8.東京防衛戦――東大病院前の戦い――
東京都千代田区・江東区・中央区・港区に、放射性降下物を含んだ黒い雨が降りしきる。
その死の雨の最中を、死者の軍勢が北上を続けていた。煉獄と化した千代田区を抜けた帝国陸軍の歩兵連隊は、文京区へと進出。都道453号線まで北上した彼らを迎撃するのは、本郷三丁目交差点および本郷消防署前交差点、湯島天神入口交差点、天神下交差点を守る警視庁本富士警察署署員と第1普通科連隊の一部であった。
「分隊長ォ、駄目っすよ! 数が多すぎる! 残弾なし!」
「泣き言言ってんじゃねエ! 瀬名ッ! 田中!」
「瀬名一士ッ、現在地!」
「お前らふたりでサツカンの連中を退かせろッ、足手纏いにしかならない!」
89式5.56mm小銃で武装した普通科隊員たちは、押し寄せる死者の群れを瞬間的な火力で圧倒する。
帝国陸軍将兵の武装は単発の38式歩兵銃であり、その連射性能は、フルオート、3点バースト、セミオート射撃が可能な現代自動小銃とは到底比べ物にならない。
また地の利も普通科隊員たちの側にあった。放置車両を利用したバリケードや周囲のビルに身を隠した彼らは、大通りを堂々と猛進してくる死霊の大群へ射弾を送り続けるだけでよい。
「目標、前進中の敵戦車! ハチヨンで撃てェ!」
陸軍歩兵を掩護するために現れた97式中戦車の車体前面を、84mm対戦車榴弾が食い破る。内部を鋼鉄の破片と爆風が吹き荒れ、完全に破壊した。内部の操縦手たちは当然ながら2度目の死を与えられ、97式中戦車は戦闘不能に追い込まれる。
それでも怯むことなく陸軍歩兵と軽戦車、中戦車、対戦車砲が次々と前線に現れ、自衛隊員は小銃弾と機関銃弾、無反動砲でこれを撃退する。
「ハチヨン残弾なしッ!」
だがそれにも限界がある。
瞬間的火力で優っていても、携行している弾数が少ない。火力が維持できない。
徒歩での移動を余儀なくされた第1普通科連隊の隊員が携行することの出来る弾数は限られていたし、そもそも陸上自衛隊全体の問題として、各駐屯地に配されている弾薬量はお寒い限りである。予算が削りに削られたせいで、部隊によっては平時の実弾演習にも支障が出始めているのが実情だ。
おそらく関東一円の全弾薬を掻き集めたとしても、軍団・軍・軍集団規模で押し寄せる総力戦時代の死霊を殲滅するだけの量はない。しかもそのなけなしの弾薬のほとんどは、吉井弾薬支処(群馬県高崎市)と富士弾薬出張所(静岡県駿東郡)に保管されており、前線への輸送へは多大な時間がかかる。
……これまで第1普通科連隊が想定してきたのは、市街地における少数精鋭の敵ゲリラコマンド部隊との現代戦であり、10万、100万の怪物を迎え撃つ総力戦ではなかった。
「すでに敵武装勢力はすぐそこに迫っています。銃声も聞こえているとおりです。もう時間がない。避難をお願いします」
「……残った患者を見棄てることなど、できません」
決死の防戦を繰り広げる第1普通科連隊と本富士警察署署員の後背――東京大学附属病院では、自衛隊員と病院関係者とがそれぞれの矜持を賭け、衝突していた。
東京大学附属病院には、避難に堪えられない入院患者や重傷者が多く収容されており、そのために病院関係者も多く居残っている。患者を見棄てることなど、平時では考えられない。
が、いまは有事だ。すでに前線は東京大学附属病院の南500mにまで迫っており、一部の敵小集団は東京大学の敷地内に侵入しつつある。
東京大学附属病院は守りきれない――それが第1普通科連隊本部の判断であった。東京大学附属病院近辺に展開する第1普通科連隊の戦力は、1個中隊程度(約150名程度)でしかない。ここれは撤退して他中隊と合流するのが、戦術的には利に適っている。
また東京大学附属病院は千代田区――爆心地に近すぎる。雲行き、風向きが変われば、放射性降下物を大量に浴びることになるため、長期戦には不向きだと言える。
東京大学附属病院の防衛に固執することは、貴重な戦力を磨り潰すことにしかならない。
「我々にはここを守りきる戦力がありません。患者の方が残っていようといまいと、我々は早急に撤退します」
「だから患者を見棄てて、一緒に逃げろ、と」
病院関係者の問いに、自衛隊員たちは静かに――だが力強く頷いた。
「この戦争に勝つためです」
第1普通科連隊は、すでに多くのものを切り捨てていた。
東大病院と同じく、多くの患者と医療関係者が残っていたであろう日本大学病院(東京都千代田区)、順天堂大学附属病院(東京都文京区)、その他中小病院に対しては、黒い雨と火災に阻まれたため、避難指示さえ出せていない。
第1普通科連隊は――というよりも陸上自衛隊に、東京都民を守る力はなかった。