第十話
雪どけ水をはじく音が、静寂をやぶった。
千早丸が踏み込んだのだ。
無言でくり出した一太刀は、難なくかわされた。
少年はくるりと体を反転させると、こんどは横に薙いだ。
家貞は目を瞠った。
あの闇雲な太刀筋は、今目の前で木刀を振るう少年から、あとかたもなく消えていた。
千早丸は確実に相手を捕らえようとしている。
急所だけをねらって―――!
その姿は千早振る神さながらの激しさであった。
少年は再度、忠盛目がけて飛び込んだ。
切っ先が喉を突き破る。
そう思った。
「あっ」
少年は忠盛の口元が歪んでいるのを見た。
本能的に危ないと感じた。
忠盛は素手で少年の木刀を払いのけた。
あまりの強さに木刀は横へ吹っ飛び、千早丸は手が痺れるのを感じた。
「殿っ!」
家貞が叫んだ。
が、それよりも速く、忠盛は太刀を抜きはなっていた。
千早丸が見たのは、ひと閃きした銀光のみであった。
「千早っ!」
女御は絶叫した。
家貞が駆けよる。
「峰打ちに、ございます」
簀子の上に気絶した千早丸を寝かせながら、彼は言った。
「なんという・・・。わが子相手に太刀を抜くとは何事です!野蛮な。そなたには情けというものがないのですか?!」
忠盛は汚らわしいものでも見るような眼で、千早丸を見おろした。
このような子ども、わが子ではない。
そう言っているように感じられた。
女御は控えていた女房に千早丸を部屋へ運ぶよう指示すると、忠盛に向きなおった。
「今日そなたを呼んだのは、他でもない千早の元服の儀について相談したかったからです。しかし、もう結構です。千早の元服については、すべてこちらで取り決めさせていただきます。そなたは―――」
女御は一度、言葉をきった。ふっ、と悲しげな笑みをもらした。
女御は覚悟を決めた。
妹との約束は果たせぬが、千早丸は幸せになれる。
自分の後ろ盾だけでも、十分に千早を出世させることができるはずだ。
「引き取りましょう」
忠盛は独り言のように言った。
女御はわが耳を疑った。
「女御様には何から何まで。この気持ち、言葉では言い尽くせませぬ」
「備前・・・」
女御は彼の答えを、本心からではないと確信した。
なぜなら、忠盛の眼中の底には、先ほどと同じ、怒りにも似た燻りがあるのを、彼女は見たのだから。