、じわじわと恐怖をあたえて黒幕を吐かせろと?私を馬鹿にしないでほしい」
頼長は少年の柔らかい髪に触れた。少年は泣きたくなった。
「わたくしは使庁へおもむきましょう。そして、問われるままにお答えしましょう。黒幕が誰なのか、わたくしが何者なのか。あなた様に迷惑はかけたくない・・・」
頼長は吐息のような声を漏らし、いくぶんほっとしたようにほほえんだ。
正午を過ぎた頃に検非違使庁から使いの者がよこされ、少年はただ一人、邸をあとにした。しかし、彼は使庁の役人に対して、おのれは事件とはまったく無関係だということを明言したばかりか、証拠不十分で放免されるや否や忽然と姿を消してしまった。