第一話
雨が降っていた。
芍薬の燃えるような紅が、霖雨のなか色を増したように思われる。
風が吹いた。
西風であった。
薄色の袿が湿り気を帯び、雅やかに匂やいだ。
「姉さま、雨がふき込んでいますわ。御簾もおさげにならないで」
声をかけられ、女御ははじめて顔をあげた。
さらりと揺れた額髪が、白い顔に陰翳をつくった。
「影・・・」
「ここのところ雨ばかり。鴨川も増水したとか。溢れなければよいのだけれど」
蔀を閉めながら影は言った。
「では当分のあいだ、法皇様はいらっしゃらないわね」
ほんのりと顔を赤らめ下を向く妹に、女御は笑いかけた。
そのとき「女御様、女御様」と呼びながら、女房の一人がやってきた。
「ただ今、先乗りの者が。法皇様がお越しにございます」
女房の言うことを聞き、女御は立ち上がった。
「まあ、こんな雨のなかを。影、奥へ行って着替えをしなさい。それから、あなたは寝ている者を起こして」
女御は妹と女房にそう言うと、外へと目を向けた。
「女御様もお召替えを」
立ち去り際に、女房が言った。
「わたしはこのままでいいわ」
ふり向かずに、女御は言った。
おそらく、彼女の顔は恐ろしいほどに歪んでいるだろう。それを、見られるわけにはいかなかった。
この雨。
そういえば、あの日も、こんなふうにしとしとと降っていた。
女御はひとつ、溜息をつくと格子に背を向け、奥へと入っていった。
老いた、と彼女は思った。